『ののはな通信』三浦しをん

※本書のネタバレを含みます

 こういった想いを抱いたことがあるという人は多いのではないだろうか。

『私があの人の一番なのに』

 勿論恋愛感情が多いのだろうが、思春期にこう思ったことは無いだろうか。

同性の相手に。

この本はすべて「のの」と「はな」の手紙のやりとりだけで構成されている。会話がほとんど無いのに会話しかない、ものを多少書く人間(私がいうとほんと烏滸がましいが)からすれば、これがどれだけ大変なことか。手紙のやりとりをするのは「のの」と「はな」。作者じゃない。読者にそれを感じさせずに、二人の感情の動きを繊細に描いていく。その力量が流石と思った。

三浦しをん先生の作品は「月魚」ぶりだが、以前からその触れたら壊れてしまいそうな作風が好きだった。ちなみに月魚は何周したかわからない、人生を狂わせた本の一つです。俗な言い方をしてしまうと匂い系BLが好きな人にはおすすめ。だけど、私はあの浅ましく罪にすがりながら寄り添う二人が好きなのです。

閑話休題。

一章はののとはなが親しい手紙のやり取りをしているところから始まる。思春期によくある、いかにも「この子は親友で私の一番」といった感じ。でも二人はそれだけでは収まらなかったようで、やがて恋人関係にまでなる。

この二人のやりとりが、なんとも甘酸っぱくて宝石のように美しい。思春期にだけ許される純真無垢さと、同性とお付き合いしている、という背徳。勿論それが悪いように描かれている訳ではないが、ミッションスクールでそれが周囲に知られるのは避けなくてはいけない。二人の秘密。二人だけの世界。

学校って、どうにも閉塞的な世界だ。学校以外のコミュニティを知らない学生も多い。そうなると、友人に執着し始める。学生時代に変に同性の友人に執着したり嫉妬したりするのは、そういった学校の仕組みが生み出すものなんだろうか。そんな気がする。あのこが私を捨てたら、私は、私はあのこの一番でなければ。この二人はそんなことはなかったけれど、別方向から二人の間に亀裂が入る。

ののが与田と寝ていた。与田というのは以前二人が上野という女子生徒に手を出しているらしいと証拠集めに探偵めいたことをしていた相手。最初は信じなかったはなも、裸で寝ているののの写真をみて愕然とする。

なんとか関係を修復しようとするが、それも出来ず。二人は別れ、高校を卒業する。

ここまでがなんと一章。普通、別れたら物語は終わりじゃない?とも思うけど。人生ってその後も続くのね。

二章は、大学生になった二人。はなが持ち前の天真爛漫さを生かしてののに連絡し、はじめはそっけなかったののも応じるようになる。はなはののに彼氏の話をし、相談をし、ののが下宿しているおばの悦子さんの家まで遊びに行くようになる。ののもそれに応じていると、はなは段々「今の彼ではなく、親の持ちかけてきた縁談に乗ろうと思う」とののに伝える。それを受けたののは「自分は悦子さん交際をしていた」(悦子さんはおばではなかった)と明かし、もう連絡はとらないようにとはなを拒絶する。

三章は大人になった二人を描く。40代になり、外交官の妻としてアフリカのゾンダ共和国(架空の国だそうです)で暮らすはな、フリーライターとして一人と一匹の猫暮らしののの。大人になった二人は、メールでやりとりをする。

大人になった二人の会話は、確かにあの頃のままの二人だけど、しっかり、大人になっている。コミュニティを二人の間以外にも持ち、感じたこと、体験したことを積み重ね、自分の考えに昇華させている。

 大人って、基本的には寂しいものだ。孤独なものだ。かといって、子供のように寂しいと泣くわけにはいかない。孤独の檻から必死に手を伸ばして、隣の檻と手を繋いでいかないと、孤独が癒されることはない。それでも、檻の中に入ってくれる人なんて居ないのだから、結局は寂しい人生だ。

でも、この二人は違う。違う生き方、違う考え方していたとしても、お互いのあるがままを受け入れ、距離が離れていても繋がっている。心の中にあなたがいる。

それって素敵なことじゃない、と私は思う。

人が人を想うこと。

恋でも愛でも友情でもない、心の繋がりを描いた作品。

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