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家事。

 前にも書いたかも知れないが、わたしは結婚するまでアイロンがけ以外の家事をまともにしたことがなかった。
 オーブンが導入された際には、母親が喜んで『きょうの料理』のテキスト本を参考に菓子をあれこれ作るのを手伝った。しかしこの母親が、そもそも家事を不得意としていたのだ。
 家事の優先権を姑に牛耳られ、口出しすることは許されず、やることなすことすべて、否定されたらしい。当時、嫁姑関係では、それが普通だったそうな。昭和の世代でも、子供が出来なければ三年で離縁。と謂うのが当たり前に通用していたのだ。
 子供が出来れば良いと謂う訳でもなかったらしく、親父の稼ぎが乏しかった頃に妊娠した際、母は姑に堕胎しろと強制された。父はそれに従った。母は泣きながら病院へ行き、堕胎し、翌日から家事をこなしたらしい。
 意味も判らない頃にそんな愚痴を聞き、わたしは祖母と父親への不信感を募らせた。時代的には当たり前だったかも知れないが、虐待としか思えなかったのだ。物心つくかつかない頃から、わたしも兄弟から苛められていたので、母の境遇は他人事ではなかった。己れの子供が成す非道な行為に口出ししないのも、判るような気がしたのだ。
 母は自力で東京の洋裁学校へ働きながら通い、将来は服飾関係の職業に就きたかったらしいのだが、夢破れ、勧められるがままに見合いをして結婚し、専業主婦となった。こうしたことを幼い頃から姑関係の愚痴と共に訳も判らず聞かされたが、鬱憤の吐け口となり、憂さ晴らしが出来たのなら良かったと思う。お安いものだ。
 母の鬱屈は、彼女の姉(つまり、わたしの伯母)以外では、わたししか知らない。亭主からも馬鹿にされ、どれだけ辛かったろうと思うが、わたしが病に苦しんだ時に酷い目に遭わされたので、同情も相殺されてしまう。
 閑話休題。
 新婚当初、味噌汁すら碌に作れなかったわたしだが、その後、どうした訳だか料理が趣味になった。などと謂うと、まるで料理上手のように思えるだろうが、まるで違う。
 基本的には「料理に関するもの」を、見たり読んだりするのが好きなのであって、それで得た知識を実践することはあまりない。ただ、よほど凝った料理でない限り、或る程度は再現出来る。
 わたしの場合、一度に数種類の料理を仕上げる能力がないので、一品、頑張って二品しか作れない。最近は一汁一菜でよし、と謂う風潮があるので、難有いことだが、一丼で済ませようと何処ぞの有名な料理人が提唱してくれないだろうか。そうすれば、わたしも胸を張って生きてゆける。
 日々の飯など、どうにでもなる。米を炊くのが面倒でも、今ではレンジでチンするだけで喰えるものが幾らでも手に入る。安価なものだと、自炊するより安い場合がある。味噌汁もおひたしも、手間や光熱費を考えるとひとり暮らしの場合、出来合いを買ってきた方が安い。
 仕事をして疲れて帰宅し、そこから台所であれこれする気になれるひとは、相当な料理好きか、安月給で汲々としているひとである。しかし、料理がまったく出来ず、疲れ果てて月給も安いひとはどうすればいいのか。
 迷わずカップラーメンを喰って下さい。割り箸も貰ってきて。洗い物もなく、手間も掛からない。ただ、栄養価は低く、カロリーと塩分は高いので、健康には頗る宜しくない。
 わたしは某イオンの専門店で働いていた頃、遅番の時は見切り品の惣菜を買って帰り、焼酎のアテにすることで晩飯としていた。ストレスが溜まっていたこともあり、非常に不健康な状態であった。
 なにしろストレスが嵩じたあまり認識能力が低下し、車で通勤していたのだが、何度も信号無視をし、挙句の果てには自損事故を起こし、車は廃車、エアバッグに依り左腕を骨折し、全治六ヶ月の重傷を負った。
 何故そんなことになったかと云えば、母が泣きながら電話を掛けてきたので、夜中にも拘らず駆けつけた為である。実家に着いたら母は寝床に居り、電話を掛けたことすら忘れていた。最悪の事故は、この帰りに起きたのである。恨んではいない。わたしが馬鹿だったのだ。
 それも家事とは関係ない。
 自炊をすると洗い物が面倒で厭だ、と謂うのをよく見聞きする。斯く謂うわたしも、洗い物は溜め込んでしまうクチだ。シンクが狭いので限界は早く来るが、調理器具をわりかし多く使うので、二度ほどの調理でシンクは満タンになる。
 こんな有様なので、ひとり暮らしなのに鍋を幾つも揃え、包丁も四本、器は趣味でもあるが、やたら多くある。長く使いたいので安いものは避けているが、当然のこと乍ら、百円均一の品も幾つかある。
 ものぐさではあるが、やりだしたら徹底的にやる。包丁も一本一本、丁寧に研ぐし、洗い物も徹底的にやる。特に鍋類はステンレスのものが大半を占めるので、焦げや曇りがあったら磨きに磨く。仕上がりを見るのに窓際までゆき、陽の光りに透かすほどである。因みに、出来るだけテフロン加工のものは使わないようにしている。健康に良いとか悪いとかではなく、ズルをしているような気がするからだ。

 何故か多くの主婦が嫌うアイロンがけが、わたしはそんなに苦にならない。それはもしかしたら、母がそれを苦手にしており、代わりにやっていたからかも知れない。こんな簡単なことを、何故、億劫がるのだろうと思った。ただ、家族のひとりがやたら装飾的なシャツを着用しており、それはプロでも厄介だと思える代物であった。
 ごく普通のシャツですら面倒くさがる母が、それを忌避するのは無理もない。わたしもそれは、勘弁願いたいと思った。が、洗濯され濡れた状態で存在し、それを着用する人間の性質を考えるに、完璧にこなさねば母がど叱られる。母親なのに。
 と謂う訳で、わたしがその、某ブランドの、フリル満載の、コットン100パーセントのブラウスを、数十分掛けてアイロン掛けした。持ち主はそんな事情など、微塵も知らない。
 昔は形状記憶安定のシャツなどなかったので、通勤通学のワイシャツは、家庭で糊を効かせてアイロンがけするしかなかった。糊を効かせてあるので、失敗したら目も当てられない。
 わたしはシャツが好きなのでよく着るのだが、涼しい季節なら兎も角、少しでも気温が上がってくれば、アイロンがけは汗だくの労働である。出来得ることならばやりたくない、避けたい家事のひとつだ。
 シャツにアイロンをかける手順は、まづ最初に襟。尖った方から内側へ向け、双方から順にプレスする。
 次はカフス。そして、袖。前立て、後ろ身頃。アイロンのスイッチを切って、襟を折り返し、プレスする。以上。
 まあ、これは独自のやり方なので、それぞれやり易い方法を編み出せば良いのではなかろうか。

 掃除に関しては、なんともどうして……。わたしも大嫌いなのだ。
 そもそも猫が居るので、極力、掃除機を掛けないようにしている。引っ越す際にやっと安物のスティック型の掃除機を購入したのだが、サイクロン式なので埃や猫の毛などを風で吹き飛ばしてしまうのが難点だ。紙パックが要らないのは良いのだけれども。
 兎に角うちの猫は、掃除関係のものが大嫌いで、掃除機は判るのだが、クイックルなどの無音のものにすら怯えるのだ。哀れな経歴に同情したあまり、甘やかしすぎたのかも知れない。
 しかし、猫に関しては甘やかしすぎると謂うことはないので、これで良いと思う。

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