お金に意味を与えることが「経世済民」することなり!
「お金」は経済の「血液」のようなものです。
「血液」の流れが止まると生き物は死んでしまうように、「お金」の流れが止まると人間も死んでしまいます。
もちろん日本のような先進国では、生活保護制度もあるので、「お金」がなくなっても死ぬことはありませんが。
しかし、人間の社会全体で見れば、やはり「お金」の流れは生命線だと言えるでしょう。
「お金」が循環することで、「人の世」は生き続けることができるのです。
そして、大切なことは、「お金」の正体は「金」でも「紙」でも「数字」でもないということです。
「お金」の正体は、「信用」です。
人間は「信用」によって交易を行なっています。
「人が人を信用し、信頼すること」
その土台の上に、あらゆる物やサービスが交換されています。
それが社会の根幹であり、「血液」なのです。
この「信用」が巡り続けることで、人の世は生き続けています。
だから「お金」を支払うとき、それを「受け取る人」と「支払う人」との間には、目に見えない「信用」が存在しているのです。
これを自覚するか?しないか?は、けっこう大事。
なぜなら、この「経済空間」において、個人は「お金」の中継地であるからです。
ちょっとイメージしてみましょう!
日本列島には、1億人もの人々が住んでいます。
子供も何割かいますが、そのほとんどが大人で、「お金」を持っています。
ここでは、毎日何兆円もの「お金」が巡っています。
まるで全身を流れる血管のように、太いものから細〜いものまで、いろんなパイプを通って「お金」は流れてゆきます。
このとき、「お金」は「お金」自身では、その流れを決めることができません。
その流れを決めるのは、「人」です。
そしてそこには2種類の人がいます。
「個人」と「法人」です。
「政府」というのも「お金」の流れを決める存在ですが、これは「個人」の代表者ということにします。
「お金」は、「個人」と「法人」が出した先へ流れてゆき、別の「個人」か「法人」のもとへと流れつき、そしてまた次の……
と、これをひたすらくり返すことで、社会全体を巡っています。
これを「経済」といいます。
「経済」の語源は、「経世済民」という中国の故事に由来します。
「世をなおし、民をすくう」というこの言葉は、「経済」の本質を表しています。
どういうことか?
「血液」でイメージしてみましょう。
たとえば、「血液」は流れることでさまざまなものを身体中に運んでいます。
酸素や、胃腸から摂取した栄養などを細胞に送り届けます。
また、不要になった老廃物を運ぶこともありますし、細菌をやっつける白血球などもそこにはいます。
「血液」は、「体を修復し、体を救っている」のです。
これと同じことが、「お金」でも起こっているのでしょう。
「お金」は本来、「血液」のごとく「世をなおし、民をすくう」ことのできるツールです。
なぜなら、その正体は「信用」ですので、「人と人の間が良くなる方へ」向かうことが、本来の方向性なのです。
決して、誰かを傷つけたり、貶めたりするために存在しているツールではないのです。
共同体のメンバーを救う、お助けマン的な存在として、社会のすみずみにまで駆けつけることができる。
そんなツールであるはずです。
そのツールを中継しているのが、私たち「個人」です。
もちろん、その扱う金額は「法人」と比べれば小さいことも多いでしょう。
ですが、「額」はあまり関係ありません。
問題なのは、「お金」が向かう先を、私たちが決定しているという事実です。
それによって、社会や文明のつくられ方は変化してゆくからです。
誰に向けて「お金」を流すか?
どこに向かって「お金」を流すか?
どんな景色に向かって「お金」を流すか?
なにを守るために「お金」を流すか?
日々の労働と生活の中では、自由になる「お金」は決して多くはないかもしれませんが、やっぱり「額」は問題ではありません。
その「お金」の流れが、明日の文明をつくっている。
その事実を、ただポジティブに受け止めて、活用すればいい。
デモ行進や投票にわざわざ出かけなくても、人の世をつくる流れに私たちは毎日参加しています。
その「お金」の流れしだいで、ガン細胞を殺したり、壊死しそうな細胞をすくうこともできる!
再生しようとしている骨を修復したり、強くなろうとしている筋肉の一部になることもできる!
そういった「応援」の機能が、「お金」にはあります。
たくさんの「応援」をもらった「個人」や「法人」はやがて立派に成長します。
すると、社会の景色が変わってゆきます。
誰に向けて「お金」を流すか?
どこに向かって「お金」を流すか?
どんな景色に向かって「お金」を流すか?
なにを守るために「お金」を流すか?
大切なのは、自分自身には「お金の意味を変えていく力があるんだ」と自覚することです。
そうすることで、「お金の額」の多いor少ないによって、人生が左右されているかのような錯覚から自由になることができます。
「経済」に巻き込まれているように感じるときには、思い出してほしいのです。
「この経済のハンドルを握っているのは、自分自身なのだ」ということに。
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