MK-2023-0128-0201

回り諄い


「回り諄い」という言葉の説明には読んで字の如く回り諄さが伴う。何が言いたいかというと、誤解を避け、解り易い説明の遂行に関して意思疎通段階に於ける(日本風に言うと)「言霊」を与え、それに伴う感覚を相手の脳に植え付ける作業が本質にあるから。

名前の由来


高専本科で卒業研究の担当教員に幾度となく罵られた過去とこれに関する友人への相談と分析の結果及び個人的に持ち合わせた感性並びに左脳のRPMスコアの高さに起因する特殊能力だと認識し、回り諄さと名前の由来についての説明を終える。送り仮名を除いたのは名前っぽくするためだ。読み方は好きな様にして欲しい。「アボガドロ」でも「フルード」でも「へいはちろう」でも構わない読者に委ねる。参考までに私は「あいつ」と読んでいる。

登場経緯


この世界に姿を現したのは、思春期に表情の乏しさを搭載したため一元的な感情を二元的な文字でアウトプットする為であって、これができるようになれば三、四…と以降していきたい、つまり自己改善と成長過程であるため。というのが簡潔な回答である。

早速、持ち前の回り諄さを披露してしまったがこの先毎度のように突っ込んでいると話が進まないのでこれが最初で最後。回り諄さについてもう少し語ると、ここでした登場経緯も「自己改善と成長過程であるため。」だけでは学術論文みたいで非常に解り辛いし疲れる。勿論、論文がそのような体系を取る理由は理解しているので決して避難しているわけではない旨、御理解頂きます。


ここまでついてこれた読者には札束を贈呈したいが、文字通り札(フダ)の束なので誰も要らないだろうと先回りして贈呈イベントは中止にしておいた。以上文脈とワードセンス及びユーモアセンスについては御理解得たと認識し、コメント等是非頂けるのであれば和気+藹々=ワイワイしたコミュニティを形成したく、何卒、宜しくお願い申し上げますのビジネスメール的挨拶で終わり。

最後に


ちなみに、将来の夢は「死~不幸と共に~」の根絶です。

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