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君に花束を 4


 小山の印象


 閑古鳥が啼いていた映画研究会に、新入部員がおれを含めて五人入った。鴨が葱背負って来た、と思った。そのうちのふたりの男が強烈な印象残した。
 ひとりは何うと謂うことのない男だったが、そいつの連れていた奴が、妖怪みたいな容貌をしていたのである。肌は青白く、無造作に伸ばした髪で顔の半分は隠れ、ひとことも喋らなかった。こいつは化けもんか異星人だと確信した。
 高校の先輩が陽南大の工学部に進み、この「映研」に参加して、おれもそこへ誘われるまま顔を出し、今では幹部に近い扱いを受けていた。と云っても数人の世界の話なのだが。
 兎に角、その男は学内でも異彩を放っていた。名前は水尾健司という。
 用紙に書かれた名前を見て、みずおけんじね、と云ったら連れの今井数見が「みなお」と訂正した。水尾という青年は、背はそこそこあったが痩せ細っており、その青白い肌と日本人離れした大きな目の薄い色の瞳で、もっと髪が長かったら雪女のようであった。
 新歓コンパの様子をビデオで撮影したのだが、彼らは非常に仲が良かった。膝を抱えて座る水尾の横に今井は胡座をかいていたが、肩を抱いたり耳許で囁き合っている。こいつらはゲイなのだろうか。キスでもするのではないかと思うほど顔を近づけていたが、そこまではしなかった。
 それ以来、彼らが部室に居る時はよくビデオを廻した。
 水尾が雑誌を読んでいたら、今井が彼の凭れる棚の上の本を取ろうとした。何故、そんなことをするだけの為に抱き合う必要があるのだろうか。当然のことながらビデオカメラを取り上げ撮影した。今井の手が滑って棚の上の雑誌が水尾の頭の上に数冊落ちた。水尾は声を立てず、頭を抱えて踞っていた。
 水尾は見掛けに依らずかなり粗忽で、よく躓いたりぶつかったり、扉に手を挟んだりするのだが、すぐに声が出せないのか絶句して踞る。暫く唸っているのだが、本当に痛そうにしていた。大抵そういう時は今井が痛い処を擦ってやるのだが、急所をぶつけてもああしてやるのだろうか。
 ふたりが超有名進学校の出身だと知り、そこでは体育の授業がないので泳げるかと訊ねたら、今井は泳げると云ったが、水尾は泳げないらしかった。で、後日、部員を集めて今井を呼び出し、梱包テープで雁字搦めにして猿ぐつわを咬ませ、ロッカーに詰め込んだ。
 前後して連れてこられた水尾に、水を張ったバケツに顔をつけさせようという魂胆である。
 同じ一年の伊井垣に彼を羽交い締めにさせ、無理矢理水に顔をつけようとしたが、痩せ細っている割に力が強かったらしく、伊井垣を振りほどいてロッカーの中で暴れている今井を出すと、テープを剥がしながら、
「てめえら正気か。よくこんな変態じみたことが出来るな、頭腐ってんじゃねえのか」
 と、怒鳴った。女のような顔をしているのに、水尾の言葉遣いは荒かった。そのギャップが可笑しかった。
 彼は泳げないだけあって、目薬をさしたこともなかった。一度、目がゴロゴロすると云うので、今井が花粉症の奴から借りてさしてやろうとしたことがあった。水尾は怖がって彼に抱きついた。伊井垣が彼の頭を押さえて無理にさそうとしたが、それもやはり振りほどいて逃げてしまった。仕方がないので今井は便所に連れて行って、目を洗い流してやった。
 蜘蛛を怖がって、今井が追い払おうとしたこともあった。逃げた蜘蛛が水尾の方へ走り出したら怯えてしまって、横たわったまま今井にしがみついたので、端から見たらとんでもない体勢になった。今井は笑いながら手で蜘蛛を払ったが、水尾はいつまでも彼の胸に顔を埋めて起き上がらなかった。
 部員はふたりのことを面白がって散々からかったが、悪意があった訳ではない。彼らがあまりにも仲が良いので、ついからかいたくなるのだ。なにしろ今井は水尾の髪を常に弄り廻しているし、水尾は今井の背後から覆い被さるように本を読んだりするのだ。それでも、ふたりはただの親友のようだった。
 或る時、部室に行ったら、怠そうに寄りかかっている水尾を、今井は支えるように抱いていた。それを見て思わず「おまえらやっぱりホモだちか」と云ったら、ふたりして否定する。真っ青な顔をした水尾は、ふらふらしながらそのまま部室を出て行った。
「あいつ、大丈夫なのか」
「どうだろうな、寝不足みたいだけど」
「ついてってやらなくていいのか」
「別にいいだろ、本人も大丈夫だって云ってたし」
 こういうところは、男女の恋人同士と違って冷淡なものである。あいつと寝たことはあるのかと訊ねたら、今井は目を細めて呆れたように此方を見遣った。どうやらそういう関係ではないようである。そうだったら面白かったのに。ホモの妖怪など滅多にお目に掛かれない。研究論文が書ける筈だ。
 水尾は頭はいいが、世間知らずというか、妙に無垢なところがあった。そこが頼りなく思えて今井も構いつけるのだろう。しかし、水尾は今時珍しい苦学生で、学費も生活費も自分で稼いでいた。仕事も肉体労働ばかりらしく、それで力があるのだろう。寝る間も惜しんで働いているようである。
 どんな家庭なのかは訊かなかったが、おっとりした物腰から裕福な家庭の倅のように思われた。
 水尾は頭がいい割りには物忘れが激しく、自分のしていることにもまったく自覚がないらしい。ひとの相手をしていないとすぐに放心してしまい、ぼんやりしている。そんな風になると、何を訊ねても生返事しか戻って来ず、今井がおい、と頰を軽くはたくまで心此処にあらずといった状態なのだ。
 なんというか、実に奇妙な男だった。確乎りしており、自分でなんでも出来る人間なのだが、どうにも此方の保護慾を誘う。今井だけでなく、誰もが彼を弟のように見守っていた。
 きれいな顔立ちを隠すように前髪を伸ばしていたが、散髪をする時間がないのか、半年もしたら肩まで届く長さになった。前髪だけは口に入るのが厭なのかその上で切っていたが、それもガタガタだった。しかも、彼は何処で拾ってきたのか塵芥に近いような服を着ている。貧乏も此処まで極まると天晴れとしか云いようがない。


 大学三年になって、入学式にサークルの新入部員の勧誘をしていたら、そこへ水尾がひとりの少女を連れてきた。とても可愛らしい娘だったが、どう見ても中学生にしか思えない。皆、彼が何処かから誘拐してきたと思った。
 しかし、その娘は彼の恋人だったのである。
 無邪気で世間知らずな彼女は、水尾に頼り切っており、この大学に入ったのも彼が居るからだった。ふたりで勧誘してくれたお陰で新入部員が彼女を含めて十二人も入った。が、女が参加するというので、水尾と今井は部室を徹底的に整理した。
 慥かに女が見たらぎょっとするようなものも置かれていたが、コンビニエンス・ストアーで売っているような雑誌までどんどん処分しようとした。
「おい、こんなもんくらいはあったっていいだろ」
「いい訳ねえだろ、水着のグラビアじゃねんだぞ。子供を強姦してる漫画なんか置いとけるか、変態」
「強姦なんかしてないだろ」
「してるようにしか見えねえ。それともおまえ、女とこんな風にセックスすんのかよ」
 そう云われてもしたことがない。そもそも、こいつだって彼女と会う前は女と縁がなかった筈だろう。今井と気持ち悪いくらいべたべたしていたのだから、こんな奴に変態呼ばわりされるのは腹が立つ。そう云ったら、水尾は男になど興味はない、高校生の頃だって女とつき合っていたと反論した。
 驚いて今井に問い質したら、それは事実で、彼は中学の頃から女にもてていたと云う。そのことは本人も知らなかったらしく、今井に本当なのかと訊ねていた。顔も性格もいいし、制服を着ていれば普通の美少年だったのだろうから、女生徒に人気があるのも不思議ではないが、今の水尾は妖怪にしか見えないので女が寄って行くことはなかった。
 ぶっきらぼうで他人に興味がないような感じだったが、一年の夏休みが明けたら少しづつ態度が和らいできていた。どうやらそれは彼女が出来た所為だったようである。羨ましいくらい仲が良かった。水尾は本当に優しく、彼女はそれに甘えていて、恋人同士というよりは兄妹の関係に近かった。
 冬休みに入ってから、今井が電話を掛けてきた。何事かと思ったら、水尾が死んだと彼は云った。
「事故にでも遭ったのか」
「いや、心臓発作だった。エミちゃんの親父さんの病院に居るんだけど、今、解剖に廻されてる」
 エミというのは、水尾の彼女の名前である。淡々と話す今井の声は落ち着いていたが、その落ち着き振りが却って不自然で、彼の悲しみがひしひしと伝わってきた。何故解剖などしなくてはいけないのかと訊ねたら、自宅で死んでそれまで病歴がない場合は、死因を特定する為にそういう措置をとるとのことだった。
 あの痩せた白い体が切り刻まれるのかと思うと、堪らない気持ちになった。死因など判らなくてもいいじゃないか。死んだ事実には変わりないのだし、譬え薬物をやっていたにしても、もう関係ないだろう。死人がそれ以上何をする訳でもないし、薬を売り歩く訳でもない。
 葬儀に列席したが、今井の嘆きようは想像以上のものだった。棺に取り縋って泣き喚き、父親に怒鳴り散らしていた。その時はじめて、水尾が結構な会社の社長の息子だということを知った。彼も今井もそんなことなどひとことも云わなかったのだ。
 おれたちも水尾の死にはショックを受けていた。しかし、今井を落ち着かせる為に皆で宥めていたら、エミちゃんが奇妙な行動をとった。何もない空間に抱きつくような恰好をして、「ケンジ君、良かった」とひとりごとを云っているのである。気が狂ってしまったのだろうか。
 少し離れた処のベンチで、彼女はやはりひとりごとを云っていた。心配になって傍まで行ったら、おれの隣に居た今井が、いきなり「ミナオ」と大声で云ってエミちゃんの隣の空間に駆け寄った。こいつも気が狂れたか、と思っていたら、その空間にぼんやり色がついて見えてきた。
 青い何かを着た水尾が、慥かにエミちゃんと今井の間に居た。超常現象についてはかなり詳しかったが、実際自分がそう謂ったことに出くわしたことはなかった。そもそも、面白がってはいたが、そんなことを本気で信じていた訳ではない。
 死んだ筈の水尾は、呑気におれに向かって片手を上げ、「よお」と云った。
 しかし、おれが見えたのは葬儀の日だけで、その後はもう見えなかった。今井とエミちゃんにはまだ見えるらしく、ふたりは彼が生きていた時と同じように接しているらしい。少し羨ましかった。

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