私の死生観
死にたい。
消えたい。
数ヶ月前はそれしか考えていなかった。
20歳でレイプされPTSDになり、21歳で浮気妊娠中絶され不安障害になり、22歳で元彼にDVされ全治2ヶ月以上の怪我とPTSD、記憶障害、解離性障害、統合失調症になった。
最後のそれがとどめだった。
幻聴や幻覚でリモコンを食べたこともあった。
だから生きていても辛いことしかなかった。
記憶障害で楽しかった記憶は全て失くなってしまったから。
私はなんのために生きているんだろう。
誰かを幸せにすることもできず、自分のことすら大切にしてあげられない。
誰かに愛される自分を認めるのが怖い。
私は弱くて脆い人間なんだと、自分の人生が物語ってる気がして、今の自分を愛してくれる家族の気持ちを受け止めることができない。
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私は、この辛かった2年間、ひとつのある曲に救われた。
DVから命からがら逃げて残ったものは、死にたくなるくらいの苦しい気持ちが毎日続く日常と、私を愛してくれる家族や友達の存在。
対極のように思えるけれど、今の私にとってはどちらも全てを受け止めきれず怖いもの。
苦しい気持ちと向き合い続けるのが怖いのは、自分が壊れていく様をまざまざと感じさせられるような気がするから。誰かの愛を受け止めること、自分を大切にすることが怖いのは、人の愛の脆さをこの数年間で身が痛むほどに突きつけられてきたから。
でも
負けたくない。
私が闘ってるものは、私自身の過去とそれを受けた今の私の心の中にある苦渋や悲哀。
誰かにつけられた傷、そんなものに屈したくない。
"私が私であるために”闘い抜きたい。
これを書いてる今、私は泣いています。
涙が溢れて止まらない。
だからきっとこれは本心なんだと思う。
人の気持ちは言葉にしないと伝わらない。
行動で示さないと伝わらない。
苦しい気持ちをひとりぼっちで抱えようとする自分に負けたくない。
だからここに私の今の心の全てを歴史としていつか振り返った時に思い出せるように記しておこう。記憶がまた失くなったときのために。
私はもう自分の気持ちに蓋をするのをやめる。
聴いてくれる人がいる限り、苦しい気持ちも優しい気持ちも感謝の言葉とともにずっと伝え続けていきたい。
これを読んでくれた人
本当にありがとう。
私を生かしてくれてありがとう。
死なせないでいてくれて、ありがとう。
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私の死生観は、人は人に生かされてるということ。それと同様に、人の心は人によって死ぬこともあるということ。全ての人の言葉や行動が人を作っているということ。
私はみんなの言葉に生かされている。
そして自分1人じゃ生きていけない人間は決して弱くなんかない。誰かに頼ったり心を委ねたりすることは、誰かを信じようと思える強さがないとできないことだから。
元彼に「お前は弱い人間だ」と2年半言われ続けてきたけれど、
私は決して弱くなんかない。
負けたくない、その一心で今こうして苦しい気持ちを誰かに聴いてもらうことができている。
それは私の言葉で手に入れた宝物。
みんながいてくれること、その存在が私の宝物。
その宝物を大切にすることが、未来の私のために今できること。
みんな本当に本当にありがとう。
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