のっとん
※書けるまで待つと書けないので、1000字の小編と決めて書き始めてみる。 ゆりこは雨の日が嫌いだ。大嫌いだ。 楽しいお出かけの日は、いつの雨だった。例えばデート、チケットを取ったライブの日…。 そして祖父の死の日も雨だった。 雨はいつもゆりこに暗鬱で、不幸なイメージとを結びついた。 嫌な出来事=雨、雨=嫌な出来事が起こる。 その印象は小学校に入る前からゆりこに根付き、高校、大学とより印象を濃くした。 ゆりこは会社員になった。 雨の日に外に出なくていい仕事
写真を撮ることは、小説を書くのよりは上手い、と思う。 どこか綺麗な印刷業者さんはいらっしゃらないかしら。こっちは自分の内面が出るものはないから、何人かに配ろう。
本当に拙い小説たちだけど、いつか個人誌作ろう。自分が読むためだから一部か二部。 ネット上から削除しても、また読めるように。
あることに気付いた。ずっと苦しめられてきたことの原因に。 すぐに事実だけを書いて誤解されたくない。 だからまだ眠らせる。 いつか外に発表できる日は来るのだろうか? 黙ったまま、あるいは簡単に発言して誤解されたまま、死ぬのだろうか。
睡眠薬を飲むことがやめられない。 生きていたくないし、冷静な時間を少しでも減らしたいから。 かなりギリギリの状態だとは思っている。
ちょっとだけ小説を書いた。どこに投稿したものか…。
X(旧Twitter)である呟きに反応したところ、変な人に絡まれてしまった。 それについて、本当は色々と書きたいことがある。だけど書けば書くほど誤解されるような気がして、その結果何も言えない。 言葉が少なければ少ないほど、当たり前であれば当たり前であるほど批判は少ないから。
ごくごく稀にたまらなく寂しくなる夜が来る。 一人で生きるってこういうことなんだろうな。慣れていかないとな。 年だけ重ねても十代の自分がずっと内側にいる。
命に貴賎はないのだろうけど、死んで悔やまれる人もいれば、「人身事故なんて迷惑だ」と言われる人もいるわけだ。 私はそのどちらでもなく、〇〇死去の文字として認識されるだけなんだろうなぁ。
カノコは暇だった。 暇で暇で仕方なかった。三度目の大学四年生がつまらなかったのではない。 配属されて3年、古株の新人のなったからでももちろんない。 なお、同期は今年大学院二年生で、就職する者は内定が決まり、博士課程に進む者は進学先が決まっていた。 そのせいで不貞腐れていたのでもない。 なぜならばカノコは就活がめっぽう得意であったからだ。 これはカノコでも驚くべきことだった。 留年しているのに、過去二年は内定が出たのである。 一年目はまだしも、昨年は、 「留年しました」 「
私は親から「そのままでいい」って言われたこともなく、希望する学部も「許さん」と言われて行かせてもらえなかったクチなんだけど、前者と後者、どっちの家庭の割合が多いんだろう? ちなみに文系志望だったのに理系に進みました。(自分の希望ではなく、家庭の事情で)
外側からみて元気そうな人間が、いつも元気なわけじゃない。 もし私が死んだら、周りはなんというのだろう? 相談してほしかった?悩んだいることに気付かなかった? 面白おかしく消費され、すぐに忘れ去られる。 居たことさえも誰の記憶にも残らない。
生きているこの苦しみを忘れることでしか生きていけない。 苦しみを忘れ、生きるために私は享楽に走る。 外から見ると自暴自棄に見えるかもしれないが、死なないようにするためにはそのようにして正気を失わせるしかないのだ。
残念ながら生きている。 この先は分からない。 もし望みが叶うなら、いつか自分の望む時に痛みも苦しみも中途半端な生もなく、綺麗さっぱり死なせてほしい。 それが許されるならすべて真っ新にしてこの世からいなくなるから。
お金が潤沢にあったら死ぬことを選ばなかっただろうか? 私の苦しみはお金で取り除けるのだとしたら、死にたいと思うこの苦しみはただの甘えなのだろうか。 死にたいと思うことすら許されないのだろうか。
楽しんで生きている人を見ると、ほんの少し目を閉じたくなる。 彼らと私の生きる世界は違うから。