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母の日に、母になった日を思う。

私が母になった日は、2015年の9月29日。

第一子を産んだ日ではない。
初めてエコーで小さいマルを見て、赤ちゃんがいると知った日だ。
そして母になって12日。
私は子どもを失った。流産してしまった。

たったの12日間の母。

今思えば母親の"カン"だったのか、妊娠が分かった時もしかしたらダメかもしれないと不安で不安で仕方なかった。

まだつわりもなく、もちろん胎動もなくて、母親としての身体の実感は一つもなかった。
それなのに喪失感は大きく、狂う程に悲しかった。
ただただ悲しかった。

あの年は看護師1年目で、まだ仕事に慣れず残業も多く、夜勤もやっていた。
初期流産の原因のほとんどは胎児にあると専門書に書いてあった。それでもやはり、自分に非があったのではと考えてしまった。

なんでこうなったのか原因が分からないということがこんなに辛いとは知らなかった。
原因を知ったところで、赤ちゃんが戻ってくる訳ではないのに、頭の中から消しても浮かんでくる「なぜ?」に苦しんだ。

なんでダメだったの?
赤ちゃんが無事に産まれる為なら何でもするのに!
何もできないの?

努力ではどうにもならないことがある、と初めて気づいた。それまで大きな病気もせず、災害にも合わず、人生努力すれば報われてなんとかなると思っていた。それまでの人生、たまたま思い通りにやってこれていたと言う事に気づかされた。

この無力感も、悲しみも、寂しさも、孤独感も、つらさも、感情の経験全てが赤ちゃんからの贈り物に思えて、よく分からない愛おしさで涙が止まらなかった。

冷静に考えれば、流産したことに意味を持たせたかったんだと思う。意味付けしなければ、悲しみから抜け出せなかった。


あれからそろそろ5年。

二人の子どもに恵まれて、母親5年目になった。

新型コロナウイルスの騒ぎの中、職業上、いつ自分も感染するか分からない。
死にたくはないが、家族に会えないまま死別する可能性はあるので、初めて遺書を書いた。

遺書を書きながら驚いた。

私、今死んでも後悔がない…

残してしまう夫や子ども達の苦労や感情を思うと胸が痛い。
だけど、もっとコレがしたかった!もっとこうしてあげたかった!とか言う感情が出てこない。

あれ?本当に?自分強がってない?
と思いつつ、なぜなのか考えてみた。

流産を経験して、努力ではどうにもならないことがあると学んだ。
だからこそ「努力でき得ることは全てやってやろう!」と行動してきたのだ。

やれる範囲でやりたいことを精一杯やって来れた。

大好きな人の家族になり、子どもにも出会えた。
それだけで私の人生十分だと思える。

なりたかったいつも笑顔で優しい母親からは程遠く、悩む毎日だし、子どもに充分なお金も、良い思い出も残せてない。だけど後悔はしていない。

もっとこうしていればって後悔を考えることの辛さと無意味さを、味わったし、もうそういうことを考えたくないと言う気持ちもある。

なんで自分がこんな目に…とか思うこともない。
そう考えても悲しみから逃れられないことも学んだのだ。


そしてもう一つ遺書書きながら驚いた。

死ぬのが怖くない…みたい

痛いとか苦しいとか死に方は気になるし、苦痛は怖いが、死ぬこと自体は怖くないように思う。

私はあの世を信じてて、あの世に行けば産めなかった赤ちゃんに会えると確信している。
そしてそれを楽しみにしている。

だから死んで家族としばらく会えないのは辛いけど、みんないつか死ぬから、いつか会えると思っている。

遺書には"赤ちゃんと一緒に天国で待ってるね"と書いておいた。
文章にするとサイコパスなヤバイ感じがする…。
だけど本気でそう思っている。

今日まで後悔なく生きてこれているのも、死ぬのがそんなに怖くないのも、私を母にしてくれたあの12日間があったからだと思う。

私は母の日が苦手だ。
ありがとうと言うのが気恥ずかしいのと、母の日のプレゼントを期待してる母が気恥ずかしく思えるからだ。

新型コロナウイルスを何とか乗り越えられて、数年経ったら、上の子は母の日の存在を知るだろう。

母の日はお母さんありがとうの日なんだけど、
私は"お母さんにしてくれてありがとう"って言いたい。



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