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娘の泣き顔を「愛おしい」と思えるまでのこと

5歳の娘が、甘え泣きをするようになった。夫婦喧嘩でパパとママが大泣きしたと伝えた後なので、「泣きたいときは泣いていい」と思ってくれたのだろうか?


娘がもっと幼いとき……2、3歳位までの間、娘の泣き声が耐えられず、「泣かないで」と言ってしまったことがある。それも、何度も。

「泣かないで」と言いながら自分も泣く。そして娘が「ママ、ニコニコして」と泣く。それはもう、地獄絵図だった。

本当は「泣いていいよ」と言ってあげたいのに、「泣くな」と言ってしまう。心のままに生きてほしいのに、受け止められない。それを後悔しては、自分を責めた。

娘は娘で、泣いた後、必死に笑顔を見せることがあった。何をさせてるんだ私は。3歳そこらの子が、無理に笑わなくちゃいけない世界なんて、信じたくもない。

意を決して「泣かないで」は封印することにした。代わりとなる言葉を、必死で考えた。「安心して」「泣きたいんだね」など、とにかく「泣かないで」以外の言葉を。

どうしても耐えられないときには耳栓をつけて、「これがあるから、いくらでも泣いていいよ」と言った(私は聴覚過敏なのだ)。


5歳になった娘は知っている。

「泣いても伝わらないから、お口で言おうね。」

以前通った保育園でも、今の幼稚園でも、そう教えられているから。

困っているときや助けを求めているときに、言葉で伝える。誰かと生きていくためには、必要なスキルだろう。

けれども、だからと言って「泣くのがダメ」というわけではない。悲しいとき、つらいとき、胸が張り裂けそうなときに「泣くな」と言われる世界は、あまりにも生きにくいのではないか。

だからこそ娘には「泣いてもいいよ」と伝えかった。そのために、私自身が変わろうと思った。泣くべきときに泣けることは、きっと娘を守ってくれるはずだから。


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最近、甘え泣きをする娘の顔を見て、ホッとしている。

そして「懐かしいな」と思った。

こんな顔で泣いていたなぁ。泣き顔って赤ちゃんのときのままなんだな。

「愛おしいな」

ここまで5年かかった。なんて頑固な母親なのだろう。やっと……本当に、やっとだよ。

親の前で涙を見せてくれるなんて、そのうちなくなってしまうだろう。こうして泣いてくれるのは、あと何回ぐらいなのだろうか。

「たくさん泣いていいよ。」
「ママ、受け止めるよ。」

理想だけを追い求めたいわけではない。どう足掻いても、やさしく振る舞えない日もあるだろう。受け止めるどころか、うっかり喧嘩してしまう日もあるだろう。

それでも忘れないようにしたい。私に身を預けて、泣いてくれることの幸せ。それは当たり前なんかじゃないってことを。

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