「分かってよ」を、わかること
先日、cotreeさんのオンラインカウンセリングを申し込みました。
今年の冬からずっとくすぶっていて、誰に相談していいか分からない そもそも「くすぶってる」のは事実でも何を相談していいかわからなくて でも、自分ではうまく抱えておけなくて
正直、「こんなことで相談してしまっていいのか」「こんな状態で相談してもいいのか」という迷いもありました。
実際に受けてみて今、「受けてよかった」と そう思います。
カウンセリングについて
カウンセリングを受けるまえ、わたしにとって問題だと思っていたのは「自分の感情のコントロールの下手さ」と「『自分が1つのできごとからずっと抜け出せていないこと』への自己嫌悪」との2つでした。
時間の事もあって、「『自分が1つのできごとからずっと抜け出せていないこと』への自己嫌悪」について お話を聞いていただいて 整理や「これから」について考えるのを助けていただきました。
「分かってよ」の思い
カウンセリングを受ける中で、びっくりしたこと 自分の中で「これからできるようにしよう」と思ったことは大きく二つあります。一つ目は、方法が常に「解決方法」になれるとは限らないということ。二つ目は思いをどこに向けるかということです。
方法が常に「解決方法」になれるとは限らないということ
「どうして、受け入れられないんだと思いますか?」
「受け入れられていないことがいやだ」といった時、一番最初にいただいたのはこの言葉でした。
ずっと受け入れるための方法ばかり考えていた自分にとっては、「どうして受け入れられていないのか」「なにがくすぶっているのか」ということに目を向ける、という発想自体が抜け落ちていたことに気が付きました。
受け容れなきゃ 受け入れられていない自分がいけないんだ、と思い続けていたことが、「なにが受け入れにくい原因なのか」に目を向けたとき、解決に向かうには「気持ちを消す方法」にこだわっていたままではいけないんだ、という見方を知ることができました。
思いをどこに向けるかということ
「どうしてまだくすぶったままなんだろうか」というお話をしている中で、わたしが何度も「わからない」「えっわからない…すみません」と繰り返したことがあります。
「その○○っていうのは、どういう気持ちだった?」
「嫌だった」「なんかいやだ」と繰り返していたこともあり、何度もこれを聞かれ、何度も「わからない」と繰り返しました。
わたしがずっと受け入れられずにいるのは、自分の所属する部活の事です。大きな行事を前に主力の一人が突然部活をやめてしまったこと。行事をやると運営で話して進めていると突然「やる・やらない」という話に戻ったこと。自分の理解が追い付かないまま、気持ちだけぐちゃぐちゃのまま行事は何とか終わったこと。行事が終わると、「やってよかった」という声を聞いたこと。「やってよかった」ってどういうことなのだろうと思っていたこと。そうやって終わっていくのがいやだったこと。
一つ一つを「どういう気持ち?」と解きほぐしていただいていく中で、「全期間、動いていたのに 自分が理解の追い付かないことがあって悔しかった」「『それでもやるんだ』と奮い立っていたのに、話が「やる・やらない」に戻ってしまって苦しかったこと」「苦しくても動いていたのに「分かってもらえない」と思っていたこと」「行事が終わったら それまでの葛藤や運営自体への評価はないということへの悔しさや寂しさ」が、自分自身が受け入れることができていない「なんかいや」の正体であるということがはっきりしていきました。
「分かってよ」を、わかること
「承認欲求が強いんでしょうか、なんだか恥ずかしいです」
カウンセリング終盤、「分かってもらえない」と感じていることについてこうこぼした場面がありました。
だって、部活の運営で ある程度全員が通る道で、「頑張ったのに」なんて 子供っぽいなと思ったのです。
そんなわたしに カウンセラーさんがくださったのは「それだけ真摯にやってきたんだよ 必死だったんじゃない?」ということ。
そうか、必死でやっていたな 「分かってるよ」って言ってほしかったんだ、と思いました。
そして今noteをかいている中で新たに思ったのは、「わたし自身に『頑張っていた』と自分が、「分かってるよ」と思うことができていなかったから、より一層くすぶっていたのだろうということです。
「周りの人たちならきっとわかってくれるから、伝えてみます」と言ったし、できる限りそうしていくつもりですが、もう一つ。
「自分が『分かってよ!」と思っていたこと、やっと、わかったよ。」
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