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フォーマル服でドレスではなくスーツを着たかった私がスーツブランドを立ち上げた話

私は体も心も女として生まれた。それに疑問を持つこともなく、否定することもなく育った。しかし、ものごころついた頃からスカートを履くことがとにかく嫌だった。一番古い記憶をたどっても、「スカートではなくせめてキュロットに!」と言ってたのをうっすら覚えている。親戚からプレゼントされた花柄のスカートを、タンスの一番奥底にそっとしまったのを覚えている。たぶん5、6才程度だったと思う。

中学・高校の制服はスカートだったが、それだけは何故か全然嫌ではなかった。中学の制服はスカートというよりもとにかくデザインがダサいことが嫌だったが、高校の制服はかわいくて気に入っていた。

高校を卒業して制服ともおさらばし、初めてぶちあたるフォーマルな場所が大学の入学式だった。私の「フォーマル服との戦い」の幕開けだ。

服飾大学に進学したため、とにかくおしゃれに気合い入れるぞ!と意気込んで、何を着ていこうか悩みに悩んだ。

服飾系といえど、大学なのでリクルートスーツが多いだろうという予想はしていた。周りに合わせるつもりもさらさらなかったが、スカートのスーツは論外だし、パンツスーツだったとしても、あのやたら胸を強調されるくびれたジャケット、裾の広がったパンツなんて絶対に着たくなかった。でも、ドレスやワンピースも私の選択肢にはない。

”かっこいい”パンツスーツを着るんだ!

そう思って、いろいろ店に行ってみる。

小学校の時からファッションの仕事に就くんだと思っていたほど、子どもの時から洋服には興味があった。だからすでに知っていたのだ、世の中にはあのリクルートスーツのような形のものしか無いことを。でも高校卒業したての私には、駅ビル系ショッピングビルに入っている某メジャーセレクトショップで選ぶくらいが精一杯だった。(本当はポールスミスのスーツが着たかったが高すぎて手が届かなかった)

そこになんとか、強いていうならこれかな、と思えるようなパンツスーツがあったのだ。

ほとんど黒に近いネイビーに、白と赤紫っぽいピンストライプが入っている。ジャケットの形は合格、でも、パンツがややフレアがかっているのが気に入らなかったが、他になかったのでそこそこする値段で買ってもらった。

そのスーツにネクタイを締め、ハットを被り、ウィングチップの靴を履いて行った。

今思うと恥ずかしいが、その後のフォーマル服人生を振り返るとかなりマシな方だと思う。

それから成人式を迎える。

振袖を着ることに抵抗はなかった。でも、あのよく見るピンクや赤に細かい花吹雪柄、それと白いフワフワだけは嫌だ!と思っていた。

たくさん送られてくるカタログの中から、着るならこれかなーと思えたものがあったお店に見に行ってみると、とっても好みの色柄の振袖を発見。

黒地に、梅のような椿のような、大きな花が描かれていて、大正ロマンのような雰囲気の振袖だ。

「これがいい!」と着せてもらったのだが、アテンドしてくれたおばさまがまぁ私好みのセンスをぶちかましてくる。合わせる帯、帯あげ、帯締め、色使いがおしゃれだしかわいいし、極め付けの首に巻くフワフワは、黒と白の毛が混ざったグレー系のものを持ってきたのだ。最高すぎる。即決した。大学の卒業式もこの振袖で出席した。

とまあ、ここまではまだ納得くものになんとか出会えていた。

それから社会人になり、務めていた会社の先輩の結婚式に招待頂いた。学生気分も抜け、それなりにちゃんとしないと。でも自分らしさも忘れずに。

「何を着よう」

とにかくいろんなお店を回って見てみる。この時は何故か、ワンピースを手に取っていたんだよな。ネイビーと黒のバイカラーのワンピース。この時何故ワンピースを選んだのかは全然覚えていない。社会人として、”一般的らしさ”に染まろうとしたのか。パンツスーツで気に入ったものが無いのを知っていたから、あえて選ばなかったのか。(この時普段着も、何を着るべきか彷徨っていた時期でもある)

ワンピースを選んでみたものの、素足は出したくないので黒のタイツ(透け感はほぼなし)を履き、ヒールは履けないので黒のバレエシューズを選んだ。

記念写真を撮り、後日それを見た時、ものすごく惨めな思いに駆られた。

「私だけなんて地味なんだろう」

結婚式は華やかでかわいくてとても素晴らしかったのに、全然お祝いらしい装いができていなかった。お祝いごとに黒のタイツを履くべきじゃなかったし、慶弔ごとのマナーもあまり知らなかった自分が恥ずかしくなった。何より、せっかく招待してくれた新郎新婦に申し訳無い気持ちになった。

その後は友人のカジュアルな結婚パーティーなどにも招かれた。それほどフォーマル感は必要とされなかったが、普段からベーシックな服を好んで着ることの多い私は、ここでもやっぱり地味。周りの同級生たちはカジュアルな場にも関わらず、キラキラしていたからやっぱりなんか惨めな気分になった。

今度は大学時代の友人の結婚式。きちんとした式場で、割と格式高め。

話は少し脱線するが、10才くらいまでは髪が長かったが、それっきり20代半ばまでずっとショートヘア〜ボブだった。高校時代なんて超ベリーショートだったのだ。

この時は何故か血迷って、髪を伸ばしていた。そのためか、ここではこれまた血迷って、ドレッシーなワンピースドレスを買ったのだ。ヒールも頑張って履いてみたのだ。今までの“地味”が情けなくて、周りの子達のキラキラに負けないように!そう思っていたんだと思う。

その後もまた、知り合いの結婚式、地元の同級生の結婚式、これまた格式高め。
同じワンピースドレスを着て参加すること計3回。

最初は「まあまあイケてるかも」と思うのだが、後日撮った写真をみると、なんかイマイチだし、んー、やっぱ自分らしくない、この系統はもうやめよう。


髪もバッサリ切ってボブにする。また地元の同級生の結婚式に呼ばれる。今度こそ自分らしく!かっこいい系でキメるんだ!

でもやっぱり、私が理想とするかっこよくて華やかさがあるスーツには出会わない。あったとしても、手が届かないくらい値段が高い。

普段着として使っていたネイビーのブレザーと白シャツ、なんかちょっとテロテロしたテーパーのきいたネイビーのパンツに、黒のエナメルのヒールを履いた。

「今までよりはいいんじゃない!」そう思った。

式場に到着し、地元仲間と合流。

「あれ?式場の方ですか?(笑)」

いつもの冗談なのはわかっている。私も「違うし!」と笑いながら流す。でもやっぱり惨めだった。そう言われたことが悲しかったんじゃなくて、そんな格好しかできなかった自分が情けない。おしゃれしたいのに、思うようにおしゃれできなかったことが悔しかったのだ。


ここからスーツのブランドを立ち上げたきっかけに入る。

話は前後するが、この最後に参加した結婚式の少し前に、務めていた会社を辞めたのだ。またこれ話がさかのぼるが、小学生の頃からファッションの仕事に就きたいと夢を抱き、服飾科のある高校へ進学。もちろん大学も服飾専門の大学へ進学した。卒業も近づき、就活をするがどこにも受からない。そのまま卒業を迎え、ついにはニートになる。3ヶ月ほどして近所のショッピングモールのアパレルショップで販売のバイトを始めた。仕事にも慣れ始めた頃、出版社の求人募集を紹介されて、試しに応募してみたところ採用してもらい、編集者として7年弱務めた。

仕事は楽しかったが、だんだん閉塞感や行き詰まりを感じ、新しい世界へ飛び立ちたくなった。辞めてどうするかを考えた時に、叶わなかったアパレルの世界へ、もう一度挑戦しようと思った。

しかし私が就きたかった職種は実務経験が無いと応募資格すら無い。またここで夢断たれる。

どうしようか考えて、ある人にダメ元で相談してみた。

ある人とは、その道40年、バブル時代を席巻したデザイナーズブランドに携わり、こんな時代でもモンスター級の売り上げを伸ばし続ける某有名アパレルブランドでチーフパタンナーを務めた、業界でも指折りのレジェンドだ。

なんでそんな人と知り合いだったのかというと、私がまだ会社に務めていた時、やっぱりもう一度服の勉強をしたくなったのだ。その頃から徐々に転職を考えていた。会社に務めながら習えるところはないのかネットで探していたところ、その人のホームページに辿りついた。そこには、パターンメーキングについてのその人独自の考え方が多数書いてあって、それは私が学生の時に習ってきたものとはまったく違うものだった。しかしとても理にかなっていて、学校で教わったことがどれほどヘボいものだったのかを思い知らされ、まさに目からウロコだった。おもしろくて夢中で読み漁り、いつしかこの人に直接会ってみたい、話を聞いてみたいと思うようになった。

意を決して、メールをしてみる。とにかく会って話を聞いてくれと。それで一度会ってもらい、飲みながら話をし、その日はそれで終わった。

それから数ヶ月後、その人がパターンメーキングの講座を開設するとの情報をキャッチし、すぐに応募し、習いに行った。それ以来仲良くしてもらっていたのだ。

話は戻り、転職したいがなりたかったパタンナーにはもうなることができないようです、と相談したところ、

「自分のやりたいことやってみれば?全面的に協力するから」

!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

なんというチャンスが転がってきたのだ!!!!!!

「いや、もうぜひ!!」

すぐに会社に辞表を出した。


それからどんなブランドにする?何をやる?といろいろと話し合う。

ここ数年、カジュアル服でも着たいと思えるものがなかった。基本的にベーシックなものが好きなので、ベーシックでかっこいいものが欲しかったが、そういうものが無い。なんか余計なものが付いていたり、素材感やシルエットが気に入らなっかったり、ベーシックなものほど、今の時代無いのだと感じていた。だから自分が理想とする、こだわりのカジュアルウェアをやろうと、最初は考えていた。

だけどこのご時世、そんなものをやって存在意義があるのか?どれほどいいものをやっても、ユニ○ロさんや無印○品さんが君臨している限り難しい。ましてやネットで発信していくには、ベーシックでどれだけいい素材を使い、形にこだわっても、なんの認知度も無いブランドではその良さが伝わるのには果てしなく時間がかかるのではと考えた。要は差別化がとっても難しいのだ。

「圧倒的に、この世にないもの、やる意味のあるものを。」

そう考えていた時に、あの最後に呼ばれた友人の結婚式だ。


「これだ!私がずっと悩み、どれだけ探してもこの世になかったものは!」

(生物学的な)女性のためのスーツ専門ブランドを始めることを決めたのだ。


それから悩んだのはブランド名。

いろいろ考えた末、「ai STANDALONE(アイスタンドアローン)」という名前に決めた。

由来は、GLIM SPANKYという男女のロックユニットのミュージシャンがいて、以前から彼らの作る曲、世界観、哲学に魅了されていた。彼らの曲に、「アイスタンドアローン」という曲がある。私がこのブランドで表現したかったこと、私自身も持っていた哲学が、その曲そのものだった。(ぜひ歌詞を読んで欲しい

I Standalone=自分の足で立つ

たまたま私の名前が“アイ”だったので、「I」を「ai」に変えて。



みんなが着てるから、巷で流行っているから

女性はこれを着なくてはいけないから  

親が着ろっていうから

そこに自分はあるか?自分の意思で決めているか?

世間が勝手に作り出した「女性ってこうなんじゃないの?こういうものが好きでしょ?」っていうものしかなく、それにハマらない私。

「あっちでこれが流行っているから、こっちでこれが売れてるから」
流行や世間のニーズに迎合するがために、これだけ多様化が進んでいる時代にもかかわらず、服だけは、特にフォーマル服は画一的。

それにハマらない人はどうすればいい?他に選択肢はないのか。

私の着たい服がない!

私の心の叫びから生まれたブランドだ。


少しずつ少しずつ、共感・賛同してくれる人が増えてきてくれている。

「私もあのワンピースとかリクルートスーツが苦手で…」

「こんな服作ってくれてありがとうございます!」

「スーツみんなから褒められました!」

と言ってもらえることも増えてきた。これは本当に嬉しいし心の支えだ。

やっぱり同じ思いを抱えていた人は他にもたくさんいたんだ。



自分らしさを表現したくてもできなかった人のために。

「私は私」と意思を持つ人のために。

そういう服を、そのための居場所を、ai STANDALONEは用意して待っている。





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