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母と、一生の友達

母と私は折り合いが悪い。24年間生きてきた中でも、まだ私は母を好きになれない。
しかし、そんな母からの教えで唯一、今も、きっと今後も、私の人生の軸になっていることをがある。

私の家は、物心つく頃には既に本で溢れていた。
保育園・幼稚園でもらう絵本がダンボール何箱分もいっぱいにあったし(当時、家に本棚はなかった気がする)、いつ見ても母は本を読んでいた。

小学校に上がった私の居場所は図書室だった。
2時間目と3時間目の間にある少し長い休み時間(私の小学校では"行間休み"と呼ばれていた)は、必ず外で遊ばなくてはならないルールだったのだが、先生や他の児童の目を盗んで図書室に駆け込んだ。
行間休みで借りた本は、授業以外の時間や昼休みで読み、放課後には読み終わるのでまた図書室に行き、返却して新しい本を借りる。
そんな6年間を過ごした。おかげで、図書室の辞書や百科事典等以外の、本と認識しているものはほぼ全て読ま終えてしまった。
年々、読む本を探すことに苦労した覚えがある。
本は宝物だった。

中学校に上がってからは、運動部に入って土日も忙しかったので本を読む機会がめっきり減ったが、高校に上がってからアルバイトをし始めて自分だけのお金が手に入るようになると、買うのはやはり本ばかり。

大学進学してからも、専門書を買うついでに本も買う。その当時ハマっていたのは、夏目漱石や太宰治などの文豪と呼ばれる方々の本。今でも昔の人の本の方が好みだ。


別に、母に読めと言われたから本を読んでいた訳では無い。

母が、読んでいたから。
母が、毎日本を読む姿を私に見せていたから。

ただ、それだけ。

私にとって、母が本を読んでいるのが当たり前で、家に本があるのが当たり前で、学校でも家でも本を読んでいるのがあたり前で、本がある生活が当たり前だった。


本は一生の友達
母がよく言っていた。
本を読んだ方がいいよとか、そんな話はあまり聞かなかった。
ただ、本は一生の友達になると言っていただけ。

そんな母の言葉は、私の人生の軸になっている。


大人になって、子どもの頃よりも色んな人に出会った。
それは良くも悪くもだ。
人間関係が上手くいかなかったり、嫌な思いをしたり、友達でなくなったこともあったけれど、その度に、
本は一生の友達
に支えられた。

今でも、仕事やプライベートで上手くいかなくて気持ちが沈んだ時は、本を読む。
今でも、一番好きな場所は本屋だし、自分好みのいい本を探すのが、どこに遊びに行くよりもワクワクする。

何があっても、本さえあれば取りあえず何とかなる。そう思えると気が楽になる。嫌なことあっても、「ま、いっか」てなる。

一生の友達を教えてくれた母に感謝を

デジタルが進んだ現代でも、
未だに私は紙の本の方が好きだ。

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