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我が善き片羽

 ケンジ君が亡くなり、不思議なことに幽霊となって戻ってきて、ずっと一緒に居られるかと思っていたら、彼は二、三日でわたしの許から去って行ってしまった。
 消えてしまった訳ではなく、中学からの親友である今井数見さんの処へ移っただけだった。何故わたしの許からそちらへ行ってしまったのかと謂うと、わたしがケンジ君の生きていた時と同じように振る舞っていたので、将来を考えて離れたのだという。
 そして彼は、わたしと今井さんがつき合うことを希望した。
 戸惑ってしまった。今井さんのことはケンジ君の親友としか思っていなかったし、特に男性として見ていなかったのだ。
 彼は背が高く、華奢なケンジ君と違って痩せてはいるものの、男性的な感じである。わたしが親しくしていた男のひとは、ケンジ君と今井さん以外だと彼のアパートの隣人である來河池直樹さんだけで、このひとは女の子と見間違えるくらいの容貌をしていた。そして可愛らしい恋人が確乎り居る。居なかったとしても、つき合いたいとは思わない。良いひとではあるのだが。
 そもそもケンジ君の容姿が非常に女性的だったのだ。髪を無造作に伸ばしていて、顔が半分隠れていたけれど、かき上げるのが癖で、そうすると青白い端正な面が現れる。ガリガリと云ってもいいほど華奢で細いのに、顔はげっそりと痩けておらず、本当にきれいな顔立ちをしていた。
 性格はその外見と裏腹で実に男らしく、言葉遣いもかなり乱暴である。それは直樹さんも同じだった。今井さんもどちらかと謂うと荒っぽい言葉遣いだったが、就職したら改まってきた。
 今井さんが大学を卒業するのを待つばかりの春先の或る日、唐突に電話を掛けてきた。何かと思ったら、閑だったら食事でもしないかと謂うことだった。それまで彼からそんな誘いを受けたことがなかったので驚いてしまった。
 大学の食堂で一緒に食事をしたことはあるものの、それ以外の場所ではふたりきりになったことすらなかった。彼と一緒に居るケンジ君が頼んだのだろうとは思ったけれど、無下に断る訳にもいかず承諾した。
 男のひとと出掛けるのはケンジ君が死んで以来のことである。少しうきうきして服を選び、はじめて化粧をした。
 場所は中央区のビストロのような店だった。ケンジ君とこんな洒落た処へ行ったことはない。彼は苦学生だったので、外で食べるといったらアパートの近くの洋食屋か古びた喫茶店くらいだったのだ。
 ケンジ君はかなりのヘビースモーカーだったが、今井さんもよく煙草を喫った。それなのに、店は禁煙だった。わたしに気を遣ってくれたのだろうか。
 斯う謂った店によく来るのかと訊ねたら、こんな処には来たことがないと笑っていた。
「せっかくエミちゃんを誘うのに、薄汚い居酒屋じゃ悪いからね」
「映研の宴会で行くから慣れてるけど」
「あはは、喜乃八か。彼処はきれいな方だよ」
「そうなんだ、他には行ったことないから」
 縄のれんなんかおっさんしか居なくて汚いよ、と今井さんは云った。冷たそうな顔立ちをしているが、優しくて穏やかなひとだった。ケンジ君とは正反対の容姿をしているけれど、性格はよく似ているような気がした。
 彼は自動車関連の会社で技術者として働くことになっている。ケンジ君は理数系が苦手だったけれど、今井さんはそちら方面に優れていて、学部も工学部だった。映画研究会のひとたちが彼らを「ふたりひと組」と云っていたが、本当にその通りだった。互いの足りない部分を補い合っているような感じがする。
 我が善き片羽、と謂う言葉を思い出した。これは仲のいい夫婦が伴侶に対して称するものだが、ケンジ君と今井さんはひと組の羽のようだった。どちらが欠けても羽ばたくことが出来ない。そんなふたりが羨ましかった。


 それから今井さんとふたりで時々会うようになった。今井さんは仕事が忙しいので大抵は土日だったけれど、レストランや観劇に連れて行ってくれた。大人のおつき合いと謂うのはこんなものなのか、と思った。とは謂っても、会って話すだけでそれ以上の関係にはならなかった。
 話すこともケンジ君のことが多くなる。何うしてもふたりの間には彼の存在が大きくのしかかっていた。
 それでも時が経つとともにケンジ君の話題は少なくなり、ふたりのことを話すようになった。その頃、わたしは父の病院の手伝いをしていた。手伝いと謂っても、専門知識が殆ど必要ないホームページの管理や、そこに新しく認可された医薬品の紹介記事を書く程度である。
 今井さんの仕事はわたしには難し過ぎてよく判らなかったが、車の展示会などに連れて行ってもらった。そう謂う時はケンジ君も連れ出すのだが、彼は車のことを殆ど知らないので、今井さんの失笑を買っていた。彼が車やその他の娯楽嗜好品についての知識が乏しいのは致し方ない。
 なにしろ寝る間も惜しんで学費と生活費を稼いでおり、住まうアパートにはテレビもコンピューター機器も、余計なものは一切所有していなかったのだ。当然、車の免許もない。公共交通機関が発達している地域に居住していれば、それは珍しいことではない。とは謂うものの、大多数の若者が体験し、興じる娯楽を、ケンジ君は味わうことなく亡くなってしまった。
 それが今井さんとわたしが共通して悔やむ事柄だった。何故彼が生きている時に、そうした愉しみを少しでも体験させてやらなかったのだろうと。しかしこの思いは、よく考えてみると実に傲慢なものである。我ながら、何様のつもりだと思える。彼はそんな経験をしなくとも不満など覚えず、世間のことなど気にもしない感じで生きていたのだ。
 ケンジ君は自分を認識している人間と接触していないとものに触れないのに、何故か今井さんの家のものだけ弄れるので、ずっと家事をしていた。あいつは図々しくひとを家政婦扱いにしていると云っていたが、何も出来ない状態よりいいのではないかと思った。それに、生きていた時より雰囲気が明くるくなった。
 いつものように今井さんと食事をしたあと、彼のアパートに近かったので寄らせてもらった。ケンジ君が居るかと思っていたのに、留守にしていた。何処に行っているのかと訊ねたら、わたしと会う時はいつも家に居ないとのことである。遠慮しているのだろうか。
 水尾がなんでもやってくれるからお茶も出せないんだよ、と云うので、わたしが淹れることにした。部屋はケンジ君の処よりものが多かったが、きれいに片づけられている。訊いてみたら、それもケンジ君がやっているそうだ。
 本当に家政婦のようなことをしているのだと思ったら、可笑しくなってきた。
 布団を取り除いた炬燵を挟んで、ふたりでお茶を飲んだ。ケンジ君以外の男のひとの部屋へ単独で這入るのははじめてだったけれど、不思議と落ち着いていられた。座っていると今井さんもそれほど大きく感じられない。一緒に歩いていると、彼はわたしを見下ろして「なんだか上と下で話してるみたいだ」とよく云った。彼が階段を一段下りてもまだ見上げるようだったので、本当にそんな感じだった。
 帰り際、今井さんはわたしを不意に抱き締めた。ケンジ君と違って大きな胸だった。もの凄く体格がいいと謂う訳ではないけれど、子供くらいの背丈しかないわたしからすると、彼はとても頼もしく思われた。
 そうやってふたりで過ごした翌日にはケンジ君がわたしの許を必ず訪れて、どうだったかと訊ねる。レストランへ行ったと云えば、そんな処で喰ったことねえな、と笑う。
「おれなんかとつき合うより良かっただろ」
「そんなことない、ケンジ君と居るのも愉しかった」
「金がなかったから、なんにもしてやれなかったじゃねえか」
「そんなの関係ないもん。ケンジ君と一緒に居るだけで良かったんだから」
「……今井もよくしてくれるだろ、あいつは優しいから」
「そうだね、凄く優しい。でも、ケンジ君とは違うよ……。全然、違う」
 それを聞いて、彼は困ったような顔をした。今井さんを少しでも否定するようなことを云うと、ケンジ君はとても悲しそうな顔をする。自分を悪く云われるより、今井さんが評価されないことが、どうにも心苦しいようだ。
 今井さんのことが嫌いな訳ではない。最近はケンジ君のことを忘れている時が多かった。けれど、それに気がつくと、とても悲しい気分になるのだ。わたしや今井さんがケンジ君のことを忘れてしまったら、彼は消えてしまうかも知れない。それだけは堪えられない。
 きっと今井さんとわたしの関係は、ケンジ君の思い出の上に成り立っているのだ。その土台を覆したら、ふたりの関係も壊れてしまうだろう。
 今井さんにはじめて抱かれた時、もうケンジ君のことは考えてはいけないと思った。今井さんはケンジ君がわたしをはじめて抱いた時と同じように、申し訳なさそうにしていた。そんな風に感じさせる自分を責めたい気持ちでいっぱいになった。
 ふたりの男性から愛されて、それに充分応えることが出来ない自分が情けなかった。


 ケンジ君が料理が得意なことは知っていたけれど、今井さんに訊くと相当なものだと謂うことが判った。それで、今井さんが好きなものをいろいろ教えてもらった。ケンジ君は胃が弱く、肉を食べるともたれるのでそう謂った料理は作らない為、今井さんも殆ど肉を受けつけない体質になっているらしい。
 凄い洗脳効果だと思ったが、一緒に暮らしていれば同じような食生活になるのだろう。ケンジ君は食事をしないのだが、作る人間がそうだと、どうしても菜食主義のような状態になる。
 基本としてはお酒を呑まない時はお味噌汁とご飯、魚料理だった。ケンジ君は魚を捌けるのだが、わたしには出来なかった。別に切り身を買ってきて調理をすればいいと云われ、あとは野菜の料理を教えてもらった。
 ケンジ君に云わせると今井さんは子供舌で、ハンバーグや唐揚げ、餃子の類いが好きだから、それに準ずるものを作ればいいとのことである。
 それもわたしからするとかなり凝ったものだった。そうした時は母も傍に居たのだが、手際を見ずとも、そのレクチャーだけで感心していた。餃子も肉は使わず海老などを使い、包丁で叩き韮や白菜と混ぜて種を作り、蒸し焼きにする。ハンバーグも椎茸やエリンギをみじん切りにして肉のような食感を出し、片栗粉と少量の薄力粉、豆腐を合わせたものに加えて練り、じっくり焼き上げる。ソースは擂り下ろした玉葱と分葱の小口切りを、醤油と少々の味醂で和えて作る。
 味噌汁の具も、夏は胡瓜を入れると聞いて吃驚してしまった。胡瓜は生で食べるものだとばかり思っていたのだ。能く考えてみれば、中華料理の炒め物には胡瓜が使われていることがあった。季節の野菜を使えば経済的だし体にもいいと教えられ、スーパーマーケットに行くと注意して見るようになった。
 現在は食べ物に季節感があまりないが、店頭に並ぶものを見ると春は菜のもの、夏は彩り鮮やかなもの、秋冬には茸や根菜類が多くあることを知った。ケンジ君と一緒に行って、食材を選んで家に帰って料理を作るのは本当に愉しかった。作ったものを食べてもらえないのは判っていたけれど、彼はわたしが調理する様子を見て「いい嫁になれるよ」と云い、微笑んだ。
 本当はケンジ君のお嫁さんになりたかったのだけれど、そんなことは口に出せない。
 今井さんのアパートで、時々手料理を振る舞った。彼が水尾の料理みたいだな、と云うので、ケンジ君に教えてもらったと正直に云ったら、おれの為に教えてもらったのか、と訊ねてきた。そうだと答えたら、嬉しそうにありがとうと云った。
 このひとは本当に良いひとなのだな、と思った。
 ケンジ君は痩せ細っている割には病気ひとつしなかったのだが、今井さんはよく風邪をひいた。看病に行くとケンジ君がお粥を作っているので、それも教えてもらった。母が作るのは普通のお粥に梅干しを入れたものだったが、彼が作るのは中華粥に近いものだった。
 土鍋に白米と餅米を半々に入れて、昆布出汁で煮る。フライパンで茸や野菜を胡麻油で炒めて煮立った鍋に加え、火を止めて暫く蒸らす。これは殆ど食事をしなくなった彼の母親の為に作っていたものらしい。
 わたしはケンジ君の家庭のことはよく知らなかったが、今井さんは中学の時に彼の家へ何度か訪れて、母親の様子も見知っていた。
 ケンジ君は物心つかない頃から父親に酷い暴行を受けていて、骨を折られるどころか、今井さんに云わせると内臓が破裂してもおかしくないことをされていたそうだ。そんなことをする親が居るとは思えなかったが、そのことを話す今井さんの表情から、それは本当のことであることが判った。
 今井さんはケンジ君の葬儀の際、彼の父親を涙ながらに怒鳴りつけた。
「息子に土下座しろ」


 二十七才になって、今井さんととうとう結婚することになった。
 結婚式の日、ケンジ君も来てくれた。両親にも彼のことが見えるのだが、ふたりはひとが居ることもあって知らない振りをしていた。花嫁の控え室に這入ってきたケンジ君は、ウエディングドレス姿のわたしを見て、少し淋しそうな顔できれいだな、と呟くように云った。わたしは彼に最後のお願いをした。
 キスをして慾しいと頼んだのだ。
 ケンジ君はひとの嫁になる女にそんなことは出来ないと云ったが、これが最後だし、もうこんなことは決して頼まないと云ったら、少し躊躇った後、身を屈めてくちづけをした。一度キスをして、軽くもう一度する。それは生きていた時と同じだった。
 息が詰まるほどぎゅっとわたしを抱き締めて、幸せになれよ、とケンジ君は云った。
 教会で、父の手から今井さんに渡された。これでわたしは今井エミとなり、もう子供ではいられないのだ。ケンジ君を恋する気持ちも忘れなければいけない。過去の恋人のことをいつまでも想っていたら今井さんに申し訳ない。今井さんはわたしのこともケンジ君のことも包み込むように愛してくれる。それに応えなければならないのだ。
 父が探して買ってくれた家に所帯を構えて、ふたりの暮らしがはじまった。ケンジ君はもうおまえらの前には姿を現さないと云ったが、ふたりでそれを思い留まらせた。わたしたちの前から彼が居なくなったらどうしていいか判らなくなってしまう。
 わたしたちとケンジ君はきれいな三角形を描いているのだ。その頂点の何れが欠けても均衡は崩れてしまう。ひとが聞いたらおかしく思うかも知れないが、それが自然な形だった。わたしたち以外でケンジ君のことを知っているのは、わたしの両親と直樹さんだけである。他に彼のことが見えるひとは居ない。
 ケンジ君はそのことを何う思っているのだろう。自分では何をすることも出来ない。今井さんのアパートではあれこれ出来たけれど、新居では他の場合と同じように、わたしたちが触れていないと何も動かせなかった。ものがすり抜けてしまう様子を見ると、悲しくなって涙が零れた。ケンジ君は泣くなよ、と云ってわたしの頭を撫でるのだが、それに甘えてはいけないと気を取り直す。
 大人にならなければいけない。わたしは今井さんの妻であり、これから子供が出来たら、母親になるのだ。いつまでもふたりに甘えていてはいけない。ケンジ君もいつ消えてしまうか判らない。彼の葬儀から帰ったあと、無理矢理アパ-トに一泊して困らせたが、その時わたしの前から二度と居なくならないでと云ったら、それは約束出来ないと云われた。
 今のところケンジ君はわたしたちとともに居る。しかしそれがいつまで続くか判らない。彼が居なくなっても生きているわたしたちの生活は続いてゆく。それは何う仕様もならないことだ。ケンジ君にしたところで、辛いことが多いに違いない。それを表にまったく出さないのがとても悲しく感じられる。
 ベッドの中で今井さんとよく話すのは、もしもケンジ君が居なくなったら何うしようかと謂うことだった。ふたりともそんなことになったら戸惑うばかりで途方に暮れるだろう。彼はわたしたちの鎹だった。それが外れたら機能しなくなってしまうに違いない。
 居なくなって仕舞わないように祈るしかなかった。

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