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#14 イタリア・サルデーニャ ウルルン滞在記① ~私たち 誘拐された?~

 昼寝が習慣化してしまった。毎日があまりにも暑いんだもの。あの煮え立つ空気に息もつけず、天から矢のように刺す光の束を、はじき返す元気もない。
 それに、昼食後の強烈な睡魔に抗って、半開きの目で黒板に向かわずにもよい歳だ。今の身分は、そのまま眠りに倒れ込んでも非難されることはない。シエスタ。好きなだけ、至福の昼寝時間に身をゆだねることができよう。
 そうして、思い出すのだ。30年前のサルデーニャでの日々を。
 
「キミコ! イタリアに行ったことある? 小学校で教師をしている友人が、夏休みの間、外国人向けにサルデーニャ島でイタリア語レッスンをするらしいよ。ほら、僕のところにこんなフライヤーが送られてきた。英語だけでなく、フランス語やスペイン語でも案内を配っているんだって。どう?興味ある?」
 
 当時、日本に留学していたイタリア人のマッシモさんが、英語で印刷された三つ折りの案内を私にくれた。
 サルデーニャ? 一体どこだ? イタリア語? 英語もろくすっぽ話せないけど、でもこんな機会は、めったにないよね。あぁイタリア、行ってみたい! 行きたい! ワクワクが吹き出して、思わず「行く!」と返事をしていた。フランス留学の経験ある親友とともに。30代だった。
 
 サルデーニャ島の最大都市カリアリへは、ローマから国内便で約1時間(だったかな?)。島の南にはチュニジア(北アフリカ)があり、北はコルシカ島(フランス)、西はスペインと、文化の異なる3国に囲まれた地中海にあるその島は、その後(1997年)、イギリス・故ダイアナ妃が最期の夏に恋人とバカンスを過ごした島として知られるようになるが、1994年当時にサルデーニャ島を知る人は、私の周りには誰もいなかった。
 
 大抵の日本人御一行さまは、弾けたばかりのバブル経済をものともせず、観光に、買い物にとローマをはじめとするイタリア本土に散っていった。
 そんな中、彼らと行先を異にした私たちが降り立ったのは、田舎の小さな空港。入国手続きを済ませロビーに放たれ見た最初の光景は、まるで駅の待合室のよう。何列ものプラスチックの椅子が、こちらに向かって並んでいるだけの素っ気ないものだった。呆然と立ち尽くしていると、ひとりの女性がまっすぐ向かってきた。
 私と歳も背丈も変わらないその女性が掲げていたのは、癖のある文字で「KIMIKO」「KUMIKO」と名前を書いたスケッチブックだった。そこにいるアジア人は私たちだけ。すぐにその当人だと確信したのだろう、彼女は慌ててそれを下ろし、笑顔で迎えた。
「ボンジョルノー」
初めてのイタリア語を、私もマネして返してみる。「ボ、ボンジョルノー」
それを受けて、彼女は続けて何か言う。
「もう1人、スペインから男の子が来るんだけど…。探してくるから、座って待ってて」と言っている(らしい)。ベンチを指さし、片手のひらを広げて「動かないで」と制した(ようだった)。
 そしてスケッチブックを1枚めくり、もう1人の名前を書いた紙を頭上に振り上げて、狭い空港内を右へ左へと動き回った。「ジュリア~ン、ジュリア~ン」

 5分、10分、20分…。次第に人影がまばらになっていくけれど、一向に探し人が見つかる気配はない。スペインからの飛行機は、私たちよりも先に着いているはずなのに、どうしたのだろう…。
 そして、
「オッケー、いいわ。さぁ、行きましょう」
と(言っているらしい)うながされ、外に止めてあった車に乗り込んだ。
 車は2台。イタリア人の女性2人と男性1人。そのうちの1台に私たちは乗り込んで目的地へと向かう。日が傾き始めていた。
 しばらく進むと、上り坂をひとり、とぼとぼ歩く少年がいた。
「ジュリアン?」
彼女が呼びかける。探していた彼だ。偶然、彼を見つけたのではなく、この道を歩いていることを彼らは知っていたようだ。携帯もスマホもない時代、どうやって連絡をつけたのだろう。いまだに謎である。
 ともあれ、その彼をもう1台の車に乗せて、いよいよ目的地へと急いだ。
「さぁ、始まる!  ビバ! サルデーニャ!」
これからの1週間に、胸が高鳴った。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 ウトウトしていたのだろう、ガタガタ道に目を覚ました。これ以上、スピードを出したらボンネットから火を噴きそうな年季の入った車が急いでいる。
 すでにとっぷり日は暮れていて、街灯もない山道を右に左にハンドルを切っている。対向車はない。車のライトだけが頼りの漆黒の田舎道を2台が行く。
 右の窓の崖の下には海があるのだろうか、濃紺の水面が時折、月明かりでキラキラと光った。
「まだ、着かないの?」
聞いてみたいのだけれどイタリア語はもちろん、英語すら思い浮かばない。誰ひとり声を発しない。黙っている。黙ったまま車のライトが照らす先をじっと見ている。
 宿はどこ?  こんなに遠いの?  一体どこへ連れていかれるのだろう。もう、夜中ではないか。もしかして、誘拐?  この人たちマフィア?  いやいや、そんなことはないよね。それにしても遠すぎない?  周辺に民家も見あたらないし…。
 高まる不安と打ち消す気持ちが、心の中に打ち寄せていた。(つづく)

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