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人が減らないために

家族主義と闘わねばならない。

子育て、教育、介護、納税。
この国は、家族の単位を基礎とし、親子きょうだいで支え合い、親子きょうだいのまとまりで納税や年金の仕組みを整えてきた。家族が前提。扶養手当、子ども手当、扶養控除、養育の義務、教育の義務。

親が子を育てるのは当然。子どもを「真っ当」に育てられないなら、親になる資格はない。つまり、金がなければ、時間と労力を子どもに割くことができなければ、親失格の烙印を押される。インターネットには、そんな呪いの言葉が溢れている。若者たちは、そんな価値観を内面化していく。

家族であることのメリットとデメリットを見比べて、家族に魅力がなければ、人は家族を作らなくなる。その証拠が、猛烈に進行する少子化だ。若者たちは、新しい家族を作り、親になる意欲を失っている。

若者が、結婚しない。
賃金の低迷を原因に挙げる人もいる。
賃金が上がらないのに、結婚して子どもを設ける(=家族を作る)なんていう大きな負担を背負い込むのはゴメンだ、と思うのは、当然の感覚だ。生活防衛、人生の防衛である。

若者の雇用を守り、賃金を保障したら少子化は解決するのだろうか。少なくとも、この数十年間、逆のことをしてきた。不安定な非正規雇用を増大させ、首を切りやすくした。競争力を高めるために、人件費を削減しなければならない、という至上命題があった。「流動性を高めることは、労働者にとってもメリットがある。自由に働ける人が増えたではないか!勤務形態の選択肢が増えたではないか!」と声高に言う人がいるかもしれない。

人件費を削減した結果、人間の再生産も削減されたのだ。人間をすり減らす方法を選んできたのだ。台頭する途上国と対抗するために、この国が採った方針は、「付加価値の向上」ではなく、「コストの削減」だった。

長年のデフレ。上がらない賃金。不安定化する雇用。その努力も空しく、「途上国並みの人件費」は実現できず、付加価値も生み出せず、結果、人間が目減りしたのだ。

この国は、かたや人間をすり減らす方法を選びながら、少子化対策を進めてきた。保育所の拡充、教育費や医療費の若干の拡充。産休育休制度の拡充。「ワークライフバランス」は、「仕事も頑張れ、育児も頑張れ」のスローガンとなった。ワークのブラック化が進む中、ライフ(育児)もがんばれ、と展開される。長時間労働や非正規雇用の問題を解決しないまま、子育てを頑張る仕組みだけが充実した結果、「ワークもライフも頑張らないといけない家族=超人家族」のイメージが定着した。超人になることを諦めた若者たちを、誰が非難することができるだろうか。

ジェンダー平等の考え方は、こうした状況に拍車をかけた。女性も仕事を頑張れる。男性も家庭を頑張れる。内面化された平等意識は、自身の生き方を自由にせず、平等という規範意識の徹底に向いた。頑張れ頑張れ頑張れ頑張れ。男も頑張れ。女も頑張れ。父親頑張れ。母親頑張れ。

世の中が、がんばれる人と、がんばれない人やがんばるのを諦めた人に、二極化した。競争主義、新自由主義が拍車をかけている。がんばらない人、がんばるのを諦めた人の結果は、自己責任。そうした価値観もまた内面化される。「だって、仕方が無いよね」と諦める以外の選択肢が見当たらない。

もうやめよう。超人家族は無理。超人のようなワークライフバランスも実現不可能。やる気と才能に満ちあふれた、運のよい限られた人間だけがキャリアアップして、充実した人生を手に入れられる。そんな世の中に背を向けて、ささやかながら、無言の抵抗をする方法は「結婚しない」ことだ。

家族の絆を強調する思想が、特定の宗教団体、あるいは政治団体を通じて、この国を支配してきた。少子化は、この国のあり方に抵抗する人びとの、無意識的で、かつ捨て身の抗議と受けとめるべきではないか。自分たちの存在を、時間をかけて消していく以外の方法が見当たらないのだ。

私たちは、かの、超人的家族主義と闘わねばならない。

少子化は、生活防衛であり、無言の抵抗である。未婚の若者の問題ではなく、社会の問題であり、人間をすり減らしていることの気づかない支配者の問題である。

子孫を残そうとしない生物群に残された未来は、1つしかない。

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