見出し画像

音楽史年表記事編80.器楽室内楽創作史

 モーツァルトの歌劇「魔笛」ではパパゲーノがパンの笛を吹きますが、この笛はリコーダーの原型で音楽史上最も古い管楽器といえるでしょう。ルネサンス期にはベネツィア楽派のG・ガブリエーリは管楽器のための合奏曲集などを残しています。この時期にはスライド管で音程を自由に変えられるトロンボーンが使われており、教会でのミサ曲などで合唱のアルト、テノール、バスを補助する楽器として使用されるようになったようです。バロック期には木管楽器もフルートの原型であるフラウト・トラヴェルソやオーボエの原型であるバロック・オーボエなどに改良が進み、管楽器のためのソナタやトリオ・ソナタなどが作曲されるようになります。
 古典派期以降、管楽器室内楽は作曲家と管楽器奏者の名手との交流から生まれます。モーツァルトはマンハイム宮廷楽団のフルートの名手ヴェンドリングとの交流からフルート四重奏曲第1番ニ長調K.285を作曲し、さらにマンハイムからミュンヘンに移ったマンハイム宮廷楽団のメンバーのオーボエの名手フリードリヒ・ラムとの交流からオーボエ四重奏曲ヘ長調K.370を作曲し、ザルツブルク宮廷楽団員でウィーンに移ってチーズ商を営んでいたホルン奏者ロイトゲープのためにホルン五重奏曲変ホ長調K.407を作曲します。また、当時としては新しい木管楽器であったクラリネットのために、ウィーン宮廷楽団の名手シュタードラーとの交流からクラリネット五重奏曲イ長調K.581を作曲します。モーツァルトはこれらの管楽器の名手たちから各楽器の音域や奏法上の特徴を学んだばかりではなく、管楽器の特徴を更に引き出すような奏者にとっては難曲でもある珠玉の作品を作曲し、このことによって各管楽器は更に改良が進みました。ウィーン宮廷や各貴族邸では木管六重奏や木管八重奏が演奏されており、モーツァルトはこれらの注文によっても作曲を行っています。1784年にはハルモニーの名曲である13管楽器のためのセレナード変ロ長調「グランパルティータ」K.361が生まれました。木管楽器のための協奏曲も含めてモーツァルトは管楽室内楽の名曲を独占的といってもいいほどに残しており、モーツァルトは「管楽協奏曲、管楽室内楽の父」と呼んでも良いくらいです。
 ウィーンに音楽留学したベートーヴェンも初期の頃には管楽器のためのディヴェルティメントを作曲しています。1799年にはクラリネット、ファゴット、ホルン、バイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスのための七重奏曲変ホ長調Op.20を作曲し、作品が初演されるとウィーンで大ヒットします。シューベルトもベートーヴェンの七重奏曲にならい八重奏曲ヘ長調D803を作曲し、ウェーバー、ブラームスはクラリネットの室内楽を作曲しています。

【音楽史年表より】
1777年12/25作曲、モーツァルト(22)、フルート四重奏曲第1番ニ長調K.285
このフルート四重奏曲はモーツァルトがマンハイム滞在中にオランダの音楽愛好家ド・ジャンからの依頼で書かれたとされていたが、最近になってこの人物はボンに生まれた医師で長く東インド会社に勤めたあと、1777年にはマンハイムに滞在していたとされる。ド・ジャンはその後ウィーンに住みモーツァルトとの交流は続けられた。一方、モーツァルトにとってはマンハイムのフルートの名手ヴェンドリングとの出会いが大きな刺激になったのであろう。モーツァルトの歌うアレグロがパリ風のロココの優美をまとったこの作品は、古今のフルート四重奏曲の最高傑作となっている。(1)
1781年初め作曲、モーツァルト(24)、オーボエ四重奏曲へ長調K.370
モーツァルト唯一のこのオーボエ四重奏曲はオペラ「イドメネオ」K.366上演のため滞在中のミュンヘンで1781年の初め、宮廷楽団のオーボエ奏者フリードリヒ・ラムのために作曲される。モーツァルトは1777年のマンハイム滞在中からラムと親しく交際しており、1778年にはパリへ来演したラム他木管楽器の名手たちのために協奏交響曲変ホ長調K.Anh.9を作曲している。アインシュタインはコンチェルタントな精神と室内楽精神の結合という点で、この作品に比較しうるものは晩年のクラリネット五重奏曲K.581だけであると述べている。(2)
1782年終り頃作曲、モーツァルト(26)、ホルン五重奏曲変ホ長調K.407
モーツァルトの一連のホルン作品は1777年までザルツブルクの宮廷楽団員を務め、モーツァルトより一足早くウィーンに移り住み、チーズ商を営みながらホルン奏者としても活躍したイグナーツ・ロイトゲープのために書かれた。曲想はロイトゲープとの交友ぶりを偲ばせる「半ばおどけたもの」となっている(アインシュタイン)。ホルン、バイオリン、ビオラが2本、チェロで演奏される。(1)
1784年3/23初演、モーツァルト(28)、13管楽器のためのセレナード変ロ長調「グランパルティータ」K.361
ブルク劇場で開催されたクラリネットの名手アントン・シュタッドラー主催の音楽アカデミーで第1、第2、第5、第7の4楽章が演奏されたが、この演奏が初演と思われる。当時、ウィーンではオーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴット各2本の八重奏を基本とする「ハルモニー」と呼ばれる管楽器アンサンブルが流行し、皇帝ヨーゼフ2世も宮廷に管楽八重奏団を常設していた。モーツァルトはこの八重奏にさらにバセットホルンとホルン2本およびコントラバスを加えた13人によるアンサンブル曲を作曲する。コントラバスの代わりにコントラファゴットを用いて演奏することもあり、この曲は「13管楽器のためのセレナード」と呼ばれることもある。自筆譜には「グランパルティータ」と書かれているがこれはモーツァルト自身の手によるものではないことが判明しているが、この通称で呼ばれることが多い。(2)
1789年9/29作曲、モーツァルト(33)、クラリネット五重奏曲イ長調K.581
フリーメイソンの盟友であり、クラリネットの名手であったシュタードラーのために作曲され、12/22ブルク劇場で初演される。モーツァルト自身、この曲を「シュタードラー五重奏曲」と呼んでいた。クラリネットは18世紀に登場した新しい楽器でモーツァルトは1771年にミラノで初めて用いているが、モーツァルトがこの楽器の真価に気付いたのはシュタードラーと知り合った1784年頃からである。モーツァルトはそれ以降この楽器をあらゆる分野に生かし始めた。傑作オペラにおける愛の表現にクラリネットは欠かせぬ楽器となり、また交響曲第39番の至福の響きはクラリネット無しには生まれなかったであろう。そうした過程を経てモーツァルト最後期のスタイルとクラリネットの表現力の幸福な一致から生まれたこの作品は、晩年の室内楽の最高傑作であり、また管楽器と弦楽器のための古今の室内楽の頂点に立つ傑作となっている。(1)
1799年12/20私的初演、ベートーヴェン(29)、クラリネット、ファゴット、ホルン、バイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスのための七重奏曲変ホ長調Op.20
ウィーンの宮廷料理長イグナツ・ヤーンの小ホールにおいてシュパンツッヒらによって私的初演が行われる。(3)
この曲はメヌエットとスケルツォを有する6楽章構成という点で、実質的にはディヴェルティメントに属する。この時期すでにベートーヴェンはそれまでの常套的なものから脱した独自の形成法を作りつつあったにもかかわらず、伝統的なディヴェルティメントという衣をまとった娯楽音楽をきわめて優雅にしかも充実した語法によってつくりあげている。この作品はまたたく間に人気を博して行くのであるが、ベートーヴェンはこれをもって実質的にこの種の音楽から別れを告げる。これまでのベートーヴェンの作曲の実験の場は主にピアノ・ソナタであったが、この年から新たに弦楽四重奏曲、交響曲という新たな2つの重要な器楽ジャンルを世に問いかけていくのである。(4)
1815年8/25作曲、ウェーバー(28)、クラリネット五重奏曲変ロ長調J182
プラハで完成する。ウェーバーは1811年9/14にスイスのイエギスドルフで作曲に着手し、12年3/22ベルリンでその第2楽章を完成し、4/13にはベールマンの誕生日を記念して終楽章を除いて五重奏曲の楽譜を送る。ウェーバーは歌手のカロリーネ・ブラントとの結婚をカロリーネに反対され、ミュンヘン宮廷楽団に所属するクラリネットの名手ベールマンの家に15年6月から8月末まで滞在し、ベールマンへの感謝とカロリーネへの慕情をこめて作曲する。(5)
1824年3/1作曲、シューベルト(27)、Cl、Fg、Hrと弦楽四重奏、Cbとのための八重奏曲ヘ長調D803、Op.166
この曲はベートーヴェンのパトロンのルドルフ大公の侍従長であり、自らクラリネットの名人でもあったフェルディナンド・フォン・トロイヤー伯爵から依頼されて作曲されたものであり、しかもベートーヴェンの七重奏曲Op.20と同じような作品というのが伯爵の注文であったと伝えられている。私的初演は完成後まもなく、ウィーンのグラーベンの依頼人トロイヤー伯爵の家で行われた。伯爵がクラリネットを受け持ち、弦楽器はシュパンツィヒ四重奏団のメンバーが加わったといわれる。公開初演は1827年4/16ウィーン楽友協会のシュパンツィヒ四重奏団の演奏会で行われたが、この時のクラリネットはトロイヤー伯爵ではなく、宮廷楽団の奏者が受け持った。(6)
1891年12/12初演、ブラームス(58)、クラリネット五重奏曲ロ短調Op.115
ミュールフェルトのクラリネットとヨアヒム四重奏団によって初演される。91年夏にイシュルで出会ったマイニンゲン宮廷楽団のミュールフェルトとの出会いは、一度引退を決意したブラームスに、新たな想像力の高まりをもたらした。ブラームスはミュールフェルトのためにクラリネット五重奏曲とクラリネット三重奏曲を作曲する。(7)

【参考文献】
1.モーツァルト事典(東京書籍)
2.作曲家別名曲解説ライブラリー・モーツァルト(音楽之友社)
3.ベートーヴェン事典(東京書籍)
4.作曲家別名曲解説ライブラリー・ベートーヴェン(音楽之友社)
5.最新名曲解説全集(音楽之友社)
6.作曲家別名曲解説ライブラリー・シューベルト(音楽之友社)
7.西原稔著・作曲家・人と作品シリーズ ブラームス(音楽之友社)

SEAラボラトリ

作曲家検索(約200名)、作曲家別作品検索(約6000曲)、音楽史年表検索(年表項目数約15000ステップ)で構成される音楽史年表データベースへリンクします。お好きな作曲家、作品、音楽史年表をご自由に検索ください。

音楽史年表記事編・目次へ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?