父とアウトドアショップ①
妻の不吉な発言は聞こえなかったことにして父はアウトドアショップに転がりこんだ。
その店は父の生息している地方で最大級の大きさを謳っており、入ってみるとなるほど確かに広大な店だ。
入り口を中心にして左手にアウトドア用品、右手にアパレルとエリア分けされている。
父はその店の大きさに圧倒されていた。
これ全部キャンプ用品売場なの?
と
[これは心してかからなければ喰われるな]
と気を引き締めていると、
[わたしこっち見てくるから]
と妻はベビーカーを押しながらアパレルエリアに吸い寄せられるようにふらふらと歩いていってしまった。
当然一緒に見て回ってくれるものだと思っていた父は急に心細くなってしまった。
こんなに心細い思いをしたのは小学生の頃、書道の授業があるのに習字道具を持っていくのを忘れてしまった以来である。
[男は敷居を跨げば七人の敵あり]
と言うではないか。この店の中にも2.3人はアウトドアを始めようとする父をバカにしてくる輩がいるかもしれない。父は血走った目を周囲に走らせた。
しかし、そこにいるのは皆、熱心にアウトドア用品を見つめるキャンパーだけであった。
父は意を決して妻に背を向けて足を踏み出した。
目当てはスノーピーク エントリーパックTT
しかしその前に色々見ておくのも一興と父は店の中を巡回した。
棚に陳列されたキャンプ道具の輝きと存在感やたるや。
美しさの為のに作られた物ではない物しか持つことができない美しさがそこにあった。
無骨とはそういうことを言うのかもしれない。
無骨すぎて
[お前に俺が使いこなせるのか?
帰ってゴールデンカムイの続きでも読んだらどうだ?]
と言われているような気もした。
しばらく巡回しているとディスプレイされている黒い椅子が父の目に止まった。椅子の足元はロッキングチェア風になっている。
[やや!]
と父は驚いた。
父は独り暮らしをしていた頃、ロッキングチェアの納入を試みたが部屋が狭すぎで購入を断念したという経歴を持つ。
それがこんなところでロッキングチェアに出会えるとは思ってもいなかった。
しかし、ロッキングチェアと言っても目の前の椅子の骨組みはとても細い。試しに椅子を持ってみると驚くくらいに軽い。しかも折り畳むこともできるらしい。
これ座っても壊れないの?
父にそんな疑問が浮かんだ。
もし展示の椅子を壊してしまったら椅子破壊の悪辣漢として店には末代まで出禁となるだろう。
ひいては父の夢見るアウトドアライフも水疱に帰す。
父は恐る恐る椅子に腰かけてみた。
[おひょひょ!]
全くの新感覚が父を襲った。
身体全体が椅子にすっぽりと優しく包まれるようで、なんとも心地良いではないか。
父は強ばらせていた身体の力を抜いて全身を椅子に預けた。
[うむ、心地よい]
父は呟いた。
いつまでも椅子にゆらゆらと揺られていたい気分だ。
こんなに素晴らしい椅子だ。値段も相当なものに違いない。
と、父は値札を探した。
値札はロッキングフットの部分あった。
6000円
なかなかなに手頃な値段である。と父は思った。
椅子にゆらゆらと揺られていると妻が現れた。
[君も座ってみたまえ]
父は即座に椅子を妻に譲った。
心して座れ。と、父は警告を忘れなかった。
妻が椅子に座る。
[おひょひょひょ!]
新感覚が妻にも訪れた。
続く。
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