見出し画像

立ち止まってる訳でもないし何もしてない訳でもない

お久しぶりです。あひるの子です。
やっと身辺落ち着いてまいりました。

10月も終わり11月になりました。
あれから1年が経とうとしているので、少し書きたいなと思いこの話題を選びました。以前も少し触れた記事がありますが悪しからず。

首里城火災

あの日私が気づいたのは、Twitterのトレンドに「首里城炎上」の言葉を見つけたから。地元沖縄を離れて3年目。地元の情報を得るのは沖縄の新聞2社のLINEアカウントか中高の友人との繋がりや沖縄関連をフォローしているTwitterからが主だった。
Twitterを開いてトレンドを見たら首里城の文字。全国的なトレンドに載ってどうしたと思えば、火災。

ありありと映る朱が炎に染まる光景
5分か10分か、もっと短かったかもしれない
いくつかの動画を見て、スマホの明かりを消した
声の前に、水滴が落ちた
泣いてると自覚した途端、鳴いた

この喪失感を何かに喩えるとするなら
つい最近まで動いていた友人のSNSを見ていたのに
訃報を聞いたあの日に近い

唐突な別れ

その日会った大学の教授からは「ニュースを見てすぐあなたが浮かびました。私もとてもショックです。今日は早く終わらせましょう。」と気遣いの言葉を頂いた。他にも友人から言葉を貰っただろうが、覚えてない。気がつけば大学から帰宅していた。

その日の夜は、眠れなかった。

眠れず、ずっと首里城のことを考えていた。様々な記事を読んだ。中には「俺が今火をつけた」なんていう迷惑な動画投稿者がいた。低評価と通報を押し、私以外の傷心の人がこれ以上この動画を見るなと祈った。不謹慎だと注意もしたくない。恨みに近い気持ちを持ったものだ。それだけ私の心に余裕はなかった。

様々な意見を読めば読むほど、首里城への想いが、県民と県外、否県民の中でも異なると感じた。

今でもよく「沖縄のシンボル」と言われるが、シンボルをなくすと、友人をなくした時のような喪失感を味わうのだろうか。
そこにあったはずの有名なものがなくなった。それだけでは、この気持ちは10分の1も表せない。

多分それは、あの写真を見ているから。
沖縄戦時、司令部が首里城地下に置かれたために、甚大な攻撃を受け、何ひとつなくなった首里城付近のあの写真を見ているから。
それから復帰して復元して、世界遺産となって、「沖縄の観光名所といえば首里城」となったことを、平和学習を通して知っているから。
「沖縄のシンボル」で収まりきれない、県民の歴史と共にあったあの首里城を失くした。だからこそ、この首里城火災は、訃報に近いこの気持ちだったのだろう。

そしてこの気持ちは、現代を生きる私だから生まれた気持ちだろうとも気づいた。
首里城は琉球王国時代から数えて4度燃えていることが文献から分かっている。それぞれの首里城が燃えた時に、その後復興する時に思う人々の気持ちは、図りしれない。王位を巡った叔父甥の争いに巻き込まれ焼かれた首里城を建て直す時、国の平和を願う人もいただろう。戦後の復元では、戦で文献を失い、古老に取材をしながら、材料選び・設計を進める人はどんな思いを持っていたのか…

そこを起点に、1つの脚本を作り上げた。
失くしたはずの、まだ未完成なはずの架空の城を、時代を超えた4人が、見えるはずのないものが見えている。それを舞台にした。
何度も燃えたがそれでも復興する。復元する度にそれは違う城かもしれないが、それでも時代を超えて同じ名で呼ぶ。
今までもそうやって乗り越えてきたんだ。今度も上手くいくよと言外に、現代の少女に伝える。そこで幕。

幕を閉じる前に、赤田首里殿内という歌を流した。
子守唄として知られているが、歌詞は平和、平穏を願う歌である。以下、歌詞とあひるの子意訳です。

赤田首里殿内黄金灯篭下げて
(首里赤田村の首里殿内に黄金に輝く灯篭が下がり)
うりが明がれば弥勒迎え
(それが明るくなれば弥勒菩薩を迎えましょう)
※シーヤープーシーヤープー
ミーミンメーミーミンメー
ヒージントーヒージントー
イーユヌミーイーユヌミー

道々の巷歌唄て遊ぶ
(道のあちこちで歌が聞こえてくる)
弥勒世の世果報近くなたさ
(平和な弥勒世が近くなっているようだ)
※繰り返し

この脚本は、私自身の心の整理をする様なもので、実際に上演したい、という考えはなかった。それでも、部員に見せると、「演りましょう」「このタイミングしかないですよ」と背中を押されたことを覚えている。上演の機会を頂けたことにとても感謝している。

公演も終わって半年以上が経ち、あの日から1年が経つ。
距離の遠さは情報の少なさにも比例する。
今どうなってる?どこまで進んだ?
こっちまで届かない声だって多い。

でも、私はそこまで心配していない。
少なくとも届いた情報からは、進んでいることがわかる。

立ち止まっている訳でもないし、何もしていない訳でもない

言葉少なに見えるのは、情報量と県民性。
私が脚本でも示したように、「今度も上手くいくよと言外に、現代の少女に伝える。そこで幕」なのだ。
私が芸術として言外にしたのではなく、これが沖縄県民。(もう少し丁寧に言えば、生まれ育った私が見てきた沖縄のすがた、かもしれない。)
そして、それぞれがそれぞれのやるべきことをやりに、舞台を去っていき、最後に少女が立ち上がるところで暗転。この少女の行く末は、私らの首里城が完成するまで、完成したその先にある。

あの日、1年前のあの日。
気持ちのままに書き上げた脚本を見ながら、ひとつ増えた夢。

令和の首里城を見る

その夢をたくさんの人が持ってほしい。
そして叶えてほしい。
私たち全員が、あの舞台の少女。

いただいたサポートは自主制作本の制作費として使います。販売時にサポート限定特典なども予定しています!