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音楽史年表記事編14.モーツァルト、ザルツブルクへ凱旋する

 モーツァルトの父レオポルトは、ウィーン訪問からザルツブルクに戻ると早速モーツァルトとナンネルの宮中礼服を着た姿を絵画に残します。
 1763年、ジュゼッペ・ロッリがザルツブルクの宮廷楽長に就任、またモーツァルトの父レオポルトは副楽長に就任し、2/28には大司教シュラッテンバッハの誕生日に合わせてザルツブルク・レジデンツにおいて祝宴が催されます。この祝宴で、モーツァルトとナンネルは女帝マリア・テレジアから贈られた宮中の礼服を着てクラヴィーアの演奏を行います。この間にプロイセンとオーストリア・ハプスブルク家は和議を結び7年戦争は終結しています。イギリスとフランスの海外の覇権をめぐった戦争も終結し、フランスとスペインは北米、アフリカの多くと、インドのすべての植民地をイギリスに明け渡すことになります。イギリスでは海外植民地の拡大に合わせ、国内では軽工業を中心とした産業革命が起り、多くの中産階級が経済的に恵まれるようになり音楽に親しむようになります。

 6/9、モーツァルト一家はフランスに向けてザルツブルクを出発します。旅の目的地はフランスのパリでしたが、更にモーツァルトとナンネルの先天性の病の治療のために、オランダで先進治療を受けるためともいわれています。モーツァルト一家にとっては苦難の旅となりました。

【音楽史年表より】
1763年1/5、モーツァルト(6)
モーツァルト一家、自家用馬車でザルツブルクへ戻る。ヴォルフガングは関節リュウマチにかかり1週間床につく。(1)
2/13
プロイセンのフリードリヒ2世とマリア・テレージアはライプチヒ郊外のフーベルトゥスブルクで和議を結び、7年戦争が終結する。(1)
2/28、モーツァルト(7)
前年6月にザルツブルク宮廷楽長エーベルリンが死去し、この日副楽長のジュゼッペ・ロッリが楽長に昇進し、モーツァルトの父レオポルトは副楽長に昇進する。この日はザルツブルク大司教ジークムント・フォン・シュラッテンバッハの誕生日にもあたり、夕刻には全廷臣が集められ、祝宴ではモーツァルト姉弟が演奏を披露した。ヴォルフガングとナンネルは女帝マリア・テレージアから賜った大礼服を着て演奏に臨んだものと思われる。(1)
6/9、モーツァルト(7)
大司教の許しを得て、モーツァルト一家は西方への大旅行にプレスブルクで購入した自家用馬車で出発する。今回は一家4人に加え従僕のゼバスティアン・ヴィンターが同行する。この西方大旅行はモーツァルト親子にとって最大規模の旅となり、1766年11月29日までの実に3年半を費やすことになる。(1)
モーツァルト一家はウィーン訪問で、貴族社会での更なる名声を得るために、西方大旅行に出発したのだが、もう一つの目的は、生まれながらにして悪魔の病気を抱えてしまった子供たちに、パリとオランダで本格的な先天性梅毒の先進治療を施すためであり、一家にとっては苦難の始まりであった。(2)
【参考文献】
1.モーツァルト事典(東京書籍)
2.塩山千仭著・モーツァルト愛と死(春秋社)

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