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楽しめる才能

人生で起こり得るあらゆるイベントは、大抵つまらないものだ。エンジョイなんていう軽い言葉で装飾したところで、起こるであろう大半の出来事がつまらないのに変わりはないのかもしれない。
なんとなくやってきて気にもしないかもしれないほど小さいイベントの繰り返し。毎日ちょっとずつ、驚きもしない何かが起こる世界である。当たり前を楽しめる人って、きっと一握りだ。

何も起こらない日というのは、人生において1日もない。目が覚めない日はないし、太陽が昇らない日はない。目が覚めるというイベントがやってきて、太陽が昇るというビッグイベントが毎朝必ずやってくる。太陽が昇らなかったら、それはそれで大スクープだ。例え死を迎えるその日でも、「死ぬ」という出来事がやってきた時点で、人生で最後の日に起こり得るある種のイベントであるのに変わりはない。

私たちの人生に起こり得ることは、もはや当たり前でつまらなく、それが起こることをわざやざ考えないくらい当然であることのほうが多いのだ。当たり前を、当たり前のように受け入れてしまっている。太陽が昇ることを喜ぶ現代人は、果たしてこの世にどれくらいいるのだろうか。ひとつひとつに疑問を持たず、私たちは当たり前のように人生を生きている。なんとなくつまらなさを抱えながら、たまにくる楽しい出来事にワクワクしながら。
爆発的に心が踊る出来事なんて、きっとそうそうないのかもしれない。


今更だけど、私は社畜だ。仕事が好きで、幸せな社畜だ。
編集の仕事をしているというのもあって、常に時間と締め切りに追われ続けている社畜だ。入稿・校了前に家に帰れないなんて全く珍しいことではないし、アフターファイブで合コンなんてする暇があるなら1秒でも長く寝たい。平日は、好きな友達以外と絶対にご飯になんていきたくない、眠い。
仕事が何よりも最優先のため、他のことは大事にできていないちょっと悲しい女である。
と、なんやかんや仕事を言い訳にしつつも、仕事が好き過ぎて必死過ぎて、人と遊ぶことを若干放棄しつつある23歳。懲りずにまた仕事の話を書きつづらせて頂きます。

こんなに毎日忙しいけれど。
不思議とわたしは、毎日が楽しい。
やり直しの効かない撮影や、責任重大の案件をお任せしてもらえるようになって、死ぬほどのプレッシャーを抱えるようになった今日この頃。こんな若造が1人で撮影現場に行くなんて、よいのだろうか。躊躇いつつも、やっぱり現場が一番楽しいし、勉強になる。
夢に見た編集のお仕事に少しずつ慣れてきて、同時に仕事ができるくらいの力がついてきた証拠なのかもしれない。ヒィヒィ言いながらも、いろんなものを見ていろんなことを知れるこの仕事が、大好き。

わたしは、基本的に仕事を楽しんでいる。

というか、楽しむように力んでいる。
編集やファッション・メイクがどんなに好きでも、それが「仕事」であることに変わりはない。わたしが主観だけで動いてしまったらそれは趣味の域であるし、どんな時もお金になること、お客様のことを考えるのは、社会で働く身としては当たり前だ。お金を貰うのが仕事であって、おいしいところだけをつまんで仕事をするのはなかなか難しい。

だから、その仕事がどんなに楽しくてわくわくするものでも、その逆でめんどくさいものであっても、「これは仕事」という緊張感は念頭に置いている。
そして、つまらなそうな仕事にこそ時間をかけることにしている。単調で味気ない仕事にも、絶対にどこか楽しみはあるはずなのだ。
楽しくなるように、ちょっとだけ時間をかけている。

少し前。
先輩と飲みに行った時に入った居酒屋で、とっても気さくな兄ちゃんがわたしに突然こんなことを言ってきた。

人生なんて、もともとつまらないものだよ。仕事なんてもっとそう。それを、どう楽しむかは全部自分次第なんだよ」

ふわふわの厚焼き卵を焼きながらそう言い放つ兄ちゃんの言葉に、わたしは深く深く考えさせられた。

兄ちゃんが言ったように。
人生というものは、最初から何も味付けされていないものなのかもしれない。生まれた時からきっと味気なんてないのだ。
運命なんて言葉がいったいどこから生まれたのかはわからないけれど。
どんな時でも、用意された道というのは割と細く短いものだったりする。
お受験の道が用意されようが、お小遣いをたくさん渡されようが、上司に仕事を頼まれようが、異性にやけにモテて判断を迫られようが。
人生において、他人から何かを与えられた時点では、そしてそれを自分でどう切り開いていこうかスタートに立った時点では、それはまだつまらないものだ。
いかにして楽しむか。味をつけるのか。それは全部自分次第なのだ。ダメにするのも楽しくするのも、自分次第ということだ。
自分でどう楽しむか、楽しさを見つけるか、味をつけるか。全部、己の選択だ。

ずいぶん前の話だけれど。
会社の上司に、こんなことを言われた。

「考えるのが好きじゃないと、編集という仕事はできないよ。この先何十年も考えて、見つけて作る仕事なんだから。まあ、君は大丈夫そうだけど」

ネタを集めて面白さを探す編集という仕事だからこそこの言葉にとても重みがあるのかもしれないけれども。
これは、どんな仕事にも当てはまるなとわたしは強く思った。

これは完全に主観だけれど。
楽しめるというのは、楽しさを理解できるということだと思う。
自分が何に心が動くのか、常に考えてそれを感じ取る人にしか、楽しみはやってこない。
真っ白の紙を渡されて、それだけで楽しめるかどうかはその人次第だ。楽しみ方は千差万別、それをどう楽しむのか、自分の頭で考えられる人にしか、楽しい人生はやってこないのではないだろうか。

「仕事つまらないんだ」というお話を聞くたびに。
ぜひともその仕事、わたしもやってみたいよと思う。同じことをして楽しめるかどうか、それは自分の頭で考えて培ってきた「楽しめる才能」にかかっていると思う。
楽しさに勝る感情はない。楽しさから全てが生まれる。夢中も、嫉妬も、快感も、楽しさを知って考えられる人だけが得られる称号だ。

一度しかない人生。
どんな時でも、楽しさを。

#エッセイ #コラム #人生

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