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語感がいい人が最低条件

ヘルマンヘッセによる"Stufen"という詩がある。

 花がみなしぼむように、
青春が老いに屈するように、
一生の各段階も知恵も徳もみな、その時々に
花を開くのであって、永続は許されない。
生の呼び声を聞くごとに、心は、
勇敢に、悲しまずに、
新しい別な束縛にはいるように、
別れと再会の覚悟をしなければならない。
凡そ事の初めには不思議な力が宿っている。
それがわれわれを守り、生きるよすがとなる。
われわれは空間を次々と朗らかに渉破せねばならない。
どの場所にも、故郷に対するような執着を持ってはならない。
宇宙の精神はわれわれをとらえようとも狭めようともせず、
われわれを一段々々と高め広めようとする。
ある生活圏に根をおろし、
居心地よく住みついてしまうと、弾力を失いやすい。
発足と旅の覚悟のできているものだけが、
習慣のまひ作用から脱却するだろう。
臨終の時も、なおわれわれを新たな空間へ向け
若々しく送ることがあるかも知れない。
われわれに呼びかける生の呼び声は、決して終わることはないだろう。
では、よし、心よ、別れを告げ、すこやかになれ!

(高橋健治訳)

親友がドイツに短期留学に行った時のお土産の1つにこの詩が書いてあるポストカードを貰った。
ドイツ語なんて読める訳もなく、翻訳する元気もやる気もなく、ノートに挟みっぱなしにしていたのだが
なんとなく思い出して、なんとなく調べてみたらとても良い詩だった。

ヘルマンヘッセは祖父母の好きな作家の一人で、よくドイツ語の練習で本を読んでいたイメージがある。
(何故か、彼らはドイツ語が日常会話程度なら話せた。)
そして、私は二作品程しか読んだことがない。
ごめんね、ヘルマン。

私個人としては
本や、映画や、舞台などは考察をして自分なりに解釈をしたいものだけれど
詩、に関しては言葉をそのまま感じたい
感覚に近い、その人がその時に紡ぎたかったその言葉自体を感じたい

まあ、言語学や歴史、宗教学などのあらゆる点から読み解いたら、また違った面白さはあるのだろうけれどもね。
私は語感を大切にしている人が好きなので。
この詩に関して感想や意見、いまの自分の状況とリンクさせて得た少しばかりの居心地の悪さ、とか。
たくさん、思っていることはあるのだけれど
詩ってそもそも置かれてる状況で捉え方は変わると思っているので。

こんな素敵な詩があったよ〜〜〜
くらいの気持ちです。


ここ半年くらいは聖書眺める頻度より、詩集を眺める頻度の方が高いし
なんなら真面目に読んでたりもする。
言葉を言葉として飲み込むって、すごく変な表現なんだけどわかってくれる人いないかな。
分解して、自己的言語化して、インプットするのではなく
そのまま。あるがまま。
時折、意味わかんなくなるんだけど。
それは私との相性の問題だと思ってる。


この詩を贈ってくれた親友曰く
「その時なぜか目に入ったやつ!内容はちょっと翻訳したけど...」
らしく。
詩を贈る、花を贈る、香りを贈る、など
それらはきっと隠された想いがあったり、なかったりするんでしょうけども
言葉を贈ること自体がとても素敵な行為だな、と感じています。

「言葉はその人の盾になる」
これはおじいちゃんの言葉なのだけれど、本当にその通りだと思っていて。
凡ゆる不条理な状況や窮地に立たされて傷ついて折れそうになったとしても、その人が他者からかけてもらったほんの些細な言葉や、美しいと思った詩や、感銘を受けた本、それらの言葉たちがあなたのことをきっと守ってくれると。
あなたのこと、は
きっとあなたの心であるしプライドでもある。

だから、私は言葉を伝えるし紡ぐし受け取りたい。

語感がいい人、好きです。

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