女マネ部!『#創作大賞2023|漫画原作』第一話
第一話
「ねえねえ、知ってる?うちの高校の、秘密の部活の話!」
「あー、知ってる知ってる!聞いたことある!でも、本当にあるのかな?」
「分っかんない。でも面白そうだよね!そんなの本当にあったら」
「確かにねー!なんか漫画みたいでわくわくするー!あ、ねえ、そういえばさ、このあとのホームルームって…」
右隣から、新しくクラスメイトになった女子生徒たちの楽しそうな声が聞こえた。まだどこの輪にも入れずに、自席で一人もじもじするしかない千紘も、その噂は耳にしたことがあったので、一瞬、話に入ろうかと口を開きかけたけれど、すぐにやめた。そんなの他人事だ。ましてや、そんなおとぎ話のような、そんなものは、自分には関係ない話だ…
ーーー
グラウンドの方からやって来た風に乗って、砂粒がスカートに絡まる。薄曇りの空は春の陽気をはらんでおり、まるで入学式を待ちきれなかったように、桜の木はすでに見所のピークを越えていて、所々に緑が見える。
真新しい制服姿の人混みは、体育館に向かって続く渡り廊下をゆっくりと、塊になって動いていく。その塊の中で、佐藤千紘は一人俯きながら黙って歩いていた。誰かの足を踏まないように。それは小学生の頃からの千紘の癖だった。
なるべく目立たず、普通でいること。話しかけられたら、笑顔で。お願い事をされたら、なるべく断らず、嫌われないように。
運動は苦手だし、勉強の出来にも自信がなかった千紘が、平穏な学生生活を送るために自分自身で編み出した生きるための技だった。
おかげで千紘の中学生活は平穏そのものだった。平穏どころか、凪のような3年間だった。映画やドラマの主人公たちのように、恋をしたり、友情を育んだり、そんな経験をしたことがない千紘は、自分自身のことをまるで「モブ」だなと思う。
でも「モブ」でいいのかもしれない。どうせ運動もできなければ勉強もできない凡人だし。顔だって可愛くないし。だからきっと同じ。今日から始まる高校生活も、中学の頃と。友人はできても親友はできない。きっと。
そんなことを考えていたら、入学式も、高校生活初めてのホームルームも、いつの間にか終わってしまっていた。
「あ行」と「か行」が男女合わせて四人しかいない一年四組で、「佐藤」は窓際の列の一番後ろの席だった。ただでさえ人見知り気味なのに、前と右隣にしか人がいない。
結局、千紘はずっと緊張が解けず、そのどちらとも簡単な挨拶くらいしか言葉を交わせなかった。しかも、右隣と斜向かいの席の二人はすでに、「おとぎ話」の話をするくらい仲良くなっているようだった。
出遅れてしまったかもしれない。明日は、何か話しかけてみなきゃ…そんなことを考えつつ帰り支度をしながら、千紘は人もまばらの教室の隅で、クラスメイトが話していた「おとぎ話」のことを考えた。この高校に代々続くという秘密の部活の話を。
風の噂で聞いたことはあった。ここ、帝政高校には、代々伝わる秘密の部活があるのだという。活動内容も不明で、全てが謎に包まれており、その存在だけが学生たちの間でまことしやかに囁かれている…らしい。
創立百年のオンボロ校だから、そんな都市伝説みたいな噂があるんだろうだなんて、中学時代に当時の友人たちが笑いながら話していたのだ。その輪の中で、話を合わせるために愛想笑いをし、相槌を打ちながらも、千紘は密かに胸が高鳴ったことを覚えている。
そんな素敵な何かが、「おとぎ話」のような何かが、もしも自分に起こったら。子供じみているかもしれないが、そんな淡い期待が千紘のこの高校への志望動機でもあった。
あの日から、大きく膨らみつつあった心の中の風船が、しおしおと萎んでいくのが分かる。「おとぎ話」への他力本願ではダメなことくらい、千紘自身も分かっているのだ。それでも…
入学初日にも関わらず、クラスメイトの誰とも打ち解けることができず、連絡先一つ交換できなかった自分の不甲斐なさに、思わず込み上げてきてしまった涙が溢れないように慌てて顔を上げると、ふと窓の外の光景に目が止まった。
サッカー部、野球部、ラグビー部、陸上部。まだ入学式の片付け中なのだろうか、普段は体育館にいるであろうバスケットボール部の姿も見える。その中で、千紘の目はグラウンドの隅にオマケのようにくっついている小さなコートに釘付けになった。
バスケットボールのコートよりは大きそうな砂のコートの上に、サッカーで使うよりは小さなゴールが置かれている。そのゴールに向かって、誰かがボールを投げ込んでいる。上級生だろうか。時には体を弓のようにしならせて、時にはゴールに向かって倒れ込みながら。
千紘はそのスポーツが何というのか知らなかった。それなのに、何故だか胸がドキドキと波打って目が離せない。小さな頭と、長い手足。上級生と思しきその生徒が、三階にいる千紘からでも分かるほどスタイルが良く、整った顔をしているからだろうか?
あの人を、近くで見てみたい。
先ほどまでの自分への失望が嘘のように、気付けば千紘は校舎の階段を駆け降りていた。あの小さな砂のコートを目指して、まるで魔法にかかったように。
校舎の三階から見下ろした小さな砂のコートは、実際には入学式が行われた体育館と同じくらいの広さがあった。その隅に建てられたプレハブ小屋の傍から覗き込むようにコートを見ると、千紘の目を惹きつけて離さないその人物がショートヘアの綺麗な女性であることが分かった。
バランスの良いその身体が、バネのようにしなやかに、そして羽のように軽くシュートを打つ様は「綺麗」以外の何者でもなかった。
頭がぼうっとして、目が離せない。千紘は自然とプレハブ小屋の扉を背にして見入ってしまった。だから、気付かなかった。そのプレハブ小屋の扉が、中からガチャリと開いたことに。
「おおおぅっ!」
背後から大きな声がして、千紘が慌てて後ろを振り返ると、扉の目の前の千紘に驚いてバランスを崩した声の主の両手から、カラフルなプラスチックのコップがいくつも宙を舞って地面に転げ落ちるところだった。
「あ〜あ〜やっちゃったよぅ…てか一年生?ハンド部入部希望?」
マネージャーなのだろうか。転げ落ちたコップをよっ、と屈んで拾い集めながら、その人は千紘を見上げるようにして尋ねてきた。陽の光を受けて、真っ黒なビー玉のような瞳に力が入ったのが見えた。
「え、いや、そういうわけじゃなくって…」
咄嗟の質問にしどろもどろになりながら、千紘は慌てて否定した。あまりに慌てたせいで、自分でも顔が紅潮しているのが分かる。でも、あんな風に羽のように飛べたら、自らの思うように自由自在に身体を扱えたら、どんなに気持ちがいいだろう。
「ふーん、なるほどぉ…」
屈んだ姿勢のまま千紘を見つめるビー玉のような二つの瞳が楽しそうにぎらんと光るので、いよいよ居た堪れなくなってきたその時、「セナ、何やってんの?」と千紘の背後から声がした。
コートの隅で騒がしくしている二人が気になったのであろう。先程まで、コートの中で羽のように舞っていた上級生と思しき人が、千紘の背後にボールを抱えて立っていた。元々は黄色かったであろうボールには茶色い染みがいたるところに付いており、素人の千紘が見ても、そのボールが非常に使い込まれていることが分かった。
「今年度のリンのファン、第一号だよ〜」
と、セナと呼ばれたマネージャーと思しき上級生が呑気に答えた。拾い集められた後、無理矢理十個以上も積み重ねられたプラスチックのコップは、さながらおもちゃで出来たの塔のようだ。セナはそれを右手と左手に一山ずつ持ちながら立ち上がると、その反動で、またもやコップはぐらぐらと揺れた。きっと扉の前で千紘と鉢合わせなくとも、コップの塔はコートにたどり着く前に崩れていただろう。
ファン第一号、という言葉に「なんだそれ」と言いながら、リンと呼ばれた上級生は千紘の方に体をしっかりと向けて、声を掛けてきた。
「部長の進藤凛です。入部希望かな?ハンドボール部だけど、興味はある?」
上級生二人のやりとりをポカンとした表情で眺めていた千紘も、その問いかけで我に帰った。
「ごめんなさい、ごめんなさい、見てただけなんです…かっこいいなぁと思って…でも、私、運動音痴なので…」
「そっかぁ、それは残念」と、リンはボールを抱えたまま明らかに肩を落としたが、セナは瞳をぎらんと光らせたまま、千紘にこう言った。
「じゃあさ、申し訳ないんだけど、このコップを洗うのだけ手伝ってくれない?ええっと、佐藤…さん?」
セナは千紘の左胸の名札を読み上げながら、コップ洗いを手伝ってくれと頼んだ。先程地面に落としたためだろう。よく見ると、コップは砂まみれだった。
「あ、はい……」と、千紘がコップの塔を思わず半分受け取ると、セナはすぐさま、もう半分の塔を手に「ありがと!じゃあこっち!着いてきてー!」と、水道に向かって元気良く歩き出したため、「ま、待ってください…」と千紘もコップの塔が崩れないように、その後を急いで追いかけるしかなかった。
ハンドボールコートの外にある体育館横の水道に向かうため、二人が校舎の角を曲がるその一瞬、セナが思わせぶりにウインクしたのを、コートに残されたリンは見落とさなかった。
「…選手も早く捕まえなきゃなぁ」
と、二人の背中を見送りながら、リンはポツリと呟いた。
ーーー
「やっぱりココは空いてた!」
入学式の片付けが終わった直後なのだろう。体育館には誰もおらず、水道を利用する者もいなかった。いつもなら室内競技の部活が占領しているであろう水道が、今は人っ子一人おらず、辺りはしんと静まり返っている。
「入学式とか文化祭とか、今日みたいな日は運動場側は激混みなんだよー!どこも外でやってるから」
「そうなんですね…」
洗剤とスポンジを取ってくる間、砂まみれのコップを先に水道水で濯いでおくように言われたので、千紘は大人しくその指示に従った。
水道は、校舎から体育館に向かって伸びる渡り廊下のすぐ側にあった。千紘たち新一年生が午前中、入学式に向かうために歩いたあの廊下だ。千紘は自分の足元ばかり見ていたので、この辺りを見回すのはこれが初めてだった。
水道に面した壁には掲示板があり、バスケットボール部や体操部など、室内競技の部活動の勧誘ポスターが至る所に貼ってある。その中に、『来たれ!女子ハンドボール部』と書かれたポスターもあった。
4月といえど水道水はまだ冷たく、あっという間に両手が赤くなったが、入学初日からよく知らない上級生と二人きり、という最上級の緊張状態からか、千紘は水の冷たさを感じなかった。
「隠してたんだよねー」
と言いながら、セナが体育館に備付の用具入れの中から、食器洗い用の洗剤とスポンジをジャーンと取り出して、千紘のもとまで持ってきた。
気まずさを打ち消そうと「あ、あの……」と千紘が焦っていると、スポンジで泡を立てながらセナは「そっか!」と大きな声を出した。どうやら自分の自己紹介がまだだったことを思い出したらしい。
「私は三年の佐伯世那、女子ハンドボール部のマネージャー!セナでいいよ」
「セ、セナ先輩…この茶色い汚れは何ですか?」
千紘は、コップの取手部分に付着している粘っこい汚れについてセナに尋ねてみた。油絵具のようなその汚れは、さっきから擦っても擦っても一向に取れないどころか、どのコップにも取っ手を中心に同じ汚れがべったりと付着している。
「あーそれはね、松ヤニって言って、屋外でハンドボールを握る時に、選手が滑り止めとして指先に塗っているものなんだよ。みんな松ヤニが付いたままコップを使うから、全部汚れちゃってるんだ〜。でも食べても死にはしないから、それは取れなくても大丈夫!」
「諦めが肝心よ〜」などと呑気に鼻歌を歌いながら、セナは手際よくコップを洗って水気を切っていく。
羽のように飛ぶリンの手には、まるで吸い付くようにボールが握られていたが、実際には松ヤニによる補助があったのだ。千紘はリンが抱えていた黄色いボールが茶色のシミだらけだったのを思い出した。そうか、あのシミは松ヤニだったのか。
「佐藤さん、ちょっとハンドボールに興味出てきた?」
気付くと、自分が持っていた分のコップを洗い終えたセナが、隣でニコニコと千紘の横顔を眺めていた。そんなセナの様子に千紘はまたもや慌てたが、間近で見たリンの美しいシュートフォームを思い出すと、どうしても首を横に振る気にはなれなかった。
そんな心の中を見通しているかのように、セナは水道の蛇口をキュッと閉めてこう言った。
「ねえ、秘密の部活の話、知ってる?」
「へ?」
校舎と体育館の間を通り抜けるように風が吹いた。頭の後ろに束ねられたセナのしなやかな黒髪の束が、風に乗って笑うように揺れている。
千紘は面食らった。てっきり、またハンドボール部に勧誘されると思ったからだ。
「帝政の新入生なら、聞いたことくらいあるんじゃない?秘密の部活があるって」
「…はい」
「入んない?」
「ええっ?!?!」
心臓がドクドクと脈打った。
ちょったしたパニック状態に陥っている千紘を余所に、あまりに唐突な提案をしてきた目の前の上級生は、まるで悪戯っ子のように微笑みながら続けて言った。
「だから、女ハンのマネージャーになってよ!」
ーーー続く
▼第二話
▼第三話
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?