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、とか 。とか

第1回、インスタグラムでお題を募ってそれについて書きましょう。の回です。
ネタ切れとかそういうのではなく、
個人的な興味で始めました。
だって、こういうのでくるお題って真面目なものか、ふざけ倒してるものか、はたまたいま自分が抱えてる悩みを投影してたり。
まあ、人間観察の部分もあります。
そして、予想してた通りのお題がちらほらきたのでニンマリしています。
これまでのものは『書き殴り』スタイルだったのですが、
今回はきちんと相手がいるもの、として推敲をします。
苦手です。とても。
これはお題をくださった方々へのせめてもの敬意です。
前置きが長くなりましたが、どうぞお楽しみ頂ければと思います。



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「。」
これについてどう思うかなんて考える日がくると思いませんでした。
通称、
『。』は句点
『、』は読点
と呼ばれているのは小学校の時に習っていますよね。
使い方や、それらが文章にもたらす効果なんかも習った気がします。
そして、いま私はとても不安になっています。

。と、の使い方間違えてるかもしれない。


義務教育期間にこなしてきた作文やレポートは、常に句読点に気を付けていたので指摘されることがまず少なかった。
そして、大学は全て英語だったので形式が違う。
社会に出たいま、文章を生み出す場など自らが作らねばない訳で。
じゃあ、私のこの文章の形成の基となるのは何かとなると
それは専ら本です。

読書量≠文章力
と思っているので本のせいにはしたくないのですが、
少なからず『、』と『。』の使い方は影響を受けている気がします。
間違えている、というのは
語学として位置付けた際のそれらの用法を間違えている
です。
誰かに対して、或いはここで文章を書く際に使う『、』や『。』は一切間違えてないと言い切りたい。
だって、何かを伝えるために
私は筆を取るなりパソコンを立ち上げるなりしている訳です。
そして、私から生まれてくる文章の『、』や『。』は私の気持ちです。

ここで区切ったらこの言葉の意味を履き違えられちゃうかな
とか
本当は言いたいことあるんだけどあえて言いたくない、けれど気がついて欲しいから句点をつけない
とか

『、』と『。』から読み解くメッセージ性って素敵じゃないですか。


本来は読みやすくするためのもの、なんですけどね。
でも、本を読んだ時に句読点に対して「なぜ」の視点を持つと意外なメッセージがあったりするのかなあと、思ったりもします。
きっと「それ」がわかったり、違和感を感じたりするのは
あなたが紛れもなくきちんと学んで吸収してきたことなので
否定なんかする気、さらさらないです。

付随して言えば、
LINEできちんと『、』と『。』を使っている人を見るときゅんとします。
性別関係なく人に対してだから、きゅん。
きっとその人は
言葉に対して丁寧な人だな、と思うから。
(私が好感を持つ人の最低条件ですね。)


LINEをはじめとしたSNSの発達によって、言葉に対する重みがなくなっていってるような気がします。
気軽さゆえに、意思疎通の難しさを感じたり。
言葉が刃だという事を忘れて傷を無意識のうちに与えてしまったり。
だからこそ、
少しの間をおける『、』や『。』を敢えて意識的に使う。
そこには、自分がどんな思いで、どんな考えがあったかというのがきちんと見えるはずなので。

間、大事です。
ま、と ま。

追記
私はLINEでよく『...』を使いますが、これの多くの意味は『その発言やあなたの感情を汲み取った上で言いたいことは往往にしてありますが、そこはあまり重要じゃないです。』になります。
まあ、使い勝手がいいのでよく使います。あまり重要ではない情報です。

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