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漢方との付き合い(2)

色々なタイミングが重なって、漢方を服用するようになり約1年。
その間、自分はなぜこの方法が自分に合っていると思ったのか、よいと感じたのかを考えていると、持病や特別な体の不調はなく、中途半端な年齢、未婚・子供なし、一人暮らし…など、色々な条件の重なりによって置かれた状況と、日々感じていた自分と病院等のヘルスケアの場との距離感、疑問や不安が根底にあることがわかった。


自分のかかりつけ医とは?

20~40代でも、歯医者では定期検診やクリーニング・メンテンナンスを受ける習慣がある人はいると思うし、私も歯医者は定期的に通っている。
しかし、いざその他の病院となると、世代的にも定期的に通う人はあまりいないのではないか。
私は、20代で地元を離れて一人暮らしをし始め、複数回の引っ越しもあったため、具合が悪くなって病院へ行くとなっても、その都度病院を探すようなことの繰り返し。加えて、出産経験もないので婦人科への定期的な通院履歴や子供を病院に連れていくという習慣もない。とにかく、病院というのはなかなか身近に感じる場所ではないのです。
アレルギー関係で時々通っている耳鼻咽喉科ですら、正直、先生の顔も名前もピンとこないし、何かあれば相談できるという感覚もない。毎回症状を説明し、対処的に治療してもらい、ネブライザーをするという流れ作業には、ややモヤっとしている。
そのため、コロナ禍で頻りに謳われた、”かかりつけ医にまず相談しましょう”という言葉に、それ以前にかかりつけ医だと認識できるほど診察を受けたことがない状況では、もし罹患したとしても、誰が私のかかりつけ医といえるのだろう、と疑問に思っていました。

診察の効率化と患者のささいな不安の間にある溝

ある時、急に、顔に吹き出物が頻繁にできるようになった。もともとあまりできるタイプではなかったので、一つでもできれば気になるし、しかし、たくさん症状のある人に比べれば大した量でもない。気にしなければ治りますが、年齢のせいもあるのか、治ったと思えばまたできるの繰り返しで、だんだん跡が残る気がして危機感を感じました。
年齢とともに肌の衰えも感じていたので、今後のためにも自分に合った皮膚科を探したかったこともあり、数年前に別の症状で初めて行った皮膚科へ久々に足を運んだ。

以前行ったときは、まだ開院したばかりだったので飛び込みで診察をしてくれたけれど、数年経ち、一般皮膚科・美容皮膚科ともに人気で、予約が取りづらく混雑していました。開院当初から、事前に看護師が症状を聞き取りしタブレットに入力し、先生がそれを見ながら詳しく話を聞き症状の確認や治療のための薬の説明をしてくれていました。事前に整理する時間もあるし、丁寧に話を聞いてくれる印象があったのでこの仕組み自体は私は好きだ。ただ、クリニック全体に流れるあわただしい空気に心はざわざわし、先生とのやり取りの中で出てくる質問に対して、どうだったけな?とはっきり答えられないこともあり、自分の納得する回答が出せないまま終わってしまったモヤモヤは残る。

結局、処方された薬があまりにもきつく、確かな効果はあるけれども、肌の副反応がひどかったので、不安を感じて薬を変えてもらった。この時、仮に副反応もなく薬が効き、症状がうまく治ったり改善したと患者が判断すれば、基本的には終了。悪化すれば患者はまた行くしかないけれど、治ったと思えばこれきり。この時、薬との相性や肌の経過を見る、ということは医師側からは求めないということを理解しました。

門前薬局とかかりつけ薬剤師制度に感じる矛盾

医薬分業となった今、小さなクリニックが開院すると近くに薬局ができるというのが当たり前の風景だ。面白いほどに処方箋を受け付ける薬局はポコポコと増え、耳鼻科に行けばこの薬局、皮膚科に行けば別の薬局、形成外科に行けばまた別の薬局、とそれぞれの最寄り薬局で薬を受け取るということが、私には多くある。
多くの薬局は簡易な作りで、住宅地の中で浮いた佇まいからは、病院に引っ付いた存在であるという気楽で気軽そうな雰囲気で、地域に根差そうという意思は感じない。定期的に通院するわけでもないので、同じ薬局へ行ったとしても、毎回初めて行く気分だ。そして、前回から期間が空いていることを理由にアンケートのようなものに回答したり、診察を受けた理由や症状など説明するやり取りは、色々な確認のためだとわかっていても、どこへ行っても、何だか居心地が悪い。

2016年の診療報酬改定によりスタートした「かかりつけ薬剤師制度」を機に、”かかりつけ薬局に登録しませんか?”と頻繁に言われるようにもなり、制度の趣旨は理解しているけれど、いつもの居心地の悪さに加えて、さらなる拒否感が重なり、毎度お断りしてしまう。

とにかく、医薬分業の門前薬局乱立の状態とかかりつけ薬剤師制度は、理論上は分かるけれども、なんだか血の通わない仕組みだなと感じる。


フィンランドのパイミオサナトリウム(設計:アルヴァ・アアルト/1933)

病気を診ることと人を診ること

いつもいつも、医師や薬剤師の方との定型文的なやり取りは、病気を診てはいるけれど、私自身を診てるわけではない、という感覚が増していました。また、私の場合、独身で一人暮らしであるため、自分の不調や不安を声にして話せる環境、相談できる場があるとよいなと感じていたので、そのタイミングに出会ったのが、たまたま中医学であり、カウンセリングであり、漢方でした。
確かに、私がお世話になっている方は医師ではないし、漢方の直接的な効果も、わかるようなわからないようなところもある。
ただ、セルフメディケーションが叫ばれる中では、私にとって、自分の特性を理解したり、出てきた症状を悪化させないための工夫としては、こういった関係性を築いた場があるという安心が、何よりも良い環境だと感じている。

一方、西洋医学を使うことが必要なターンは必ずある。そのため、可能であれば、自分に合った総合診療医が身近にいればいいな、という期待はあります。何か病気にならないとなかなかきっかけがない、と感じる矛盾をどうしたらよいのかわからないけれども、自分の状況や考え方に合う環境を模索したいなと思っているところです。