※書けるまで待つと書けないので、1000字の小編と決めて書き始めてみる。

 ゆりこは雨の日が嫌いだ。大嫌いだ。
 楽しいお出かけの日は、いつの雨だった。例えばデート、チケットを取ったライブの日…。
 そして祖父の死の日も雨だった。
 雨はいつもゆりこに暗鬱で、不幸なイメージとを結びついた。
 嫌な出来事=雨、雨=嫌な出来事が起こる。
 その印象は小学校に入る前からゆりこに根付き、高校、大学とより印象を濃くした。
 
 ゆりこは会社員になった。
 雨の日に外に出なくていい仕事、雨に左右されない仕事として、事務職を選んだ。
 入社式の時、雨が降った。
最初の会社は、やはり数か月でいじめに遭い、辞めてしまった。
 
ゆりこの雨信仰を両親も笑えなくなった。これは本当に雨に恨まれているのかもしれない。ゆりこの両親は近所の人に聞き、霊験あらたかな新興宗教の教祖のもとを訪ねた
プラスチックでできたお守りに紐を通したのを渡して、これをかければ雨の不幸が無力化するでしょうと言った。
その帰り道、雨が降った。両親とゆりこの乗った車は事故を起こした。
お守りを捨てた。

京都の昔ながらの寺にいったが、同じだった。ただ事故が起こらないだけ、マシだった。

 両親とゆりこは悩んだ結果、大学の事務員の仕事に就くことにした。
 雨の日に左右されず、比較的、他の人に迷惑をかけないのではないかと思ったからだ。
 
 ゆりこがこの職場についてもう2年になる。
保守的な大学の事務職はハラスメントが依然残っていたが、ゆりこの前の職場のいじめに比べれば、笑って黙っていれば嵐のようにゆりこの前を過ぎ去るものだった。
大学院卒、新卒の新人が入った。その子は「大事な日はいつもいい天気だ」という。
成人式の大雪の日も、その子が写真撮影をする時間帯だけ晴れ渡ったらしい。

夕立も、その子が家に帰るまで降らないという。

 ゆりこは思った。二人が付き合ったらどうなるのだろうか?と。
 早速、その子、雄一を飲みに誘った。恋愛経験がほぼないという雄一は喜んできた。
 周りの職員は積極的なゆりこに目を丸くした。
 その日は春の柔らかい風が吹く日だった。

 雄一とゆりこは、大学の生徒に会うのを恐れ、隣駅のチェーンの居酒屋に入った。
 ゆりこは付き合わないかと聞いた。
 雄一は驚いて、カシスオレンジを盛大にこぼし、真新しいスーツのズボンをしたたかに濡らした。

デートの日は曇り空だった。
雄一もゆりこも、初めてのことだと驚いた。
雄一は晴れなかったことが、ゆりこは雨でなかったことが。
二人は楽しんだ。ゆりこは海に行きたいといった。いつも海に行く日は雨で入れたことがないから、といった。三回目のデートのときに、いつも雨が降ることを伝えた。
雄一はなるほど、だから言ったのかと納得したようだった。
その日、雄一とセックスをした。

目が覚めた時、ぼんやりとした気持ちになった。雄一も一緒だと言った。
二人でホテルの1階でバターロールとサラダの朝食を食べた。コーヒーを飲んでも気持ちは晴れなかった。

その日も曇りだった。気持ちが晴れないまま、北欧の大型家具店でウィンドウショッピングをしたが、気持ちは晴れない。
フードコートでシナモンロールと白ワインを二人で分け合いながら、なぜだろうと話し合った。
雨と晴れがけんかをしているのかもしれない、と雄一が言った。
そんな馬鹿な、とは笑えなかった。雨の恐ろしさを知っているから。

じゃあどうしたらいいの、とゆりこは問いかけた。
知らないよ、と雄一は答え、外を走るモノレールに視線を投げかけた。
 二人とも疲れているのかもしれない、出直そうよ、と雄一は言って、白ワインを飲み干した。

 ゆりこと雄一が付き合っていることは比較的早く、職場に知れ渡った。
 若い二人をからかうものの、若い人がいない職場ゆえ仕方がないと周りも黙認した。
 
 ゆりこは雨が降っていた時と今とどちらが幸せか、分からなくなった。
 ゆりこにとって、雨は幸せを邪魔するものだった。
 だめなときは雨が降る。幸せな時も雨が降る。
 雨が降る道は選んではならない。その判断基準がなくなってしまった。

 ゆりこは一つ一つ、自分の人生の選択を考えなくてはいけなくなった。人生の責任を雨に押し付けることができなくなった。
 
 他の人は、産まれてから、自我が出来てから、こんな大変な生活を送っていたのかと驚いた。
 ゆりこにとって、雨は意味をなくした代わりに、大事な啓示も与えなくなってしまったのだ。

 雄一と出掛けるときの曇り空と同じように、ゆりこの気持ちは薄ぼんやりとして、幸せでも不幸せでもない、普通の人生に投げ出されてしまった。
 それがいいようもないほど、恐ろしかった。
 同時に、幸せだった。
 望んだ生活は本当にこれだったのか、と今でも不安になる。

 そうか、と気づいた。
 ゆりこの心を占めるものは、不安なのだ、と。

 雄一の心を占めるものは何だろうか? と考えている。
 湯気のたったカフェラテのように、考えれば考えるほど分からなくなってしまう。

 雄一は温かかった。今でも。これからも。

(1987字)

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