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【創作大賞2024 恋愛小説部門応募作品】好きになったらダメなのですか?#24

24:棄てられないモノ

私は痛みで顔を顰める。
脳が揺れてクラクラして、令嬢が言っている事がよく聞き取れない。

「つぅー、バカ力で殴らないでよ。…見ず知らずの人達に、何でこんな事されなきゃなんないのか理解に苦しむんですけど…」

“断られた腹いせ”という事は、予測出来ている。
しかし、それだけで、何故、こんな事をされなけらばならないのか。

「その無い胸に手を押し当てて考えてごらんなさい」

「分からないから聞いたんでしょ?莫迦なの?」

すると2発目が命中し、流石に涙目になる。

「痛いわねぇ!そんな事されたらお嬢様が何か言ってるのに何も聞こえやしないじゃない!」

「小西!お前は!私の言っている事が伝わらなかったら意味が無いでしょう!」

「も、申し訳ありません、お嬢さん」

ブルドックが飼い主に怒られたような顔で令嬢を見上げる男も、体格だけで連れて来られたのかもしれない。
ただ、目立つところに痣など残さないように狙って来る処をみると、前にもこんな事をした事があるのだろう。

「幸司さんが本気になっている女がいるって分かって、調べてみたら10歳も年の離れた小娘なんですもの。驚いたわ。何処かの社長の娘、とか言うなら分かるけど、父は公務員、母はパート勤めの平民の娘でしょ?幸司さん気が狂っているのかと心配になったわ…」

平民の娘なんてそこら辺に掃いて捨てるほど居ますけど、と呆気に取られる。
全ての人間が金持ちとは限らないのに。
しかし、この令嬢はたいして頭のいい女ではない。
レイプに持ち込み課長から離れる事を約束させる、という典型的な事をしようとしているのだろう。
適当に、分かった、と約束をして帰って貰おう。
その後の事は課長に相談でもして、と頭を働かせる。
多分、あの“なりすまし”もこの女。

「も、もしかして、あの“なりすまし”も貴女が!?」

驚いた風をすれば、令嬢は満足そうな笑みを浮かべて、そうよ、と鼻を高くする。
認めやがったよこのバカ女。

「私、3年ほど前に我が社に営業で来られた時に幸司さんに一目ぼれしたの。その当時、まだお付き合いしている方がいらっしゃって。別れたらアプローチしようと思っていたのにあの女、別れて2年も経っているのに幸司さんにしつこく復縁を強請っていて。幸司さん、困っていらっしゃってね。だから、私が幸司さんに近寄れない様にして差し上げたの!」

だからか。
この男が、若干、手慣れているように感じたのは。
近寄れないようにした、というのもこうやってこの男を使って怖がらせたのだ。
それだけならまだマシだ。
彼女は、レイプされてるに違いない。

「でも、幸司さんはなかなか私の方に目を向けてくれないの。だから、父に無理言ってお見合いをセッティングして貰って、やっと念願かなってお会いしたら最初の段階で私、断られたの。この私が“好きな人がいるのでこの話は無かった事に”って」

冷静に、と言い聞かせていたのに、頭に血が昇ったのが分かった。

「アンタさぁ、男ひとり捕まえれない訳?笑っちゃう。魅力が無いからって、あぁ、だからこんな事して手に入れようってしてるんだ。本当、人間以下のゴミ。ゴミだから考える頭が無いのか。空っぽだもんね。あー、課長もゴミに好かれちゃ迷惑よねー」

「黙りなさい!」

「ぎっぐぅぅぅ!!」

ピンヒールが二の腕に突き刺さり、私は痛みに耐えるように躰を硬直させた。
叫び声が出ないよう男の手が私の口を塞ぎ、声は殺される。

「幸司さんのお父様が借金されてる事、ご存じ?」

「っはぁ…、しゃ、借金?」

涙目で令嬢を睨み上げれば、心底楽しそうな顔をしている。
本当に悪趣味だ。

「そう。その借金をお父様のかわりに弟さんと3年近く前から一緒に返済していてね。金額も金額だし、私、その借金を肩代わりして差し上げようと思っているの」

「そ、そんな素振り、ひとつも…」

「当たり前じゃない。まったく幸司さんの事、分かってないんだから。お給料の殆どが借金に消えているって状態なの。今の金額を払い続けて40年後にようやく支払終わるかってところかしら」

そう言われれば、課長がスーツを新調したの何時だっただろう。
それに、会社の規定で営業は3〜5年毎に車を買い直さないといけない。
勿論、新車でだ。
確か、…来年、買い直しじゃなかったか。

「何千万ってお金を貴女が出して差し上げられる?多分、一緒になっても借金で一生苦しい生活を送るのが目に見えてるんじゃない?給料日前には毎回、お金の事で喧嘩。子どもも望めない。今は弟さんが一緒に払ってくれているけど、払えなくなったら?貴女も一生働いて苦労して女の一番素敵な時期を無駄にして過ごさなきゃならないのよ?」

どれだけの金額なのか。
ふ、と課長の顔と抱かれた時の躰を思い出す。
あの時は何とも思わなかったが、痩せたように感じる。
そうだ、昼を抜いている時が多々あり、出された茶菓子で済ませている事もあった。

「切羽、詰まってるって事…?」

女のニヤリ、と笑った顔を見る余裕なんて無かった。

「そう。頭のいい井之頭さんなら分かるわよね?どうした方が幸司さんが幸せになれるって。私はね、穏便に話を済ませたいの。貴女が会社を辞めて姿を消すって約束してくれるのら、幸司さんの借金は私が肩代わりしてあげる」

一瞬にして躰の力が抜けた。
お金に苦しんで、周りに憐みの目で見られながら一生を終えるか。
お金に苦労せず、周りの視線も気にせずに一生を終るか。
好きな人が、愛している人が、苦労する人生を送って嬉しい人間などいない。

「…分かった。会社も辞めて、県外へ身を隠したらいいんでしょ。そして、金輪際、課長に近づかない。連絡も取らない。…でも、急には辞められないから、今月末まで待って」

「そんなには待てないわ!」

「私の性格上、仕事を放って辞める事なんて出来ない。それに、もし、私がそんな事をしたら皆、何かあったと思う。課長に勘繰られるのは困るんでしょ?」

「………」

「ちゃんと、今月で辞めて姿を消す。だから、幸司さんを助けて下さい」

「…小西」

「はい」

躰が軽くなり、太股に男が乗っていた名残のような温かみだけが残っていた。
そして、男は先に部屋から出て行く。

レイプされなかっただけ有り難い事なのか。
悔しくて唇を噛み締めて蟀谷を抑える。
痣になったら厭だな、とそんな事を考えながら躰を起こすと目の前に白い封筒があった。

「何これ」

「100万円入っているわ。私からしたら端金だけど貴女方からしたら大金なんでしょ?好きに使いなさいな。たしした物は買えないけど、私からの、せめてものお礼よ?」

「…あのさ、幸司さんがたった100万円?はっ、莫迦なんじゃないの?本当、笑わせないで。分かってないのはアンタの方よ。あの人はこんな安い価値の人間じゃないわ。私が惚れた男は、値段のつけられない程の男よ」


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