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乗り物の思い出【陸編】

子供の頃は乗り物酔いがひどくて車ニガテだったな~…と、車の運転をしながらふと思い出すことがあります。

今では運転するのが好きになっています。

長距離運転も(渋滞していなければ)好きですし、休日にフラッと一人でダムや鉱山見学などをしにドライブするのも好きです。

交通量の少ない、広い道の運転は、開放的な、清々しい気分になるので大好きです。

たまに獣が飛び出してくるので要注意ですが🦌田舎の人は猪をはねると「ボタン鍋が食えるわ!」なんて冗談を言ったりします🐗多分、冗談…なのでしょうが、🍖捌けるなら、食っちゃった方が命を粗末にしなくていいのかも…?なんてことも思ったり😌

マイカーというものは、まるで我が家にいるようなリラックス感があります。出先でも、仕事が終わった後でも、車内に入れば、途端にホッとした気持ちになります。車のドアを閉めれば、緊張感やストレスの多い外界から遮断されて、ピンピンに張って…時にグチャグチャにこんがらがっている気持ちの糸がブツンと切れて、ゆる~く解き放たれていく感じ。

車内では、リラックスし過ぎて鼻唄がもれるどころか、大音響で熱唱していたり、口も隠さず大あくびもしています。が、信号待ち時や、すれ違い様に見られていることがあるので要注意なのです。(体験談)

自動車の運転だけではあきたらず、若気のいたりでセスナ機の体験操縦にも挑戦してみたことがあります。

そんな経緯を思い出と共に綴っていきたくなりました。長文になってしまったので【陸編】と【空編】で記事を分けました。よろしければ覗いてってください。

※【陸編】は自分の過去の…少し暗い記述があります。明るい話が読みたい方は、ここで閉じてくださいませm(__)m



陸の乗り物の思い出

子供の頃、車に乗るのがニガテでした。特に、父親の車に乗るのがツラかったです。

お盆は毎年、家族で長時間車移動して里帰りでした。関西の自宅から、両親の故郷である瀬戸内海の小さな島まで。【瀬戸内しまなみ海道】がまだ開通されてなかった頃は、夜中に出発し、あちらへは昼すぎに到着でした。

移動は、車のままフェリーにも乗り込みますが、船上では車から出られるし、海風が気持ち良かったのを覚えています。波に揺られる海上ではありましたが、車酔いで苦しむ自分にとっての回復タイムでした。

当時の車は現在ほど洗練されていない古い型ですので、車内が狭かったり走行時の揺れもありましたし、それに加えて父親の運転は荒いわ、車内が煙草臭いわ(当時は喫煙に寛大だった時代です)で、今思えば、子供が酔っても仕方の無い車内環境だったのです。

優しいお父様がいらっしゃる方には理解出来ないかもしれませんが、自分の父親は、我が子が車酔いで吐きそうになっているのを見るとあからさまに機嫌が悪くなりました。吐いて車を汚されるかもしれない状況が嫌だったのか何だったのか、本音は知りません。父が不機嫌になり怒鳴り散らすことは、自分の車酔いに限ったことではなかったので、そういう性質の人だったのでしょう。

自分は(車酔いでまたお父さんの機嫌が悪くなる…)と焦るのですが、根性で抑えられるものでもなく、案の定車酔いとなり、父親は不機嫌になるし、母も姉兄も困惑して黙り込んでしまい車内の空気はサイアクでした。

「自分は、車酔いで家族の空気を悪くする残念な体質の子」、「車移動は嫌なこと、ツラいこと」という刷り込みがその時点で出来上がっていたのかもしれません。そういった経験から、長時間乗り物に乗らなくてはならない状況が、ひどく憂鬱でした。

学校行事などでバス移動をすることも、何日か前から戦々恐々としていました。遠足や、工場見学、修学旅行などの、一般的には楽しみな部類に入る筈の行事も、その日1日の運勢を酔いどめ薬の効き目に全て賭けるような気持ちで、移動時の乗り物酔いの心配ばかりしていた子供でした。

ちなみに、酔いどめ薬ではないのですが、お菓子の【ハイレモン】の爽やかな風味で車酔いが回復したことがあり(個人の感想です(笑))それ以来、バス旅行にハイレモンは必需品となりました。成人して滅多に乗り物酔いしなくなりましたが、今でもハイレモンが好きです🍋

自分は一生、こんな嫌な思い出のある自動車の運転免許なんてとらないからな!…と思っていたのですが、社会人になり、通勤で必要だったので仕方なく教習所に通いました。

車といえば、自分にとっての嫌な思い出と、"車"イコール"交通事故"を連想するので、教習車の運転から既に「自分の運転する車」が恐ろしく思えて、かなりのノロノロ運転をしていました。同乗する教官がイライラしてきているのが手に取るように伝わってきまして、イヤミも沢山言われましたが、なんとか免許を取得しました。

車通勤デビュー当日は、母親が会社までついてきました…!

当時の通勤距離は片道約40km、1時間ほどかかりました。

朝、自分の運転する車に母が同乗し、その車で母は一旦帰宅。夕方頃、母が運転して職場へやってきた車に、自分の運転で一緒に帰宅する、…なんていう過保護っぷり…!当時は、職場の人達の目が恥ずかしかったし、どんだけ信頼されてないんだと複雑な気持ちになりました。

今になれば、それだけ心配してくれていたことが感慨深くて、嬉しいような、むず痒いような(笑)…初心者ドライバーの危なっかしい運転に同乗してくれたことも感謝ですし…でも過保護で恥ずかしかったのには違いない、と思い出すたび苦笑いしています(^_^;)

母親の心配の原因は当然ながら、交通事故の懸念です。自分もこれまで、無事故無違反…とはいかず、擦ったりぶつけたりは当然のごとくやらかしましたし、前方不注意で前の車や、歩行者と接触したこともあります…。

その時は、後悔と申し訳なさと…、車の恐ろしさを改めて実感し、もう二度と運転したくないと思いました。

まったく不幸中の幸いなことに、どちらもお相手の命に関わるような事故ではありませんでしたが…。

自分の生活上、必要不可欠となっている自家用車。「危ないから、運転したくないから乗らない」という訳にもいかず、運転をし続けています。

今年の免許更新で再びのゴールド免許になりました。今後も、できるならゴールドのまま、事故無く、安全第一で、楽しく走り続けたいです。


「乗り物の思い出【空編】」に続きます。



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