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【短編小説】メイビー・メイビー・ラブ

だいぶ傾いた太陽の日差しで目が覚めた。中途半端に開いた窓からそよぐ風が心地よくて、目を閉じたままま空気を吸いこんでみる。パクパクと口を開閉する自分の顔はさぞかし間抜けだろう。遠くで聞こえるバイクが通りすがる音に、ここにある虚しさが倍増していく気がして「ふふっ」と笑ってしまった。乾いた喉がさらに乾いていくけれど、新鮮な空気がおいしくて、まあ悪くない。ベランダでは、昨夜のわたしが酔っぱらった勢いで一気に洗いまくった洗濯物がひなたぼっこしている。下着は真ん中に干すのがマイルームなのに、今日の彼らは雑に外側に吊られてむき出しのままヒラリと踊っている。青色の下着が、こちらを恨めしそうに睨んでいる気がしてなんだか気まずい。網戸越しに半目で見る青空がやたら鮮やかで、無性に腹が立つ。

足元に転がる缶チューハイの空き缶につまずきながら、のろりと洗面所へ滑り込んだ。歯を磨くか、シャワーを浴びるか悩む。まずはいったん顔だけでも洗うことにして、買ったばかりのSHIROの洗顔剤を手に取った。顔中がなんかべたついて気持ち悪いし。泥酔したままいつのまにか眠りに落ちた昨夜の自分に軽蔑の念を送りながらチューブの蓋をあけたとき、鏡に映る顔を見てふと手がとまった。
誰だ、このブス。まるで風船みたいにまんまるなこの顔は、どこのどいつなんだ。肌は乾燥していて、コンビニに行くためだけに書いた眉毛は滲んでおかしな形になっていて、こめかみには真新しいニキビ。うっすらとできたクマには、「不摂生」の三文字が浮かび上がっている。

「……」

つっぱった自分の顔をむにむにと揉んで、ひとつ溜息をついてみた。口から漂うウイスキーの匂いに不快さを覚えて、ごまかすようにパジャマを脱ぐ。
このところ、だいぶお風呂への意識が薄くなっている。朝にシャワーをあびて、翌朝の夜に仕方なくお風呂に入るみたいな生活で、1.5日以上汚れを落とさない日が多発していることは彼には言えない。
そろそろちゃんとしなきゃな。いくら家にいる時間が長いからって、これじゃ女としてまずいな。しっかりしよう。酒をやめよう。そう、酒が悪い。酒をやめれば済む話だ。頭をガシガシ洗いながら、戒めるように自分に言い聞かせる。こうやって熱いお湯を浴びながら、酒が抜けきっていない身体を力任せに洗って、だらしない自分に後悔して、何度反省をしたことだろう。何度同じことを唱えただろう。自分に約束をしても、ひとたびアイツとお酒を飲んでしまえば、もう何も意味を成さない。
このループが「無駄」ってやつなんだろう。

18:56。オレンジ色の陽がさす部屋で、慌ただしく駆け回る。物干し竿から乾いた下着をひっぱって、急いで身につける。それなりにおしゃれだと思うTシャツに、ゆるくまとめた髪。薄くファンデーションを塗って、丁寧に眉毛を書いて、アイシャドウはナチュラルなブラウン系、まつげはクリアマスカラでしっかりと伸ばす。仕上げにオレンジベースのリップを塗って、んまんまと唇になじませれば完成。すっぴん風に見えて、それなりに手の込んだ顔面が誕生である。鏡に映る自分は、だいぶ完璧だ。

大急ぎでとりこんだ洗濯物の山は、ベッドに無造作に放り投げて上から布団をかけて見えないようにする。急いでキッチンに駆け寄り、昨夜飲んだまま放置され氷が水になったグラスを洗い、再び氷を入れる。底が丸くなって、置くとゆらゆらと踊るおしゃれなグラスは、わたしのお気に入りだ。カランカランと氷がグラスにぶつかる音に、まだ完全にお酒が抜けきっていない胃が、無理やり飲む準備を始めてくれた気がした。ウイスキー原液を適当に、ウィルキンソンの炭酸をたっぷりと入れて、タッパーに保存してあった輪切りのレモンをつっこむ。ちょっと飲んで割合を確認して、はちみつを少々追加。これで、準備は完了だ。

着信の音がする。スマホとパソコンから同時に、ちょっとずれて鳴っている。お酒がこぼれない程度に急ぎ足に、そこにあったポップコーンの袋を手に、パソコンの前に座る。前髪だけ再度手ぐしで整えて、通話開始ボタンをクリックした。

「おつかれ」

画面に映る、何時間ぶりかの彼。今日は、黒色のシンプルなTシャツで、細見な彼によく似合っている。画面に映るアコースティックギターは、昨日と置き位置が変わっているから、通話をする前に弾いていたのだろう。だいぶ伸びた前髪がちょっと邪魔そうだ。昨日はなかった場所に変な寝癖がついていて、それが妙に色っぽい。

「時間ぴったりすぎて怖いんですけど」
「時間守るのは常識だろ。俺をなめるなよ」
「いや、時報かよってくらい正確でびびるわ」

昨夜、良い感じに酔いが回り、お互いふわふわしながら寝落ちしかけたとき、会話の最後で「明日は19時くらいにかけるわ」と言われた記憶がある。どうせ酔っ払いの戯言だろうと、やけに友達が多いコイツが二日連続でわたしと話してくれるわけなんかないと受け流してはいたけれど、どこか期待している自分がいた。もしものときに備えて準備をしていてよかった。そわそわしながら時計をチラ見していたら、本当に時間通りに通話がきたもんで実はちょっと焦った。見た目はこんなにだらしなさそうなのに、変なところだけ几帳面で、たまに拍子抜けする。本当に連絡がきたことが嬉しくて、なんだか浮足たってしまって、にやけそうな顔を抑えるのに必死だ。

「今日からゴールデンウィークじゃん。飲みにいけないの本当しんどいな」
「ね。あ、去年はフェス行ったよね」
「そうだわ。トリのあのバンド最高だったな。ビール飲みすぎて俺ら泥酔して、泣きながら聞いてたよな」
「フェスでビールを飲みすぎるのはデフォだよ、うわー、あれからもう一年か」

外に出れない状況になってから、わたしたちは「ちゃんと」会っていない。最後に対面で会ったのは、もう二か月近く前になる。その時は、今みたいに会えなくなるなんて想像もしていなかった。いつものように赤羽の適当な居酒屋に入って、3軒くらいはしごして、馬鹿みたいにはしゃいで飲んで、お互いの家に帰った。帰りの電車でわけわからん画像を送りあって、普段なら笑わないことに笑ってしまって、でもなんだかちょっと物足りなさを感じながら、身体が出す寂しさに気付かないふりをしながら、きちんと家に帰るのがお決まりのパターンだ。

どんなに飲んでも、どんなに近づいても、どうしても一線を踏み込めずに、「いい飲み友達」でいて5年が経つ。大学時代から社会人にかけて、お互いの苦悩や喜びを一番近くでわかちあってきたというのに、一番知りたい彼の「その先」を、わたしはずっと知らない。

「まああれよ、とりあえず」

画面越しに彼がグラスをこちらに差し出す。わたしも片手でそれを持ち、カメラに近づけた。

「「乾杯」」

いつものごとく、そうして始まったわたしと彼のオンライン飲み。約束するまでもなく、ただ勢いでいつも一緒に飲むことが多いけれど、気が付けば週5くらいで飲んでいる。対面で飲んでいた頃よりも、彼の顔を見れることが多い。すべての物事に対して気まぐれな彼だから、オンライン飲みに飽きてきた今日この頃に、気を遣わずに話せるわたしがちょうどよいのだろう。今だって、わたしと話しているはずなのに、早速始まったばかりのバラエティ番組を見始めた。黙っている時間さえも自然に思える関係になれたわたしたちは、外出ができなくなった今でも、お互いの家で好きなお酒を飲んで暇をつぶしている。いてもいなくてもちょうどいい、でも話すならお互いに「コイツだ」って思っているから成り立つ、ゆるくて生ぬるい友達ってヤツだ。

「なんかさ、家でひとりで過ごすのに耐えきれなくなって、ペット飼う人が増えてるらしいよ」

流し見していたツイッターに流れてきたひとつのツイートが気になって、思わず彼に報告してしまった。

「へえ」

テレビを見ながら、生返事。まあ別に返事が返ってくるとは思っていなかったので、さほど気にせずそのまま指をスクロールさせる。イヤホン越しに聞こえる「カラン」という氷の音で彼がお酒を飲んだことを認知したとき、変わらない低いトーンで「ねえ」と聞こえた。

「それってつまり、寂しくなくなったら、いらなくなるってこと?」

「え?」

思わず画面を見つめる。テレビを見ていて、こちらに視線をよこす気配はない。

「ひとりが寂しい今だからペットを飼うんだろ。ひとりじゃなくなったら、そのペットってどうなるんだろうな」

その直後、彼は「ヤベエこいつ」とテレビで動く芸人のネタにカラカラと笑い、リラックスした表情でお酒をぐびっと飲む。

「……」

こうやって、さらっとなかなかに深いことを言うもんだから、たまにわたしは置いてけぼりになる。彼の感性は、いつもちょっとだけ遠くにあって、予期しないときにフリスビーのようにこちらにやってくる。わたしは子犬のように未熟な心で、必死にそれをくわえようと走る。やっと追いついたときには、もうそんな話題を忘れたかのように、彼は遠くにいる。走っているのはわたしだけみたいだ。

「俺、ペットって苦手なんだよね」
「その心は」
「いや、なんとなく。自分よりも先に亡くなるってわかってるのに、『かわいいから』って理由で飼うのなんか違くね?」
「なるほど」
「ペットにとっては飼い主が世界のすべてじゃん。餌をあげるのも、外につれていくのも、トイレを教えるのも。でも、俺がずっと生きている保証なんてないしさ、ある日ぽっくり何かの拍子で俺が死んだとして、ペットの存在に誰も気づかなくてそのまま追うようにそいつも死んだら、とか考えると…マジ胃が痛いね」

ひぇ~と言いたげなおどけた顔をして、また酒を飲む。もうなくなってしまったのだろう、乾いた氷だけの音がする。立ち上がってお酒の調達に行く彼を見送った。

「なんか、らしい回答だね」
「だろ」

少し遠くから返事がする。しばらくして、満タンのグラスを手にした彼が戻ってきた。

「…わたしも、ぺットは苦手かもなあ」

別になんて事のない軽いテンションを装って、流れに乗ってそんなことを言ってみた。

「なぜに?」

「死んじゃったとき、きっと耐えられないよ。思い出たくさんあるだろうし…。あと…自分じゃない命がそこにあるって、すごく怖いことだと、思う。自分に余裕もないのに、その命を預かる覚悟なんて、わたしにはないよ」

そう言ってから、あまりに暗い発言だったことに気づいて「しまった」と思った。こういうところよ、お酒の悪さ。普段言わないようなことまでぽろっと流すように口から出てきてしまって、楽しい飲み会を暗くしがちな自分が嫌になる。けろっと笑って、「なんてね~熱帯魚のある暮らしはあこがれますわ」と、いつもの口調でごまかしてみたけれど、画面越しの彼は思いのほかまじめな顔をしていて、調子がくるってしまった。

「なに」

なにかを飲み込むように、ガサゴソとポップコーンをむしゃぶる。塩が効いていてうまい。

「いや、それこそお前らしいなって。
そういうとこ好きだよ」

攻撃力の高い発言にむせそうになり、ポップコーンをお酒で流し込んだ。

「はあ」
「はあ、つって(笑)」
「まあ、発言が陰キャっぽいよね」
「まあ、お前陰キャだしな」
「うるさいよ」
「まあ乾杯。俺も人のこと言えんし、陰キャ同士で乾杯」

再びノリで乾杯。キンキンに冷えたお酒が喉に流れる。

こうして、わたしの弱いところなんてなんてことのないように、でもなんてことのあるように、ちゃんと受け止めてくれる。そのやさしさを知っているから、「つい」で話してしまうんだ。
なんでだろう、なんだか顔が熱い。頬が赤いのは、お酒のせい。きっとそうだ。

「ていうかさ」

テレビに向けていた視線をきちんと私に向けて、彼が悪戯に笑った。

「家モードのお前、ちょっといいよな」

じっとこちらを見つめてくるもんだから、たまったもんじゃない。

「ど、どういうことなのそれ」
「それくらいがちょうどいいよ、多分」
「褒めてるのかけなしてるのか、わかんないんですけど!」
「褒めてもないし、けなしてもないんじゃない?」
「うわ、ないわ」

同じテンション、同じ温度感。何食わぬ顔で受け流す、若干のセクハラ発言。わたしたちはそのままたわいもない話を繰り返して、お互いに着実に酔っぱらっていく。アルコールで溶け切った脳で、ぼんやりと彼との時間を楽しむのが、好きだ。

「俺んち酒ありすぎて毎日泥酔なんだが」
「私の家もお酒がありすぎて毎日泥酔なんだが」
「ひとりで飲み切れないわ」
「わかる」
「酔ったわ」
「わたしも」

画面に映る彼の顔も、少しだけ赤い。

もう、わたしは気づいている。その次にお互いが言おうとして言わないでいる、「じゃあ、うちくる?」の一言を。その先に待っているであろう未来を。わたしは何度も想像をしている。

もう、ずいぶん前から気づいている。彼のわたしを見るそれが、ときどき女の子を見る目になることに。その先にある、男女特有の下心の存在にも。
いつからだろうか。きっと、ずっと、ずっとずっと前から気づいていた。一緒に飲んでいるときに、たまに混じる男の子の顔。気づいてほしくて醸し出しているのだとしたら彼はなかなかに策士だけれど、これが気づかれない範囲内のできごとだとしたら、わたしはこのまま気づかないふりをしなければならないんだろうか。
お酒を飲んでしまうと、嘘なんてつけない。お酒を飲んだら、正直になってしまいそうで怖くなる。
わたしがそういう女だと、彼はとっくにわかっているだろう。

「二日でウイスキーのボトル空きそう」

そうやって笑う顔に、どうしてわたしはいつも胸が高鳴るんだろう。なんだってこんなに、ひとつひとつの表情に一喜一憂しているのだろう。

「うわ、わたしも。もうさすがにいらないわお酒。まあ嘘だけど」
「やめらんねえよ、酒は。俺らどんだけ飲むんだよってな」

あのね、わたしね。
実はね。
ウイスキーがとっても苦手なの。あの苦みとクラリとくるアルコールの匂いに、いつもむせかえりそうになるの。苦手というか、むしろ嫌いだし。

それでもあの日、オンライン飲みを初めて見たしたあの日。「やっぱウイスキーが一番だな」って言うから、次の日すぐに同じボトルを買ったの。スーパーに行ってご飯の材料を買ったときに、真っ先にそれを手に取ったの。横にあったワインの方が、ほんとうはずっと飲みたいんだよ。

でも、同じものを飲んでいれば、共有する「同じ」が増えるから。インターネットでしか繋がれない今のわたしたちは、お互いの存在を確かめる術を確実に失っているから、ちょっとでも同じを増やして安心したいの。温度も、空気も、場所も、今は何も感じられなくて、あるのは「時間」だけ。
だからせめて同じ「味」も欲しかったの。同じがひとつでも増えたら繋がっていれる気がするの。
…なんて可愛いことを考えちゃってるわたしのこと、どう思う?

「あー、酔った」

彼の視線の変化に気づいたのは、わたしが彼と同じ目で、彼をみつめていたから。彼がわたしを女の子として見るようになる前から、わたしが彼を男の子として見ていたなんて、彼は知らないんだろう。

会わなくていい。会えなくていい。
全部、これでよかった。ひどく納得をしている。

今、会わないからこそ、今もここに確かにある。ちゃんと我慢しているから、育てられるものがある。
いつか適当な勢いであっさりと越えてしまうかもしれなかった一線を越えないで、遠距離でただ同じ味と時間だけを共有するわたしたち。ああ、なんかね、自粛だっていうのにさ、そんなのお構いなしに会ってる人もたくさんいるみたい。
こっそり会って、こっそり交わって、なんか違う関係になるよりも、距離を保ちながら手探りで気持ちをつつきあうほうが、ずっとわたしたちらしい気がするの。寂しさを埋めるペットになんて、なれそうにない。お互いペットは苦手だし、人間同士でいようよ。寂しさに、負けないでいようよ。だって、寂しさが理由じゃないじゃない、わたしたち。いつだって、そんなバランスだったじゃない。

お酒を片手にただお互いの存在を認識しあうこの時間が、こんなにも尊いものになるなんて。一緒にいる理由が「寂しさ」であるような安っぽさは、わたしたちに似合わない。お互い会いたいくせに、会いたいって言わず、言えないんじゃなくて言わず、ただこの先会えた日のことだけを考えて、年甲斐もなく純粋でいるほうが楽しいよ。

「なあ」
「なに」
「…外出できるようになったらさ」
「…うん」

「」

この気持ちは、多分そう。
離れていても変わらない。
離れているから、じれったい。
離れているから、全部甘い。
この淡い感情は、きっと、きっとね。
多分、そういうことなんだ。

ねえ、何をしようか。
今度会ったら何をしようか。
何を伝えようか。
直接会って、話したいことがお互いにあるよね。
お互いに、あるはずだよね。

早く、君に会いたい。早く、会いたい。
どうかまたもう一度、君に会いたいんだ。

いつも応援ありがとうございます。