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日記、2023,02,18。

 此のところ調子が良いのだが、調子が良いのにもほどがある。絶好調ではないが、わたしの感覚としては良すぎるのだ。先づ、じっとして居られない。暴れ廻る訳ではないが、兎に角、何かをしていないと落ち着かないのだ。
 ゲーム(3DSの『とびだせ どうぶつの森』)をやっていても気もそぞろで、料理をやり出したり、意味もなく散歩に出掛けたりする。こうした精神状態は、鬱より不味いのだ。
 浪費をし、過食をし、必要なものまで処分してしまう。そして、気分が落ち着いてくると為したことを後悔する。それからは、鬱へとまっしぐらだ。やらかしたことが多ければ多いほど、鬱の度合いも深まる。
 なので、躁鬱病の場合、落ち込んでいる時より浮かれている時の方がヤバいのだ。ええ頃加減の浮ついた調子で、あれこれ手を出してしまう。そして、そうした行動は無駄であることが多く、其の時は気づかなくても冷静になれば深く反省する案件ばかりである。
 浮ついているので注意力も散漫になり、失くしものなども多くなる。出先で見当識を失い不安に駆られても、そのまま突き進んでしまう。今時のひとには考えられないだろうが、わたしは他人と会う約束をしていない時は外出の際、携帯電話を携帯しないことが多い。
 一応、携帯電話には地図アプリがインストールされているのだが、本体を持っていなければ如何することも出来ない。これで何度も迷子になった。胃液が迫り上がるほどの不安に晒されるが、それでも次回、携帯電話を鞄に入れるかと謂うと、枕元においたままにして出掛けるのだ。
 馬鹿としか云いようがない。しかし多分、呆けてはいないと思う。多分だが。

 本日は調理慾がむずむずと持ち上がり、近所のスーパーで胡瓜と茄子と小蕪を買い、切って揉んで漬物にした。蕪の葉は、刻んで炒めた。これをご飯にかけると旨いのだ。
 そして晩飯は、久し振りの鍋である。何度も云うが、『鍋』は調理器具を指すのではない。愚かな奴は、こんなことでも揚げ足を取ってきたりする。
 ああ、馬鹿は死ななきゃ治らない。

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