父とアウトドアショップ②
父と妻は新感覚チェアにすっかり魅了され、本来の目的を忘れかけていた。
ベビーカーに載せたままの子がしびれを切らして
もっと俺に注目しろ
と暴れだしたことで父は本来の目的を思い出した。
そうだ、テント買わなきゃ
父は新感覚チェアに別れを告げた。
このチェアとはまた出会うことになるであろうな、
と父は直感していた。
まぁ、要するにこの椅子が気にいったのだ。
父はテントコーナーの棚の前に立った。
突然だが、ここで父の奇妙な生態について語らねばなるまい。
父は店に買い物に言った際、目当てのものが見つけられなくても店員には絶対に声をかけない、という習性を持つ。
目当てのものが見つかるまで店の中をぐるぐるぐる何度も行ったり来たりした挙げ句、目当ての物が見つけられなくてそのまま手ぶらて店を後にしたこともある。
後日、妻が同じ店にいって父の目当ての物を購入した。
妻はそんな父の行動を
[意味がわからん。時間の無駄]
と、和泉守兼定の切れ味も斯くや、と思われる正論で一刀両断する。
でも、正論がいつも人を幸せにするとは限らないじゃないか。
真っ二つに両断された上半身と下半身を繋ぎとめながら父はぶつぶつと呟くのであった。
しかし、しかしである。
ことテントの購入となると父もそうは言ってられない。
生半可な知識を持って、自分で見つけたテントを購入し、それがもし目当てと違うテントだったた場合、父は二度と家の敷居を跨がせてもらえないだろう。
父は意を決してたまたま通りかかった男性店員に声をかけた。
[あの、スノーピークの、エントリーパックTTを探しているのですが…]
突然モゴモゴと喋りだした怪人(父)に男性店員はとびきりの笑顔で答えてくれた。
[それならこちらですよ]
男性店員が指差した細長い白い箱には
Entry Pack TT Snow Peak
と確かに記載されていた。
ついに、憧れの初テントが目の前に現れたのだ。
父は恐る恐る箱を手に取った。
これがおしゃれキャンプの一丁目一番地か!
と父は震えた。
値段をちらと確認した。
55000円。
わかってはいたが安くはない。
突然、突風が父を襲った。
それは臆病風だった。
父は普段しょうもないことに金を使って浪費することは全く厭わないというか、無頓着なのに
一発大きな買い物をする時には必要以上にに慎重になるという、どうしようもなくお尻の穴の小さい男なのである。
ここでもお尻の穴がキュッ!と音をたてて縮こまりそうになってしまった。
本当にそんなものがいるの?
どうせすぐ飽きるんだろ?
55000円?大金じゃないか
と父の耳元で囁くのは、休日となれば一日中部屋でゴロゴロと寝ころんでいた嘗ての父だ。
[喝!!!]
父が一喝すると突風は吹き止み、耳元の嘗ての自分もいなくなった。
テントが絶対必ず必要か、と言われればたぶん違う。
確かに直ぐに飽きてしまうかもしれない。
しかし、今確実に言えることは
父はキャンプを始めたい。
ということだけだ。
帰りの車、行きよりもテントの分重くなった車を父は運転していた。
その隣で妻が訊ねる。
[そんで、テントの建て方知ってるの?]
父は不気味な笑みを浮かべた。
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