主役と脇役の逆転

先日の、一汁一菜の話の続きです。

土井善晴さんのおっしゃることで、私が「なるほど~、本当にそうだな~」と思ったことの一つに、『料理は作る人が主役』という話がありました。

高級料理店などは別ですが、一般の家庭料理だと、食事を作るという仕事は家事の1つで、主に女性が担っていて、家族のためにすることというイメージがあります。

食べる人が中心(主役)で、作る人の方がちょっと下の立場(脇役)というような。家族のために食事を作っても、毎日同じおかずだと文句を言われるし、味付けが薄いとか、辛いとか、好き勝手言われて、それでもそのリクエストに一生懸命応えようとする。完全に、従の立場です。

また、作る方も作る方で、毎日のメニューを考えるのが面倒になり、「今日何食べたい?」と主役の座を無意識に譲ってしまっているところもあるんだろうな。たいてい家族は、なんでもいいよと言うのだけれど、おかずが気に入らないと怒るとか・・・子どもの頃の私ですね。ほんと未熟者の浅はかな発言です。主役と脇役、本来とは全くの逆転でした。

そんな私も大人になり、家庭で食事を作る立場になったのですが、自分でもなんか譲れないわ~と思うこととして、お弁当を作る時に、夫だけの弁当を入れる気が全くしない、ということがあります。自分の分も作る時に、一緒に入れるのはいいけれど、夫の弁当を作るためだけに早起きするとか、どうにもこうにもやりたくないと思ってしまいます。

たぶん、一般的には、毎日でも旦那さんのお弁当を入れてあげる主婦はいい主婦なんだろうなと思いつつ、無理なものは無理なのだと、(とはいえ若い頃はもうちょっと作ってましたが)今は無理せず作らないようになりました。今更、良き妻の称号は不要なのです。

ただこのことは、夫が嫌いとか、大事じゃないとか、そういうこととは全く違っていて、うまくは説明できないのですが、次元が違う話と言う風に感じていていました。そこに感じていた違和感は、本来は、作る人が主役であるべきという土井さんの考え方に通じるところがあるのかなと思ったのです。

夫は子どもじゃないので(子どもでも作れるだろうけど)自分で弁当を作ろうと思えば作れるはず。でも、入れてほしいということは言うけれど、自分で入れようとしない。これって、食事と言う自分の人生の大事な部分を人任せにしてしまっていることなんだよね。と言うことには気づかない(し、気づく必要もなかった)し、一般的にもそうだんだろうなと。

「作るのは私だから、私の作りたいときに作る」という意識だと、自分にかかる負荷は確実に減ります。またそれは決して悪いことじゃないし、わりと正常な感覚なのかなと感じたりしたのです。ほぼ料理はしない今の夫を責めるわけではないけれど、今後どこかで、自分の食事の責任を自分でとれるような意識になってほしいなと思っています。

また、実は世の中、食事のことだけではなく、この本来の主役と脇役が逆転してしまっている事象は多いのではないかなと感じたりしています。そういう視点で世の中をみるとまた気づけることがあるかもしれませんね。次の課題にして、また観察してみたいと思います。

みなさんも、ぜひ主役と脇役の逆転事例を探してみてください!

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