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音楽史年表記事編92.モーツァルトのクラリネット協奏曲イ長調

 モーツァルトは15歳の時、イタリア・ミラノで初めてクラリネットを使ったディヴェルティメントを作曲し、1778年マンハイムではこの楽器に魅了され、パリではチュイルリー宮殿のスイス衛兵の間で開催されていた公開演奏会コンセール・スピリチェルのために、クラリネットを使った完全2管編成のパリ交響曲K.297を作曲します。そして、ウィーンに定住したモーツァルトは宮廷楽団員で構成される管楽八重奏団のために作曲を行い、名曲グランパルティータ変ロ長調K.361を作曲します。
 ウィーン宮廷楽団のクラリネット奏者シュタードラーはクラリネットの改良に取り組んでおり、モーツァルトは作曲家として楽器の改良に協力し、クラリネットの幅広い音域と分散和音を得意とする楽器の特性を生かしたクラリネット五重奏曲K.581やクラリネット協奏曲K.622などの名曲を残しました。
 また、歌劇「皇帝ティートの慈悲」K.621ではクラリネットのオブリガート付きのアリアを作曲するなど、声楽と管楽器のアンサンブルに新境地を開きます。この歌劇はプラハで初演されましたが、プラハへはクラリネット奏者のシュタードラーを帯同します。
 現代においても、クラリネットやオーボエ、ファゴット、ホルンの協奏曲ではモーツァルトの作品が演奏されます。モーツァルトはオペラでも歌手の技量を試すために事前に歌曲を作曲したりしていますが、管楽器においても演奏者と共に楽器の特徴を徹底的に試し、またクラリネットでは楽器の改良に協力しています。このようなモーツァルトの演奏者との信頼関係と、モーツァルトの楽器に対するひたむきな探求心が珠玉の名曲を生み出したといえます。古典派期に改良が進んだクラリネットは、モーツァルトによってオーケストラにおける木管楽器の重要なパートを担うようになりました。

【音楽史年表より】
1771年11/22または11/23作曲、モーツァルト(15)、クラリネット2、ホルン2、弦楽合奏のためのディヴェルティメント変ホ長調K.113
ミラノのマイヤー氏邸のアカデミーで初演される。このディヴェルティメントはモーツァルトが初めてクラリネットを使った作品として知られる。(1)
1778年6/18初演、モーツァルト(22)、交響曲第31番ニ長調「パリ」K.297
パリのコンセール・スピリチェルで初演される。モーツァルトはコンセール・スピリチェルの支配人ジャン・ル・グロから聖体祭用の交響曲の作曲の依頼を受ける。作曲は5月頃に着手し、6/12以前には完成したが、モーツァルトにしては異例なほどの推敲を行っている。(1)
モーツァルトはパリ交響曲で初めて2本のクラリネットを加え完全な2管編成の交響曲としている。モーツァルトはマンハイムでこのクラリネットという楽器に魅せられ、後にクラリネット協奏曲を作曲するなど、クラリネットの発展に大いに貢献することとなる。(2)
1784年3/23初演、モーツァルト(28)、13管楽器のためのセレナード変ロ長調「グランパルティータ」K.361
ブルク劇場で開催されたクラリネットの名手アントン・シュタッドラー主催の音楽アカデミーで第1、第2、第5、第7の4楽章が演奏されたが、この演奏が初演と思われる。当時、ウィーンではオーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴット各2本の八重奏を基本とする「ハルモニー」と呼ばれる管楽器アンサンブルが流行し、皇帝ヨーゼフ2世も宮廷に管楽八重奏団を常設していた。モーツァルトはこの八重奏にさらにバセットホルンとホルンをそれぞれ2本およびコントラバスを加えた13人によるアンサンブル曲を作曲する。コントラバスの代わりにコントラファゴットを用いて演奏することもあり、この曲は「13管楽器のためのセレナード」と呼ばれることもある。自筆譜には「グランパルティータ」と書かれているがこれはモーツァルト自身の手によるものではないことが判明しているが、この通称で呼ばれることが多い。(1)
1786年8/5作曲、モーツァルト(30)、クラリネット、ビオラ、クラヴィーアのための三重奏曲変ホ長調「ケーゲルシュタット・トリオ」K.498
「ケーゲルシュタット(九柱戯)トリオ」という愛称は九柱戯(一種のボーリング)に興じながら作曲したという逸話に由来する。カロリーネ・フォン・ピヒラーの回想録によれば、この三重奏曲はジャカン家の集いのために、特にゴッドフリート・フォン・ジャカンの妹フランツィスカのために書かれた。彼女はモーツァルトの弟子でかなり上手にピアノを弾いた。おそらくA・シュタードラーのクラリネット、モーツァルトのビオラ、そしてフランツィスカのクラヴィーアで演奏されたと推測される。(2)
1789年9/29作曲、モーツァルト(33)、クラリネット五重奏曲イ長調K.581
フリーメイソンの盟友であり、クラリネットの名手であったシュタードラーのために作曲され、12/22ブルク劇場で初演される。モーツァルト自身、この曲を「シュタードラー五重奏曲」と呼んでいた。クラリネットは18世紀に登場した新しい楽器でモーツァルトは1771年にミラノで初めて用いているが、モーツァルトがこの楽器の真価に気付いたのはシュタードラーと知り合った1874年頃からである。モーツァルトはそれ以降この楽器をあらゆる分野に生かし始めた。傑作オペラにおける愛の表現にクラリネットは欠かせぬ楽器となり、また交響曲第39番の至福の響きはクラリネット無しには生まれなかったであろう。そうした過程を経てモーツァルト最後期のスタイルとクラリネットの表現力の幸福な一致から生まれたこの作品は、晩年の室内楽の最高傑作であり、また管楽器と弦楽器のための古今の室内楽の頂点に立つ傑作となっている。(2)
1791年10月初め作曲、モーツァルト(35)、クラリネット協奏曲イ長調K.622
モーツァルトがクラリネットのために書いた唯一の協奏曲であるこの曲は、ウィーンの宮廷楽団に仕えるクラリネットの名手で、モーツァルトと同じフリーメンスン結社員でもあったアントーン・シュタードラーのために作曲された。モーツァルトの晩年の作品の特徴である清澄なスタイルのもとにクラリネットの情緒豊かな音色が死期の迫ったモーツァルトの澄みきった心情を見事に描き出すこの曲は彼の円熟した協奏曲様式を端的に示しており、モーツァルトのみならず古典派の管楽器のための協奏曲の最高傑作として親しまれている。マンハイム・パリ旅行の折にマンハイムでクラリネットを聴いて以来この楽器に魅了されていたモーツァルトではあるが、低音域の拡張に力を注ぎ、楽器の改良にも貢献したシュタードラーというクラリネットの名手と知り合い、親しくなったからこそ、モーツァルトはクラリネットという楽器の特徴を十二分に知ることができ、こうしたクラリネットの不朽の名作を生む出すことができたといえよう。(2)

【参考文献】
1.作曲家別名曲解説ライブラリー・モーツァルト(音楽之友社)
2.モーツァルト事典(東京書籍)

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