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はじまり


夜が終わってしまう
カーテンから漏れる光が白くなってきた
朝が来るのが怖い
感情が押しつぶされる時間が始まる
息が吸えてしまうことにガッカリし
起き上がることができない体を理性で無理やり動かし
重力を背負い込むように布団から這い出る
暗幕で包まれた心を、一生懸命キラキラの世界を模して脳をごまかす
私は大丈夫だと
そして満面の笑みで仕事場へ向かう
キラキラエネルギーを必死にかき集めながら長い夜が来ることを待つ
早く来い早く来いと

数年前まで最短で人生を終えるにはどうしたら良いか、
なにをしたら人生ゲームが終わってくれるのか、ばかり考えていた私。

そんな私が私として在るためにはどうしたらよいのか考え始め
心を取り戻し魂に力を取り戻していく感覚を確実に得たのは40歳の誕生日。

「私の名前は愛です」と
違和感なく言えるようになっていることに気づき
大きくフェーズが変わったことを再認識し
生まれて初めて、この先の人生を楽しみだと思えた瞬間だった。

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物心がついた時には、なぜここに産まれてきたのか疑問しかなかった。
たくさんの大人に聞いた。
どうしてこの環境に私は存在するのか、理由があるなら教えてと。
誰もまともに取り合ってくれなかった。
どうして私が産まれたの?
私ここに必要かな?
誰を満足させるために、何のために私は息をしているんだろうか。
そんなことを真面目に考えるようになったのは幼稚園生の時。(あぁ毎日めんどくさいに記載

小学生のときに宿題で、自分の名前の由来を家族に聞いてくる、というものがあった。
そして知った。
母から見せてもらった生まれたての赤ちゃんの写真の横に、ちょっとよそ行きの小綺麗な幸せいっぱいそうな字で書かれていた。
「誰からも愛されるように、誰をも愛することができるように」と。
名付けの理由を知った時から、自己紹介で名前を口にするたび不快感を伴うようになった。
そのうち名前を呼ばれるたびに心を一針一針刺すように苦痛を感じるようになった。
愛されていると感じられない、愛するということがどういうことか全くわからなかったからだ。
小学1年生が「愛」を理解し説明することは難しいだろう。でも、知っていた。
当時の私は感じられていないということを。

小学1年生の時には毎日繰り広げられる強制メンタルトレーニングに疲れ果て
この先30年間のベースを、諦めと絶望と設定してしまった私は、驚く量の問題を作りし解決してきた。

人様の幼少期のお話を伺うたびに、私の人生はなかなかバラエティに富んだハードな人生だったと認識。
最近どうやったらそんなに風に物事を捉えられるの?と質問をいただきくことが多くなり、シェアをさせていただく機会も増えた。
その度に、過去の経験が今の私の対応力を磨いてくれたんだなぁと感じる。

何か皆さまの参考になればと思い
私のものの見方をここで文章にすると決めた。
ひとりの女の子が自分を取り戻していく旅の備忘録として、ひとつひとつ進めていきます📖


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