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看護師と家族とHSP②

高校に上がるとさらに周りから知っている人が消え、同じ中学から高校が同じになったのは3人、全員違う学科に行ったことと、そもそも中学でも交流があまりない人だったため独りぼっちになってしまった。

教室の中でも窓際の1番前という隅っこの席だったので、話す機会も増えず、覚えてる限り3ヶ月はクラスに馴染めなかった。
喋ることもできず、担任の先生の冗談にも笑う余裕がなかったため、「喋らないし笑わない人」と男子の間で噂され、少しのいじめが始まった。

わざとのように机の周りをうろうろされ、「〇〇だって〜」と名前を叫ばれた。
私だって笑いたいのに…

家族にも言えず、まあそもそも義務教育を中断するという(中退)選択肢は全く頭になかったので、耐えるしかなく、家に帰っては親にバレないように部屋で泣くという日々が続いた。

3ヶ月ほど経って、美術の授業で移動教室があり、2人1席になったためやっと人と交流することができた。というか相手から話しかけてもらった。
とても嬉しくて人一倍喋った記憶がある。きっと印象が変わったと思う。
このおかげで、昼ごはんを一緒に食べる仲間が4人でき、毎日5人で弁当を食べることになった。


1年は楽しく過ごし、2年に上がるときに理系と文系でクラス替えになった。
5人中4人は理系のため一緒にいられる、が、他のグループに3人中2人が文系になるためひとりぼっちになる子がいて、同じグループに誘った。

移動教室の時はその子と2人、他の3人で別れ始めた。弁当は5人で食べる。
時間が経つと、誘ったその子は他のグループがあっていたようで、そちらに流れた。そのグループの子に、「そっちがあってるみたいだから、よろしくね」と声をかけた。
ただ、移動教室の時の別れ方は相変わらずで、私が3人の方に加わろうとすると「空気が変わるから来ないで」と言われた。

私の中では「??」。
今までご飯も一緒に食べていたし、移動教室はなんだかんだ廊下を行き来するため少人数で移動していただけで、会話が噛み合わないとか嫌われている様子とかもなく、急にそのような発言を聞いた。え…

人のことが分からなくなった。
周りの感情や雰囲気を読みながら行動しているつもりだったが、それが甘かったのかその人が急にその感情になったのか、全く他人が分からなくなった。


そのうち弁当も1人で食べるようになり、受験が始まった。
勉強するため、人と弁当を食べる必要がないことと、周りの感情を考えながら接さなくていい楽さを覚えた。
ただ、周りの目は痛かった。勉強を言い訳に1人でご飯してる人に見えるなと思っていた。

受験が始まってさらに周りと話す機会が減り、私だけだろうか、みんなの進路を全く知らないまま卒業した。
おそらく私の進路を知ってる人もほとんどいない状態だったと思う。

大学受験の前日、受験の準備をしている時、兄の自殺未遂行為により大学受験を諦めた。進学クラスにいたのに、担任の先生に親から電話をしてもらって受験を断念せざるを得ないことを伝えた。
その時点で合格が決まっていた専門学校に行くことになった。

それがご存知の通り看護専門学校。
ここでその後の人生が決まった。私はそれ以降看護師に縛られることになる。

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