心細さの裏返し

前の話



「さて、じゃあ今日は山にいくか・・・・・・」
 一時的に雇われている相手が、殴られた腹部をさすりながらそう呟く。男が腹をさすっているのを、殴った当人は冷めた目で見るだけだ。
「いや、なんか言ってよ・・・・・・。周りからしたら一人でなんか言ってる危ない奴に見えるじゃないのよ」
「それ、私がしゃべっても側から見ても変わらないんじゃないの。私、やっぱり普通の通行人には見えないみたいだし。さっきタクシーから降りてきたときに不機嫌そうだったのは、ただ単に寝不足だったのね」
「そうだよ。起きたらもう集合時間になってたからびびったね。まぁ、昨日の晩から何も食ってなかったから、途中でファミレスに寄って結構食ってきたんだけど。それがなかったら今頃ここは俺の腹の虫のコンサート会場だったぜ」
「へぇ・・・・・・。人を待たせてるってことを自覚した上でファミレスでどか食いしてたの。いい度胸ね」
 男、カガリがどれほど食べるのか、というのを、サキはよく知っていた。注文から食べ終わるまで、きっちり1時間はかかったことだろう。サキが再びカガリを殴りつけようと拳を構えると、カガリはそのサキの頭を軽く叩く。
「はいはい、初仕事でテンション上がってるのとちょっと緊張してるのはわかったから、それをおじさんで解消しようとしないの」
 子供扱いされたことと、カガリの言葉が図星だったサキは顔を真っ赤にする。
「そんなんじゃないわよ!!」
「はいはい。じゃ、山に向かって前進開始ー」
 そう言うと、カガリはサキの隣を抜け、そのまま人ごみの中を歩いていく。驚いたのは半ば置いていかれる形になったサキだ。
「え?!ちょっと!!そっちに山なんてないわよ!?」
 サキの言葉が聞こえているだろうに、カガリは何の反応もせずにただ歩いていくだけだ。そのことに心細さを覚える。そして心細さを感じたサキに追い打ちをかけたのは、こうして大声を出しているにもかかわらず誰もサキに視線の一つも向けないことだ。
 その場にいてもたってもいられなくなり、目の前の人ごみにぶつかっていくようにしてカガリの後を追いかけていく。人ごみに視線を遮られ、心細さのあまり泣いてしまいそうになる。
「なにやってんだ。さっさと行くぞ」
 泣きそうになったサキの背を押す誰かの声。
 振り返れば、そこにはいつの間に後ろに回ったのか、カガリが呆れたような顔で見下ろしていた。
 その顔が少しムカつき、自分が泣きそうになっていることに悔しさを覚え、こうして自分を見つけてくれたことに安心し、感情の波に翻弄されたサキはその拳にすべてを託してカガリを殴りつけた。

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