まな板の話

「お、こんなのもあるのか。初めて見た」
 日用品売り場で、男がそういって足を止めたのは、台所用品売り場。見つめているのはまな板だ。周囲に長方形の一枚板をまな板としている中で、そのまな板には足がつき、少し高級そうな印象を受けた。まな板を見ていると職場の同僚を思い出す。入社した当初にその体格を揶揄するようにまな板まな板、と呼んでいたら、給湯室でまな板を持っているだけで怒られるようになった。別に彼は貧乳を馬鹿にするつもりはない。むしろ愛している。好きな女性のタイプは?と聞かれて真っ先に貧乳の女性です、と答えるほどだ。一度それをやってロリコン呼ばわりされてことがあっていこうそんなことはしていないが。
 そのまな板を手に取り、角度を変えて見る。素材はどうやら銀杏らしい。
 しかし、どうしてこのまな板だけ足がついているのか。
 疑問に思い、陳列棚を見るが、どこにもこのまな板が作られたコンセプトが書かれていない。一つだけ考え付いたのは衛生的に考えて地面から離すためということだが。特に書かれていないということはやはりそういうことなのだろうか。
 周囲を見渡し、店員を探す。
 いた。
 それほどの時間をかけることなく店員を発見することができた。
「あ、すみません」
 声をかけ、用件があることを伝える。
 メガネをかけ、マスクをかけた男の店員は、小首を傾げ、作業を中断しこちらに歩み寄ってきてくれた。
「なにかございましたか」
 低い声だった。メガネの奥の瞳は眠そうに細められている。
「このまな板なんだけど」
 そう言いつつ手にしたまな板を少し持ち上げる。
「他のと違って足がついてるのはなんで?」
 店員は再び小首を傾げた。もしかして意味が伝わらなかったのだろうか、と不安になる。もう一度説明しようか、という迷いをよそに、店員はまな板があった方向を見る。
 そして聞こえるか聞こえないか、という音量の舌打ちを一つ。舌打ちの後にかすかに聞こえたのは、やっとけと言っていたのに、という小さなぼやき。
 もしかして聞いてはいけないことだっただろうか、と迷う男をよそに、店員は再び男に顔を向けた。
「お客様。まな板がそもそもどのようにして用いられてたかご存知でしょうか」
「食べ物を切るためだろ?」
 と、いうよりもそれ以外に思いつかない。
「いえ、まな板はそもそも儀式用だったのです。また、生け贄を捧げるための供物台としての意味も持っていました。ですので、その当時は足をつけられていたのです」
 生け贄、と言われ、急に手に持っているまな板がまがまがしいものに思えてきた。
「ですが、その商品はもちろんそんな意図を持って作られてはおりません。どちらかといえば、もう一つの理由の方でしょうか。昔は座った状態で調理するのが一般的で、少し地面よりも高い方が調理に向いていたため、まな板に足をつけた要因の一つとなっております」
 そうなのか、と思わず感心する。
 そしてそれを聞き、このまな板をこれから使う場所を考えて丁度いい、と思う。なにしろ屋外。野宿をするときに使うまな板が欲しいと思っていたのだ。さすがに外で使ったものをそのまま自宅のキッチンで使うのは抵抗があった。
 まな板を買いにいく、と先輩に話し、事情を説明すると、段ボールの上にでもまな板をおけばいいだろう、と言われてしまった。そういう手もあるか、と思ったのは事実だが、そこで意見を曲げるのも悔しかった。そのアイデアに思い至らなかった事実を認めたくなかったからだ。
「そんな理由があったのか」
 納得する彼を置き、店員は一礼すると離れた場所で再び仕事に戻ったようだ。
 裏返した。そこにこのまな板の貨幣価値に換算した数字が書かれていた。5000円だった。
 彼はまな板を陳列棚に戻すと、隣に並べられてあった『抗菌加工!!大特価処分価格!!』と描かれているまな板を手に取った。価格は500円。
 彼は頷き、他の目的のものを探して店内を移動した。


お題:貧乳、貨幣、野宿

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