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【小説】公平という名の未来〜『顔の美醜について』#10

『顔の美醜について』(原題:Liking What You See : A Documentary)は、短編集『あなたの人生の物語』に収録されているテッド・チャンの短編小説です。表題作の『あなたの人生の物語』は、映画にもなったテッド・チャンの代表作です。

テッド・チャンについて

テッド・チャンの短編作家としての力量については、スタージョン(小説よりもスタージョンの法則でよく知られるSF作家)や、ル・グィン(『ゲド戦記』や『闇の左手』で有名なSF・ファンタジー作家)と並び称されると言われています。また、SF作家のグレッグ・ベアは、「チャンを読まずにしてSFを語るなかれ」と賛辞を送ったそうです。

そう言われると、「そんな、必読書がまた増えてしまう」という悩みが出るのですが、安心してください。チャンは、2023年現在、日本では2冊しか出ていないので、読破しやすいです。しかもどちらも短編集というお得さ。これでSFが語れます。

チャンは、先日、記事を書いたグレッグ・イーガンに影響を受けているようで、ハードSF+スペキュレイティブという雰囲気がとてもよく似ているような感じがします。

あらすじ

そのチャンの短編集の中でも特に読みやすく、今の社会とマッチしていると感じるのが、今回ご紹介する『顔の美醜について』です。

この短編は、ルッキズム(外見至上主義)を無くすために、カリーアグノシア(美醜失認処置。通称:カリー。calli(カリー)がギリシア語語源の「美」という接頭語。)という顔の美醜についての認識を無くす処置が実現した社会が舞台です。その中で、ある大学でカリーの導入を義務付けることにかかる一連の騒動のドキュメントという形で、様々な人へのインタビューのコメントによって構成されている作品です。

インタビューの中心は、タメラという大学1年生の女子生徒です。彼女は幼少期からカリーをつけており、大学生になったら外そうと決意していたときに、大学でのカリー導入の議論に巻き込まれつけるべきか外すべきかを悩み、前のボーイフレンドとの関係のなかで、決断していくというストーリーになっています。

カリーとは

カリーは顔の美醜に関する判断だけを失認させる処置です。ニューロスタットというプログラム可能な薬剤を注入し、特定の部位のニューロスタットを活性化、非活性化させるプログラムができるヘルメットで、顔の美醜を判断する神経回路を閉鎖させることで、美醜失認を起こさせます。

どのような顔が美しいかは、時代や地域により異なると思われますが、作品中では、美についてはさまざまな文化圏でもある程度の共通したある種の傾向があるとしています。

例えば、滑らかな肌や左右対称といったことをあげています。

人々はその特徴から、これは美しいという認識を連想するのですが、カリーはその連想反応を、ニューロスタットの活性化によりストップさせることで美醜失認を引き起こします。

(そうなると、唇にはめたお皿の大きさが美人の基準というムルシ族のような美的感覚は、さすがにカリーでも失認させることが難しそうですね。。。)

この処置は、あくまで顔の美醜の判断のみを失認させるため、その人が誰かという顔の判別は問題なくできます。また、カリーによる副作用もほとんどないという設定です。

ルッキズムについて

ルッキズムは近年話題になっている社会問題のひとつです。
差別問題としてのルッキズムと言われるとあまり身近に感じないのですが、この小説では、広義のルッキズムとして、外見で様々な判断が影響されることに関する抗議というような意味のルッキズム批判がされています。

私たちはどうしてもある人の美しさというものを判断せずにはいられません。特に男性から女性への視線を往々にしてそのようなものを含んでいます。

現代的な感覚でいうとルッキズムは差別というよりも、差別以前の劣等感、不当感、抑圧の感覚であると言えるかもしれません。

また、明確に何か差別的な扱いを受けているわけではないのですが、自身の見た目によって、自信を持てなかったり、暗に不当な評価を得ているのではないかと感じてしまっている。そういう状況をルッキズムという言葉によって声が上げられていることが多いのではないでしょうか。

日常生活していく上での、心持ちというものそれ自体が見た目で左右されるとなると、それを取り除くというのは、極めて重要な事柄です。

現代では、顔の美醜の判断をできなくするというのは、不可能なので、ボディ・ポジティブムーーブメントといった、それぞれある美という画一的な評価基準ではなく、様々な美という個性を大事にしようといった流れがありますが、その人の認識を変えるのは至難の技です。

こういったことを考えるとカリーというのは、人工的にせよ、ある種の公平な社会を実現させるテクノロジーなのではないでしょうか。

カリーの導入に賛成ですか?反対ですか?

このカリーを、もし、現実世界で導入するとしたら、意外と賛成・反対は拮抗しそうな気がします。

この短編の中でも、賛成・反対双方の意見がバランスよく入って、しかもパッと思いつきそうな賛成・反対意見はほぼ用意されています。また、それぞれ賛成・反対の裏で動く利権などの様子も描かれており、リアルなインタビュー記事に感じます。

人の理性では、どうしても実現できない公平な社会を、もし、テクノロジーが実現してくれるなら、それは理想の社会なのか?それとも、悪夢のような社会なのか?

理性で制御できる問題をテクノロジーにより強制的に解決する。また、本来そこに存在しているものを不可視化する。
私たちが気持ち悪いと感じるのは、この点ではないのでしょうか。

不可視化というのは、SF小説でも大きなテーマです。
ディストピア小説あるあるは、様々な貧困や差別といった「問題」を権力やテクノロジーで不可視化するというのは、抑圧であり、悪夢のような社会です。
ただ、この小説が違うのは、これは「問題の根源」を不可視化するものです。起こっている問題をなくすのではなく、そもそもの問題を起こさせない。
つまり、問題の「予防」です。ある問題が起こる可能性を、どこまで「予防」していいのかというのは、実社会でも大きな論点ですが、問題がそもそも起こらない安全・安心な理想の社会であるとも考えることができます。

テクノロジーが社会や人間をどう変えるのかという問題が、ドキュメントタッチなので、ニュースをみているかのようなリアル感と読みやすさがあり、テッド・チャンを読み始めるのにおすすめの作品です。

参考文献

『現代思想 2021年11月号 特集=ルッキズムを考える』,青土社,2021年


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