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創画会の内情

小説家・黒川博行氏に『蒼煌』(文藝春秋、2004年11月)という小説があります。2007年11月に文春文庫から文庫化されています。
これは京都の日本画壇を舞台として日本芸術院会員の座をめぐる熾烈な権力闘争を描写した小説です。
この小説では日展は「邦展」、院展は「新展」、創画会は「燦紀会」という名称で登場し、実在の画家(例えば故・平山郁夫や絹谷幸二氏など)をモデルとした人物も登場します。
読んでいて全体として日本画壇の熾烈な権力闘争を実際よりやや大袈裟に書いている気もしましたが、日本画壇の構造自体はしっかり踏まえています。それはさておき、創画会(燦紀会)について他所で目にしたことがないちょっと気になる記述がありました。

「燦紀賞を三回受賞すれば会員になれる。邦展のような複雑なステップはないが、それだけに受賞がむずかしい。燦紀会は絵が売れはじめると入選しないという閉鎖的な傾向があるから若手が育ちにくい。海鴻美術館賞(筆者注:山種美術館賞と思われます)を受賞した会友の郷田昇が退会したのも、それが理由だった。」(文庫版 p.336)

フィクションではありますが、この部分はおそらく事実に即していると思われます。何故かと申しますと、創画会は才能のある所属画家が退会するケースが異様に多いからです。
具体的には現役に絞っても平松礼二氏、中野嘉之氏、森田りえ子氏、内田あぐり氏、安田育子氏、石踊達哉氏など、錚々たる大物日本画家が創画会を退会して無所属となっています(内田あぐり氏以外は会員になる前に退会していますので正確には退会した後に大物になったと言うべきなのかもしれませんが)。
千住博氏も東京藝大時代の師が故・稗田一穂であることもあってか、活動の初期の頃には創画展に出品していたそうです。
また、1990年代以降に日本画壇へのアンチテーゼとして美術評論家・北澤憲昭氏らのバックアップを受けて台頭した”現代アート系日本画家”にも活動の途中まで創画会に所属していた人が目立ちます(例:山本直彰氏、岡村桂三郎氏など)。
他の団体展では現役では日展の竹内浩一氏、院展の中島千波氏ぐらいしか大物の退会者を出していないことを考えると創画会の退会者の多さが際立ちます。

おそらく創画会には”出る杭を打つ”体質があり、それが嫌になって才能のある所属画家ほど退会するのでしょう。
サラリーマンコレクターとして知られる山本冬彦氏は10年ほど前、フェイスブックで「創画会は近年、レベルの低下が著しい」と述べていましたが、これだけ才能のある所属画家が退会すれば当然でしょう。
もし創画会に先程言及した悪しき体質が無ければ今頃、創画会は院展を凌ぐ人気美術団体に成長していたのではないかと悔やまれます。
終戦直後に日展を脱退した日本画壇の改革派によって結成され、かつては革新的な日本画家が多数在籍していた創画会(旧新制作協会日本画部)が何故このような体質に堕してしまったのかは非常に謎ですが。

因みに、黒川博行氏に『蒼煌』刊行当時の創画会の内情について手紙で問い合わせをしたのですが、返事を頂けませんでした。

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