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【小説】隠れたアシモフのベスト短編〜『夜来たる』#6

『夜来たる』(原題:Nightfall)はアイザック・アシモフが、1941年の21歳の時に発表した短編小説です。
アシモフといえば、ロボット三原則やファウンデーションが有名ですが、アシモフのベスト短編としてよく挙げられるのが、この『夜来たる』です。

(※短編小説の『夜来たる』は、ハヤカワ文庫から出ている同名の短編集『夜来たる』に収録されています。長編小説の方ではありません。。なお、早川書房から出版されている短編集『夜来たる』は、『Nightfall and Other Stories』(Doubleday)1969 に出版された20篇のうち、巻頭の5篇を訳出したものです。)

1978年の情報なので、今はどうなのか不明ですが、当時、英語圏の短編SFで史上最もリプリント回数のもっとも多い(もっともアンソロジーなどに掲載された)15回もリプリントされた作品です。

21歳という早い時期の作品が、ここまで評価され、なかなかそれ以上の傑作を生み出せないこともあり、アシモフは苛立ちを覚えていたようです。

だが、ここでひとつ打ち明けておかなければならないのだが、じつは、年を経るうちにわたしは、「夜来たる」がアシモフのベスト短編だと何度も繰り返していわれることにある種のいらだちを覚えるようになった。たしかに、文章作法について無知な点は昔も今も変わりはないが、結局のところ、実作経験を積むうちに、技法の点では、年ごとに進歩しているような気がしていたのである。

アイザック・アシモフ/美濃透『夜来たる』,早川書房,1986年,13ページ

短編集のため、『夜来たる』以外の作品も収録されていますが、この記事では、短編の『夜来たる』のみ内容を紹介し、その他の作品は、以下に作品名のみ紹介します。

  • 『緑の斑点』(原題:Green Patches)1950年

  • 『ホステス』(原題:Hostess)1951年

  • 『人間培養中』(原題:Breeds There a Man …?)1951年

  • 『C-シュート』(原題:C-Chute)1951年

秀一なワンアイデア

この小説は、アメリカの思想家で詩人のエマソンの次の詩から着想を得て執筆されました。

もし星が千年に一度、一夜のみに輝くとするならば、人々はいかにして神を信じ、崇拝し、幾世代にもわたって神の都の記憶を保ち続ければよいのだろうか。

エマーソン

この小説の舞台は、ラガシュという太陽が6個存在している惑星です。
そのため、ラガシュはいつも太陽が空に輝いており、夜が訪れない惑星となっています。

しかし、2049年ごとの周期で、最も暗い太陽がひとつだけ空に存在する時に日蝕がおき、半日の間は、その星は暗闇に包まれることになります。
その2049年ぶりの暗闇が来るのを待ち受ける人々の終末を描いた作品です。
(単的に言うと、夜がこない星に夜がきて大混乱と言うお話で、「城之内死す」のようなタイトルでのネタバレ感があります。)

この作品の素晴らしいところはなんと言っても、夜が2049年に一度半日しか来ないというワンアイデアで小説の世界観を巧みに構築していることです。

太陽がいっぱい

SF映画では、太陽がふたつあるという地球じゃない感を出す演出がされる時があります。(例えば、スターウォーズのタトゥイーン)

地球に住んでいると一つの太陽が地平線から昇り朝が来て、太陽が沈み夜がきます。これが普通かと思ってしまいますが、意外と宇宙の中では普通ではありません。

実は全ての恒星の少なくとも半数以上は、「連星」(恒星が2個の組み合わせで存在していること)と言われています。つまり、この連星の近くにある惑星から見ると、太陽は2つ以上見えることが多いのです。なお、現時点でわかっている最多の多重連星は7重連星だそうです。

そのため、太陽がひとつじゃないことは意外と一般的のようです。
こういった現実でもありえそうというバランス感で世界観が設定されています。

しかし、太陽が6つもあると言うことは、当然、その星から受ける影響も複雑です。そもそも6連星でハビタブルゾーン(水が存在している範囲)にあることも当然難しくなります。

また、一日をどう定義するのかも難しい問題のように思います。
ある一つの太陽の周期で1日と計算するんでしょうか。。

なお、太陽が複数ある時にカレンダーはどんなカレンダーになるのかといった話は、ページ下部の参考文献にある『宇宙人と出会う前に読む本』に記載がありますので、是非、合わせて読んでみてください。

もし、夜が来なければ?

この小説の面白さは、まさにSF的な発想の面白さだと思います。
それは、もし、○○な世界だったら、世界はこうなっているだろうという想像力で話を発展していく面白さです。

例えば、夜が来ることをどう表現しているかというと。

「カルト教徒の言い伝えでは、二千五十年ごとにラガッシュは巨大な洞窟の中に入るため、太陽はすべて消えうせ、全世界が全き暗闇に塞されると言う。そして、かれらによれば、”星々”と呼ばれるものが現れて、人間たちから魂を奪い、かれらを理性のない獣に変えてしまうため、人類はみずからが築いた文明を自分の手で破壊しつくすのだという。(中略)」

アイザック・アシモフ/美濃透『夜来たる』,早川書房,1986年,27~28ページ

「ところで、きみは、”暗黒”ってものを経験したことがあるかね?」
(中略)
「要するに光がないだけでしょ。洞窟の中にいる時みたいに」
「洞窟の中に入ったことがあるのかね?」
「洞窟にもちろん、ありませんよ」
「そんなことだろうと思った。わたしはちゃんと入って見たよ、先週ーーいちおう、経験のためにね。だがすぐに退散したよ。それでも、洞窟の入口が。遠くでかすかに光って見えるところまでは奥に入ったみた。そこだと、入口の光以外はまったくの闇だ。わたしぐらい太った人間があれほど速く走れるとは自分でも思ってもみなかったな」

同,33ページ

と言った表現がされていて、流石にこれは飛ばしすぎだろという勢いがあって面白いです。(これが若さか。。)

また、夜が来ないことで起こりうる現代との相違ですが、
例えば、科学の面でいうと、作品中では夜がこないことで、そもそも空には無数の星々があることを知らないため、天文学の発展が難しかったり、照明関係の技術が全くと言っていいほど(松明くらい)なかったりと言った状況でした。
また、宗教の面で考えると、冒頭のエマーソンの詩にあるように人々はいかに神を信じるのでしょうか。古代から人々は天体を観測し、そこに神の存在を想像してきました。現在の世界で一神教が栄えているのと、太陽がひとつなのは関係があるのでしょうか。作品中には、はっきりとした記載がないですが、太陽が複数あることで多神教が栄えているのかもしれません。

他にもこの小説は70ページ弱で、あまり細かい描写が描かれていません。
そのため、細かい描写から色々と想像の余地があるところも、読んだ後の余韻を残しており、魅力があります。

例えば、ラガシュに住んでいる人の外見に対する描写がほとんどないですが、学者とか新聞記者という普通の職業が出てくるため、てっきり人間と同じ外見と思ってしまいそうですが、何も語られていないところに怪しさがあります。また、登場人物の名前が「エイトン七七」「セリモン七六二」と言った独特な名前になっています。ファミリー?orファースト?ネーム+数字と言うのも考えてみると何か意味がありそうです。

短編ですが、夜が来たラガシュの人々がどうなるかと言ったドキドキと、ザ・SFの魅力を詰め込んだ小説ですし、ラストの夜が来た時のセリフが、かなりエモいセリフになっているので、もっと世間に広まって欲しい作品です。

参考文献

  • 高水裕一『宇宙人と出会う前に読む本』,講談社,2021年

  • 鳴沢真也『連星からみた宇宙』,講談社,2020年

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