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令和阿房列車論~その5ヒマラヤ山系さん(1)

『阿房列車』といえばヒマラヤ山系こと平山三郎先生を抜きにしては語ることは出来ません。

まず、百閒先生が何故平山先生をお供にしたのか?というのが『阿房列車』の作品を読んで疑問に思ったことが、このコラムを書くきっかけです。

百閒作品の沼にちょっと突っ込んだ人間が語るのもおこがましいかもしれませんけれども、百閒先生が当時ご高齢とはいえ、まだ若かった平山先生が随行するという構図に始めは違和感を覚えました。

私の尊敬する作家の一人で国鉄全線完乗を果たし、のちに紀行作家になった宮脇俊三先生は「一人旅」というスタイルが主だったのに対して百閒先生は平山先生と共に旅行するスタイルを貫いています。

そのうえ、二人旅でありながらその道中は和気あいあいというものでもなく淡々としていることに違和感を感じます。

作品の中でよくある表現で、百閒先生は平山先生のことを『曖昧な』と表しています。また、百閒先生の問いかけに対して『はぁ』という生返事のような対応も数多く見られます。

そんな曖昧な人間を連れて何日もの間、列車に長時間揺られたり宿屋で泊まったり出来ることが、令和の時代を生きるものとして違和感を感じるのです。

いま、私は『第三阿房列車(新潮文庫)』を読んでいるところですが、あるメディアで平山先生の『実歴阿房列車先生(中公文庫)』という作品があることを知りました。この作品を読まないことにはヒマラヤ山系こと平山先生を論ずることはできないと思い、今日書店で購入しました。

これから『阿房列車』の沼に入る方にぜひおすすめしたい一冊ですが、私もこれから読むところなので百閒先生と平山先生との関わりを探求したいと思います。

~続く

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