見出し画像

私について書いてみる



気づけば高校三年生。
将来も不透明、なんなら大学もまだ受かってないですが、今の私だからこそ書けることがある気がして、このnoteを始めた所存です。

私は中高6年間を女子校に捧げ、
他の女子高生はあまり考えないようなことを考えながら高校生活を送ってきたように思います。

というのも、いわゆる進学校と言われる私が通っている学校は、言うなれば他人に無関心な学校で、一度友達作りに失敗した私はその持て余した一人の時間を'考えること'で潰す他無かったのです。


イジメも嫌がらせも全部関心から来るものですから、勿論私はイジメにあっていた訳ではありません。
私はただ、他人から関心すら受けず過ごしてきました。
実際のところどうなのかは分かりませんけどね、そう思ってしまうほど自分に自信が無かったのです。



そんな一人の時間を過ごしていた時、私は映画やドラマという映像作品の世界に出会いました。
きっかけは興味本位で見始めた韓国ドラマでした。本当に本当に大きな出会いだったんです。

観てる時間は'考える'ことを放棄できました。言わば現実逃避のような存在であり、その作品から新たな世界を知ることで、私はまた'考えた'のです。



気づいたことがあります。

あぁ、私は愛に飢えてたんだなぁ、と。愛だなんて小っ恥ずかしい単語、とは思いますが、本当に、愛なんです。



愛の無い家庭環境だった訳ではないと思います。
愛されているのに、母とはすれ違いが多かったんです。束縛が激しくて、自分のしたいことをするには毎回一悶着がありました。
甘ったれたことを言うなと思われるかもしれません。
ですが私は、母は私のことを理解していないなと感じてしまうのが、たまらなく、虚しかったんです。


家にも、学校にも、居場所がないと思っていました。

女子校で6年間を過ごし、コロナ禍も経験しました。自分に自信を無くして、どんどんと自分を隠すようになり、ふと、自分をさらけ出せたらどれだけ幸せなのだろうかと考えました。

さらけ出したいというより、自分を理解してくれる人に出会いたかったんです。


ドラマのように私も愛されたい、ではなく私は、ドラマのように、自分を理解してくれるその誰かに、全身全霊、私の愛を捧げたいのです。

綺麗な言葉で大それたことを言いましたが、一言で言えば私はこの学生生活で色々と拗れた訳です。


私は冗談抜きで、大真面目に、愛について考えるようになりました。
そして考えています。

愛について考えると、セクシュアリティや結婚について考えることは避けられないんですね。

私には姉がいます。私は姉の影響で昔からジェンダーやセクシュアリティについては人より知識がありました。
知識というのも変ですね。
その存在するジェンダーやセクシュアリティを、当たり前に'存在する'と認識できる環境にいた訳です。

加えて女子校に通っているのもあり、閉鎖された学校という空間内で さぁ彼氏を探そう とかいう思考になる経験も無く、漠然と、愛について考えていました。



私は愛だとか恋だとかに模範解答は無くて
愛の形も関係性の形も、1つとして同じ形はないと思ってるんです。



ドラマから映像作品の世界にどっぷり浸かり、私はそこから色んな世界を知りました。

そしていずれかは私も映像作品を作りたいと思うようになりました。

私は人間の様々な形を、ぐちゃっとして結論も出せなくても、その形を、その形のまま撮りたいのです。


その一心で、現在進行形で、映像の勉強に励む毎日でございます。

そんな私が日々考えたことを、これから文章化できたらいいなと思っているのですᙅ⩬


それでは♩

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?