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どう言葉にするかは自分で選んでいい

昨日は睦月七日、七草粥をいただく日として知られていますね。
我が家は地域の七草粥振る舞いイベントに出かけたものの
あまりの行列に引いてしまい

手に入るだけの材料を買って帰って、
夜ご飯にいただきました。

↑参考レシピ 美味しかったよ♪

さて、

わたしはこういう、
例えば二十四節気にまつわる古来の季節行事やなんかが
わりかし好きなんですが

星回りとか六曜とかを重視しているかっていうと
そこまでじゃないです。

手相顔相、占星術など
統計学に基づくものだと思っているから
それなりに信じたり大切にしたりもするけれど

信じすぎないし
自分で手綱を握って
ほんのり活用しているくらいかな。

なんでかというと、結局のところ、
そうやって導かれる鑑定結果って
あくまで客観的な統計によるものじゃない?

その人自身の主観を集めた統計じゃなくて
易学の専門家が
客観的に人々を眺めて言語化したものだよね。

外側から見たらそういう人生かもしれないけど、
当事者の目線から眺めたら
まるで違うものかもしれない。そう思うから。



つまり・・・例えばね、

お船で旅に出た若者
船が難波して無人島に流れつき
その島で一生を終えたとしましょう。

客観的に見たらその状況は
人生を激変させる苦難に出会い、孤独なまま一生涯を終える
って感じになるかもしれない。


けど、その人が幼い頃からひっそりと抱いていた夢が

どんなオンボロでもいいから、自分の船を持って世界を旅し
無人島で 動物たちを友としながら
豊かな人生を送りたい

…っていうものだったとしたら?

客観的にみた評価と
主観による満足度は
まるで正反対のものになるじゃない?

だからこそ

誰かから見た幸せなんてポイっとして
自分の気持ちにだけは愚直に正直に
精度高く向き合うことが
幸せな最期を迎えることに繋がるんだろうな。

それを見失うことが
今の世の中、多すぎるから。

だから、自分の心に引っかかった違和感は
自分のフィルターを一旦通して
自分の心が納得する形に言語化し直しちゃえばいい。

誰かから見た幸せ不幸せなんでどうだっていい。
自分の心が心地よく満足するルートを
心地よい解釈で選んでいけばいい。

…ってことを
わたしは長谷川町子さんから学んだのでした。
(いじわるばあさんより)

おしまい

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