第8席

 私は、心が怯えていた。
 世の中に対して。
 
 常に人に愚痴を言い、感情を垂れ流し、理性で制御することが出来ないように見える一方で、私は本当の気持ちを誰にも言うことが出来なかった。家族にも、友人にも。
 私が今歩んでいる道は私が選びたかった道ではない。ずっと目標としていた道は家族から反対された。ある大学の文学部に入学したいとずっと中学の頃から努力していた。
「許さない」その一言で私の夢は崩れ落ちた。

 私の中には何人かの自分が居て、一人は「やりたかったのなら、反対を押し切ってでもやれば良かったじゃない。人のせいにしてるだけ」と言う。
 もう一人は「もし、あの時、文学部に行きたいと言わなければ、そもそも家族に夢なんて語らなければ」と言う。
 それと同時に大学時代の友人に言われた「何がしたいの?人の気持ちばかりで、自分の意志はどこにあるの」と言う言葉が頭のなかで反響する。

 私にとって、その子は友人だった。少なくとも友人であり続けられるよう、私なりに努力していた。

 私にとって家族や友人はそんなものだ。
 私のことを思っている、と口先では言いながら、利用しようとしたり、腹の中では違うことを考えている。

 
 「気軽に付き合えばいい」「その時だけ仲よくすればいい」
 当たり前のように言われることが、私には出来なかったのだ。そして、今も。

 「なぜ出来ないの」「○○ちゃんは出来ているのに」「我が強い、周りの言葉を聞いて」
言われたことを聴いて、直した。

「自分がない」「もっと堂々として」
と言われた。

それは直そうとした前の自分だった。

私は気付いたのだ、他の誰かは、その人にとって理想的な「わたし」を求めているだけで、「私本人を見ていないのだ」と。

親にとって、『意志のある私』は邪魔なのだ。
「ステータスを持ち、親が自慢することができる存在。あわよくば言いなりになる存在」が欲しいのだ。


私は、きっと気付いていた。
だが、知らないふりをした。

なぜか?
「優しい自分」を演じたかったのではない。「親のことを大切にする自分は、家族に愛されている」と思いたかったのだ。
 
私は愛されていない、そのことを分かるのが怖かった。

現実を見るには、仕事が忙しく、現実と向き合うのには、仕事で力を使い尽くしていた。
現実と向き合い、変えるには、人を傷つけるのが怖かった。
すべて偽物だと知っていたから。

大切にしていた人に非難され、嫌いだと言われる。傷ついてもいいはずなのに、大切な人から、私という友人を奪ってしまうことを申し訳ないと、真剣に思っていた。

全く価値のない私自身にとって、それは大変罪深いことだった。

「こんな私のことを大切にしてくれる人たちを裏切るなんて」

私は一番、自分のことを大切にしていなかった。

私が初めて行った、その落語会は30分×4人という分かりやすい時間配分だった。
 フカフカの紅い座席にもたれてみた。客席が傾斜になっていた。ステージは見やすかった。
 
初めて見る落語の会場に重なるように、私の頭の中では、過去のある場面が再生された。
「姉の代は、文化祭に話題の芸能人が来てくれてよかった。姉はやっぱり運がいい」
「兄××は先生に恵まれ、修学旅行でミュージカルを見に行けた」

 そう嬉しそうに話す母の目に、私は映っていなかった。隣にいるのに。兄弟の誰かよりも時間を作っているのに。
いつも母は見ていた。そこにいない人たちを。
『一方お前は』言いたいことはそれだったのだ。

 私は愛されない。愛される資格がない。私に悪いところがあるから、愛されないのだ。
 すべて私が悪いのだ。
 悪いところを直せばきっと愛されるはず。

 
 割れた音が鳴り響いた。
 私は現実に引き戻された。

 会場に対して大きすぎる音は、はっきり言って不快だった。 
太鼓と笛の音。ライブ会場にありがちな、ステージの両端にある四角いスピーカー。

照明が落とされ、ステージの中央にライトが当てられる。
 
 どうやら始めるようだ。

 きっと今日も上手くいかない、だって私はついてないから。

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