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京都への逃避行。

その衝動は突然だった。
「私がいるのはここじゃない」と思った。
東京の自宅に缶詰状態になっている私は、”沖縄県・梅雨明け”のネット記事を見て、そう思ったのだ。特にニュースで話題となっていた沖縄という土地は大して重要ではなく、自然に囲まれた、今ここではない場所に行きたいという衝動に駆られた。

最初に、今自宅に缶詰状態になっている私について説明しよう。
私は解決しなければならない大きな問題を抱えていた。

東京の自宅は何一つ不自由もなければ、無駄もない。しかし、ただ難点なのは感情が平坦になっていくということだ。嬉しいことがあっても、悲しいことがあってもその感情がタイムリーなときに誰かと共有することはできないし、その逆も然りだ。たとえそれをメッセージアプリで送ったとしても、当たり前に返信にはラグが生じる。「嬉しい」と沸き立った気持ちは静かにしぼんでいく。
そういうことが何か月か続くと小さな喜びを見つけられないほどに感情は鈍化していった。
何に対しても「ふーん」と一歩引いて感じてしまい、自分で何が嬉しくて、何が苛立つのかが分からなくなっていた。感情を心電図のように記録できたなら、きっとほとんど上下への振れ幅はないだろう。

そんなときに“場所を移動したい“という衝動を押しつぶすのは「さすがにまずい」と思った。きっと自分が自分に出した最後の危険信号なのだと感じ、すぐさま行先を決めることにした。7月のカレンダーを確認するとまだ予定がまばらで余裕があったのだが、出発日を迎えるまでにこの気持ちが無に返ってしまいそうな気がして、慌てて6月のカレンダーを見る。
予定が詰まっているが、明日(水曜)から土曜までは偶然にも空白で、3泊4日ぐらいが丁度いいかと思いつつ、そこに決めた。そうともなれば今すぐに行先を決め、諸々の予約を済ませなければならない。

ただし私には抱えている仕事がいくつかあって、日中はパソコンに向かってないといけないので、自然に囲まれたいといっても最低限の職場と繋がっておけるネット環境は必須であった。それ以外の滞在先へのこだわりはなかったが、何となく「便利過ぎないところがいい」という気持ちはあった。それについては後ほど詳しく説明するとして、最終的に行先として選んだのは京都であった。

なんとも京都には人生6度目の訪問である。東京と実家のある宮城を除いて私の人生の中で最も訪れた土地で、年に一回はここの空気を吸いにきている。懇意にしている場所があるとかではなく、単純に街自体が肌に合っているのだと思う。一本路地を入れば森閑としており、また一本路地を抜けると人々の喧騒に取り囲まれる、そのような街の雰囲気が目まぐるしく変わる様が好き、それだけだ。あとは「せっかく来たから観光しないともったいない」という気持ちになると、作業に集中できないと思ったので、何度も訪れている京都は私の思う条件に合致する場所であった。

新幹線のチケットを取り、次は宿泊先の予約をしないといけない。幸い水曜から土曜までの滞在だったので、宿はとりやすい日程であった。過去の訪問で様々な宿に泊まった。ごく普通の全国展開されているビジネスホテルからかなり良いランクの宿まで、どのホテルもごく普通に便利だった、というか便利すぎていた。今までの滞在で一度も不自由さを感じたことはない。

ただ今回は「不自由さを味わってみたかった」のだ。
ホテルの一室ですべてが完結してしまうのならば、家にいるのと大して変わらない。
ある意味”部屋の外に出ないと生活が成り立たない”、そのぐらいが丁度よかったのである。
検索に「京都」「ワーケーション」の二単語を入力して、最初に目に入ったのが
”unknown kyoto”だ。元々あった遊郭を再生工事して出来たホテルで、

・共同シャワー → 湯に浸かることが好きなので絶対銭湯に行くはず。
・近くにコンビニがない → 5分くらい歩かないといけない。
・ルームサービス等がない → 絶対ご飯を食べに、又は買いにいく必要がある。きっとウーバーも無理。

という、心地よいぐらいの「理想の不自由さ」が備わったホテルであった。

即決であった。部屋で作業することもありそうなので、一応個室の部屋を選択した。
ここで一点付け加えると、引っ越し先の条件は築年数が最優先なくらい、私は古いものが苦手なのだ。それは綺麗とか汚いという話ではなくて、建物の歴史が長いということに引っかかっているのである。要するに、とても簡潔にいうと、幽霊が出そうなところが嫌いなのである。
それゆえに古い宿というのは敬遠していた。しかし、今回ばかりは
「たとえ遊女の霊が出たとしても、私も同じようなことをしていたし、まあ問題ないだろう。むしろ話が合いそうだし、面白そうだからいいや」という気持ちであった。多少なりとも共有できる何かがあると、幽霊に対しても親近感がわくのかもしれない。

実際に幽霊には出会えなかったが、毎朝目覚ましを付けずとも6:38に目を覚ましたというのは事実である。

さて、これで私は京都に行く既成事実を獲得したのである。あとは水曜の17:09の新幹線に乗って京都に行けばいいだけである。繋がれた鎖を外されたような、なんとも言えぬ解放感に満ち溢れていた。それほどに、この家から、この土地から、この押しつぶされそうな生活から逃げ出したかったのだ。



(1) 水曜日
もう夕方だというのに、キャリーケースを引いている私は汗だくであった。気温のせいもあったが、きっと荷物を焦って詰めて家を飛び出たのにも原因がありそうだ。無事に40分前に到着し、駅構内を徘徊し、新幹線の寒さ対策用のユニクロのパーカーと2時間の旅路のお供を購入する。ちなみにその日のお供はDEAN & DELUCAのイチジクのサンドとフルーツのパックで、飲み物は京都ブレンド。久々に私の中の約束を破ってしまった。それはパンを食べないということだ。どうしても脂質が気になるので避けていたが、その日は「もういい、食べてやる、くそくらえ」と思ったのでパンにした。

きっと自分の中で勝手に築いたルールを破りたかったのだろう、
今ではそう推測できる。とにかく東京にいる自分と違うことがしたかったのだ。
きっと宿もそうであった。

アマゾンプライムでダウンロードしていたワンピースの動画がちょうど終わるぐらいに、無事京都についた。立っているだけで生え際から汗がにじみ出るのは東京と変わりがなかった。京都駅で必要なシャンプーや歯磨きなどを買い込んで、乗客を待っているタクシーの先頭に飛び乗る。何故かトランクを開けてくれなくて、私の足元にキャリーケースが収納されたのだが、京都についた喜びにあふれている私にとっては、そんなことは大して気にならなかった。加えて高確率でタクシーの運転手の世間話を無視する私が、目の前にいる運転手と話を盛り上がるくらいには、上機嫌だった。
道中に「あそこらへん(ホテルの近辺)は民家が解体されて駐車場になっているから通れるようになった」と言っていた意味が後からわかるのはまた次の話だ。

タクシーの運転手がギリギリ通れそうな、狭い道を通ってくれたおかげで、暑さにやられることなく、ホテルの目の前に到着した。扉をあけると、女性のスタッフが二階から足早に降りてきた。簡単にホテルの説明をされ、支払いを済まし、領収書をもらう。そして部屋に案内される。
一階の一番奥の部屋。同じフロアに部屋は隣だけであり、共有のトイレも洗面所も気兼ねなく使えそうで胸をなでおろした。中はホームページの画像通りで、無駄がない、ベッドと簡易的な机があるだけの冷蔵庫すらついてない部屋。意識せずとも隣の部屋の音や上の階の足音が響く。なぜかその人の気配が心地よく感じた。

案内をしてくれた女性スタッフが「ごゆっくり」と部屋を後にし、私は扉をしめ、鍵をしめる。ガチャという鍵の閉める音と共に私の心は完全に解放された。それと同時に「いつもはやらないことをしたい」そう決めたのであった。

22年生きてきて敬遠しているものの中に「サウナ」というものがある。巷で流行っているらしいが、あまり興味の湧くものではなかった。ようやく1年ぐらい前にお湯に10分浸かり続けることが心地よいと思った私にとって、あんな熱気の立ち込めるサウナなどはもってのほかであった。整うためにあんなにも苦痛を味わう必要があるならば別にやらなくてよいというのが私の出した答えであった。「ただ挑戦せずにそう答えを出してよいのだろうか」とは心のどこかで感じていた。

今手元にある宿の人からもらった周辺地図に「サウナの梅湯」というものが載っていた。
どうやら調べてみると雑誌などにも取り上げられており、若めの主人が営んでいるらしい。
歩いて5分もかからない。東京から京都に移動してきた私はべたつく肌と疲労感を何とかしたい。判断を決するには時間はかからなかった。

リュックに必要なものだけをつめこみ、玄関を出る。時刻は20時すぎ。あたりは暗闇につつまれていて、明かりが点々とついている。こんなに暗い道を歩くのは久々であった。
ほどなくしてサウナの梅湯が見えてきた。色とりどりに光るネオンがまぶしかった。

若めの男の番頭さんにお金を払い、靴をしまう。ついでに薄い水色の方のポカリも購入した。
脱衣所にひとはまばらであった。手早く服を脱ぎ、洗い場に向かう。
シャワーの蛇口が見たことないかたちであったが、周囲に溶け込み見様見真似で操作する。
少し熱いお湯が身体を伝い、脳が休憩モードに切り替わる。
コロナもあって、水の流れる音しかしない。たまに聞こえるのは近所の知り合い同士の挨拶ぐらいだ。そういうコミュニケーションもあるのかとつい聞き耳を立ててしまった。一通り洗い終わり、湯に浸かる。至福の瞬間であった。
それと同時に一番奥にあるサウナ室に目をやる。誰もいないようだ。新幹線の中でサウナの手順については頭に入れておいたが、やはりサウナのドンみたいなのがいると「ローカルルールとかないよな」と不安になりそうだったので、安心した。

水気を拭い、いよいよサウナに入る。記憶の中のサウナほど苦しくはなかった。壁に掛けられているのは12分計なのかと気づく。とりあえず最初だから7分ほど頑張ろうと心に決めた。熱気に包まれながら「ああ、遠くにきたんだなあ」と実感した。違う場所にくるとこうも簡単に踏ん切りがつくのかと思った。「旅先だから」という言葉は私にとって免罪符みたいなものであった。あと3日、新しい何かに出会えたらいいなと考えていると時間があっという間に経過していた。サウナを出る。身体の奥から火照っている。熱が冷めないうちに汗を流し、水風呂に入る。

小学生の頃のプールの授業が思い出した。
初めての水風呂は大して気温が高くない日に入るプールで身震いしたあの感覚と同じだった。あの頃は早く上がりたいと思っていたが、今は違う。水と身体の境界が溶けていき、水の冷たさが気にならなくなっていた。1分ほどで外に出ると、妙にふわふわした感覚がした。
のちに友人に確認したがこの浮遊感を楽しむことが大事だったらしいが、初めての経験だったので驚いてしまった。身体の耐久値的にこの一回で満足し、風呂を出た。

身支度をすまし、外にでる。身も心もすっきりしたかのような気持ちであった。
何か食べようかと思ったが、今すぐ部屋に帰ってベッドに滑り込みたい気持ちが勝った。

その日は久々に泥のように眠った。何度も夜中に目を覚ます私にとっては久々のことであった。お守り代わりにもってきた常飲している睡眠薬の出番はどうやらなさそうである。

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これの後の文章は不慮の事故でデータが吹っ飛び復元できてないので、気が向いたら書きます。

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