見出し画像

音楽史年表記事編68.フランス、イギリス・オペラ創作史

 本編のフランス、イギリス・オペラ創作史は、フランス語台本によるフランス・オペラ、英語台本によるイギリス・オペラにより構成します。なおフランス以外の地域で初演されたフランス・オペラを含みます。
 イタリアのモンテヴェルディによって近代オペラが始まりましたが、フランスではオペラはバレエと一体となって上演されました。これらは宮廷バレエと呼ばれ、15歳の後のフランス国王ルイ14世は宮廷バレエ「夜のバレ」に出演しています。夜の10時に開演され、夜を徹して上演が続けられ、夜明け頃に始まる第4部では太陽神アポロンに扮したルイ14世が登場します。ルイ14世は日の出とともに太陽神を演じたことから太陽王と呼ばれるようになります。バロック期のフランスではイタリアから渡ったリュリやフランスのブルゴーニュに生まれたラモーが活躍し、ラモーは5幕のオペラ・バレエの様式を確立します。ロマン派期においてもフランスでは、オペラにバレエを用いることが慣例となっていました。
 ロマン派期にはフランス・グランドオペラがパリやウィーンを席巻しますが、その基礎を築いたのはイタリア人のロッシーニでした。パリのイタリア座の音楽監督に招かれたロッシーニは本格的なグランドオペラ「ギョーム・テル(ウィリアム・テル)」を作曲し、その後イタリアからドニゼッティやベッリーニを呼び寄せ、経済的な面で世話をしたようです。
 フランスのグランドオペラで最も上演された作品はドイツ出身のマイヤーベーアのオペラでした。ワーグナーはフランスでマイヤーベーアから大きな影響を受けています。しかし、ワーグナーはフランス・オペラの娯楽性を批判し、新ドイツ主義をかかげドイツにおける偉大な作曲家となります。オペラを台本も含めた総合芸術に高めようとしました。
 ワーグナーはオペラを楽劇にまで発展させましたが、一方で反ワーグナー的潮流が生まれます。ビゼーの「カルメン」はワーグナーに対する潮流としてのヴェリスモ・オペラの初期の先駆と見られます。ヴェリスモ・オペラでは貧しい男女の直情愛や憎しみを表現します。ワーグナーの信奉者であったニーチェはやがてワーグナーから離れ、ビゼーの「カルメン」を称賛するようになります。イタリアではプッチーニのヴェリスモ・オペラの名作「ラ・ボエーム」が作曲されます。
 一方の、イギリスではバロック期にヘンリー・パーセルによってイギリス初期のバロックオペラが作曲されます。イギリスの貴族はグランドツアーと称して、先進のルネサンス文化などを学ぶためにヨーロッパ各地やイタリアを巡っています。そして、ヘンデルはベネツィアで上演した「アグリッピーナ」により名声を得てイギリスへ渡るきっかけを作り、イギリスにイタリア・オペラをもたらします。イギリスのオペラ史はバロックのヘンリー・パーセルに始まり、20世紀のベンジャミン・ブリテンで幕を下ろすことになります。

【音楽史年表より】
1653年2/23初演、カンブール、ボセエ、ランベール、モリエール共作、宮廷バレエ「夜のバレ」
パリのプティ・ブルボン宮で上演される。声楽曲はバンスラードの台本によりカンブール、ボセエ、ランブールの3人の作曲家による。また、器楽曲はモリエールが作曲を担当。トレッリは舞台装置を受け持つ。このバレの最後を締めくくる第4部は夜中の3時から夜明にかけて行われたが、ちょうど太陽が昇りかける頃、ルイ14世がアポロンに扮して踊りながら登場した。王はまさに昇る太陽の象徴であり、世界を照らす絶対的な存在である太陽そのものであることを示す。(1)
1728年1/29初演、ジョン・ゲイ、乞食オペラ
ロンドンのリンカーンズ・イン・フィールズ劇場でジョン・ゲイの「乞食オペラ」が初演され、瀕死の状態にあったアカデミーに最後の一撃を加える。台本は当時の政治、社会、文化を痛烈に風刺し、上流階級の最大の娯楽であったイタリア・オペラをパロディ化し、庶民の不満を巧みに代弁した。(2)
1829年8/3初演、ロッシーニ(37)、歌劇「ウィリアム・テル(ギョーム・テル)」
パリ・オペラ座で初演され、ベルリオーズなども称賛したほどの成功であった。原作はフリードリヒ・フォン・シラーの戯曲「ヴィルヘルム・テル」。(3)
ロッシーニの「ウィリアム・テル」(シラー原作)はロッシーニの快楽的なイメージを根底から覆す大傑作であり、あのロッシーニ嫌いのワーグナーさえも文句なしに感服していた。ウィリアム・テルは何よりもその完成度の高さと構想の雄大さの点で、それまでのロッシーニ作品から際立っている。失われた祖国の自由を憂えるウィリアム・テルの苦渋に満ちた声からは歴史に翻弄されつつも、自らの手でそれを動かし、祖国を建設しようとする近代人の苦悩と意思がはっきり聴き取れる。そこでは我々と同じ生身の人間が、自ら彼らに投影することによって、我々一人ひとりが歴史という名のオペラの主人公になるのだ。この点でウィリアム・テルは史上まったく新しいタイプのオペラであり、7月王政の時代に確立されるグランドオペラのジャンルの偉大な先駆であり、新時代の到来を告げる記念碑的な作品である。(4)
1836年2/29初演、マイヤーベーア(44)、歌劇「ユグノー教徒」
パリ・オペラ座で初演される。グランドオペラの魅力とは何か。「ユグノー教徒」を聴けば、とにかく音楽が効果的であることに驚かされる。舞台効果満点で、覚えやすい勇壮な行進曲風の旋律、壮大な合唱、甘美な女声のコロラトゥーラ、とろけるような愛の二重唱など、オペラの聴衆が求めるありとあらゆる音楽パターンを万遍なく作曲者は提供してくれる。しかし、グランドオペラの真の魅力は音楽だけ取り出して聴いても、決して理解できないだろう。それは音楽と台本と舞台が一体になって作り出す総合演劇である。豪華極まりない舞台装置、それが再現する壮大な歴史パノラマ、運命に翻弄される男と女、そしてメロドラマに不可欠なロマンチックな音楽、これこそがグランドオペラの精髄なのだ。「ユグノー教徒」はパリで1903年までに1000回、ウィーンで1900年までに500回以上上演された。グランドオペラは19世紀最大の人気オペラだった。(4)
1875年3/3初演、ビゼー(36)、歌劇「カルメン」
パリ・オペラ・コミック座(サン・ファヴァール)で初演される。初演について新聞は酷評し、聴衆の多くはあからさまに憤った。これらの無理解な反応がビゼーを怒らせ、彼の命を奪った病気の一因になった可能性はある。しかし、サン=サーンスやチャイコフスキーなど炯眼を持つ音楽家は、当初からその迫力と独創性を認めていた。ビゼーは同年6月に亡くなるが、1883年頃にはこのオペラは世界中で大ヒットしていた。ブラームスもワーグナーもこれを称賛し、ニーチェは「これこそワーグナー・ノイローゼへの解毒剤である」という有名な言葉を残す。ビゼーは、その死後に、生前に受けたどんな評価をもしのぐ栄光の頂点に立った。(3)

【参考文献】
1.今谷和徳・井上さつき共著・フランス音楽史(春秋社)
2.三澤寿喜著、作曲家・人と作品シリーズ ヘンデル(音楽之友社)
3.新グローヴ・オペラ事典(白水社)
4.岡田暁生著・オペラの運命(中央公論新社)

SEAラボラトリ

作曲家検索(約200名)、作曲家別作品検索(約6000曲)、音楽史年表検索(年表項目約15000ステップ)で構成される音楽史年表データーベースにリンクします。お好きな作曲家、作品、音楽史年表をご自由に検索ください。

音楽史年表記事編・目次へ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?