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弟誕生。私の気持ちに気づく。

保育園に通っているとき、弟が産まれた。
この人生に対しての記憶があるのは、この辺りからだ。

「出かけるぞ」
父親が裏の勝手口を勢いよく開けて言った。
今から?夜なのに?
疑問を持つが早くしないと機嫌が悪くなり面倒だから急いで支度する。
とはいえ、保育園児の私は父親の機嫌を損ねるに十分だ。
なんとか父親の車に乗せられて、しばらく黙っていると、最近見ない母親のところへ向かうとのことだった。

父親の運転はあまり好きではない、気に入らない輩とすれ違うと悪態をつくのが、幼いながらに怖くて恥ずかしかったからだ。
チャイルドシートなんてない時代。
後部座席のシートに寝転がり顔面を座席に押し付け膝を抱えて時を過ぎるのを待つのが一番安全だった。
タバコの匂いが充満する車で到着したのは病院。
水色ベースの壁紙、小さなテレビ、白いパイプベットに母親はピンクの入院着を着ていた。

小さな生き物が大事に抱えられていた。
男の子だと言われた。弟だ。
薄暗い部屋に不釣り合いなキャッキャした声に、喜んで良いのだとわかった。
テレビに映された番組はアニメ。私のためだったのだろう。

父親は病室を出たり入ったりし、忙しそうだった。
母親はいつも通りぐったりしている。
嬉しいと言う気持ちはなかった覚えがある。
あぁ、気にすることが増えるんだな…はぁ疲れた。
複雑な気持ちだった。

その日は、アニメを見て帰ってきた。
母親は一緒ではない。
数日したら帰ってくるとのことだった。
ホッとした。

母親がいない間は、向かいに住む祖母が手伝いに来てくれた。
祖母の家には父親の兄家族が住んでいる。
あの家はよかった。保育園が終わり伯父の家で過ごす時間は本当に気が休まった。
息ができる。
私が居ることを許してくれているように感じた。
特に今思い返してもお客さま扱いをされていたわけではない。
「ごはんやに」「お風呂入ろか」と祖母にかけられる言葉
家でも毎日聞いていたはずの言葉なのに、全然違う。心地よかったのだ。
伯父家族の様子を見るのも好きだった。

「お、きとったんか」
と、必ず伯父は言う。
40年経った今でも同じトーン、同じリズムで声をかけてくれる。
伯父が仕事から帰ってくると夕食の時間だ。
伯母は看護師の仕事のため夜勤もあり、居ないことがほとんどだった。

食卓の準備が進む間、伯父はタバコを一本吸い、ビールが出てくるのを待つ。
従兄と従姉、私が席に着く。
準備中にやりとりされている従兄、従姉、伯父の会話が優しくて、ニコニコしてしまった。
「いただきます」
ドキドキして食べ進める。おかしい。
お兄ちゃんやお姉ちゃんがこんなに話しているのに怒られない。
食卓が賑やかだ。あれ?嫌な言葉がたくさん降ってこない。
普通にご飯を食べていても胸が苦しくなってこない。
あれ?なんて考えていると
「愛〜」
きたきたきたきた!
ごめんなさい!こぼしたかな!口開いてたかな!ちゃんと持ててなかったかな!泣きそうだ…
と、顔を上げると
「残さず食べろよ」
「ばぁちゃんの飯はうまいか?」
「おかわりしろよ」
伯父の言葉は鼻の奥がツンとするほど優しいものだった。

祖母が準備してくれたお味噌汁は豆腐とわかめの白みそのお味噌汁。
茶色のお椀に入った初めての色に戸惑ったが、優しい味で泣きそうになったのを覚えている。
おかわりをした。

そこで知る。
食事中も普通にしている従兄と従姉。
家族って怖くないんだな。
食卓って、苦しくないんだな。
嫌な時間じゃないんだな。

家に帰ると怒られないようにビクビク過ごし、真っ黒な気持ちでいっぱいになって押しつぶされそうになって、怖い気持ちでいっぱいになるのはなぜ?
あの家に帰るの怖い。
何を言われても心が痛くなるから嫌だ。

私の気持ちに気づいてしまった。

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