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とある京大卒女子(28)が転職しまくってフリーランスになった道のり〜会社員編〜

こんにちは。双子のトコトコ(姉、京大卒)です。
今回はリクエストがあった【キャリア遍歴】について書きたいと思います。

ざっくりまとめると、
休学中に就活
→食品メーカー1年
→WEBマーケター8ヶ月
→キャリアブレイクで海外放浪
→経営コンサルタント7ヶ月
→個人事業主
になります。

キャリア遍歴シリーズでは下記の内容について書いています。

Part①会社員編(このnoteです!)
・就職活動
・会社員生活
 仕事内容、転職方法、退職理由など
・会社員時代の振り返り

Part②フリーランス編
・独立するときにやったこと
・今やってるビジネス
・現在の収入/支出
・フリーランスになりたい人へのアドバイス

本noteは有料ですが、就職活動の部分は無料で公開しています。

来年1月19日の文学フリマ京都では、このnoteを加筆修正して本にします。
続きが気になる方は、記事を購入していただくか、文学フリマ京都にお越しください…!

文学フリマ京都の詳細はこちら▼
https://bunfree.net/event/kyoto09/


うまくいかない就職活動

就活したくなかった。サラリーマンになりたくなかった。

そんな思いで大学時代は古道具や林業で稼ぎ、休学中は社長のカバン持ちをしながら、ビジネス系youtubeをBGMに流し、プログラミングと簿記とFPの勉強をしていた。
普通なら意識高い系を揶揄されるのだろうが、一時的に同級生とのつながりを絶っていたため、誰もそんなことを言ってこなかった。

ずっとフリーランスとして仕事をしようともがいていた。でも、どうしても、新卒カードを捨てることにどうしても抵抗があった。
とりあえず就活しようと観念した私は、5回生の3月に就活を開始した。

大手の新卒就活サイトに申し込み、ひたすらエントリー。全部で40社ほど応募した。
何十社も応募するなんてそんなことある?と就活前は思っていたが、いざその時になると何十社も応募していた。

就活の第一条件は「関西勤務」。
なぜかというと、当時付き合っていた彼氏が大阪の人だったからだ。
私はかなりの恋愛依存体質で、人生の裏では常に男性が糸を引いている。関西で働ければ、その他はなんでもよかった。自分には卒論も書けないくらい専門性がなかったので、話すのが苦手なくせに営業職を志望していた。

40社応募した中で、一次面接に進んだのは6社だった。

当時の私は個性を出すのが正義だと考えていたので、とにかく個性的な経験をしていることをアピールした。
「山に籠ってチェーンソーで木を切っていた話」「木に穴を開けてメープルシロップを製造して売り歩いた話」をひたすら語っていた。しかし、面接官に響いている様子はない。

林業の話をしても「チェーンソーですか…へぇ…」とか「メープルシロップって作れるんですね…」という微妙な反応しかなかった。聞きなれない話で困惑したたのだろう。

そのため、途中で路線変更した。古物商として古道具を売買している経験を話すことにした。蚤の市に出店している話、海外仕入れの話、古道具への熱い想い…
面接官からは古物商?古道具?と当然怪訝な顔をされた。

その時の私は、一般企業で働いている採用担当者に、そんなぶっ飛んだ経験が刺さらないことを理解していなかったのだ。

もっと部活やサークルで頑張った話をするべきだった。そして共感を誘って、この子と働いてみたいと思わせるのが就活の正解な気がする。
実際に3つのサークルで代表を務めていたし、NPO法人の理事もしていたので、そっちを話せばよかった。

3月に就活を始めて、7月時点で最終面接まで進んだのはたったの2社。

どうしても一次面接で落ちてしまう。
面接で落ちると、人格を否定されたような気持ちになって凹んだ。お祈りメールが届くたびに悲しんでいたが、次第に開き直って、「私の幸せを祈ってくれてありがとう!」と思うようにした。就活の時に一生分祈られた気がする。

さて、最終面接まで進んだ2社について。

1社目は園芸会社。オフィスグリーンの手入れをしている会社だ。
林業を実際にやってみると体力的に厳しいことに気づいたため、園芸ならできるかもとエントリーした会社だった。

大学で林業を専攻していたことと、チェーンソーを使えることが評価され、最終面接まで進んだ。最終面接は腕立て伏せをするという謎の内容だったが、空手で体を鍛えていた私は難なくパス。
そして、内定前に3日間限定のアルバイトをすることになった。

アルバイトの内容は、得意先の会社に出かけてオフィスグリーンの整備をするというもの。入社して従事する予定の内容だった。

まずは社内で植物の手入れ。雑草を抜いたり水をやったりする。楽しい。スタッフの雰囲気もいい感じだった。

さて、植物をトラックに積み込んで取引先のオフィスに出かける。オフィスの裏側から建物に入り、すでに置いてある植物の葉っぱを拭いたり、元気のない植物を交換したりする。

オフィスに入るので、当然オフィスワークしているサラリーマンたちが目に入る。その時、私は激しく劣等感を感じた。作業着で体力仕事をしている自分、かたやスーツを着て涼しく仕事をしている会社員。

自分が惨めに思えた。林業している時は全くそう思わなかったのに、同じ空間にオフィスワーカーがいるとどうしても劣等感を感じてしまう。自分にはオフィスワークへの憧れがあることがわかった。

関西勤務を希望していたのに東京勤務になるかもと言われ、それだけはイヤですとお断りした。
なぜ関東出身というだけで東京勤務を打診されるのか、理解できなかった。私は関西が大好きだ。そして大阪の彼と別れたくない。東京勤務を断ったら、自動的に内定辞退になっていた。それでいいやと思った。園芸会社から届いていたメールはすべて削除した。

2社目は食品メーカー。
企業説明会の後に提出するエントリーシートには、いくつかの質問が書かれていた。これへの回答が一次面接に進むかどうかの判断基準になるらしい。

あまりに就活の面接で落とされるものだから、もう投げやりになっていた。
「あなたなら弊社の密閉容器に何を詰めますか?」と言う質問に対しては「あの日あの時あの場所の情景を詰めます。就活は恋人探しと似ていますね。エントリーシートはラブレター。ラブ・ストーリーは突然に。」とか

「今夜プロポーズ予定の彼女への指輪を入れます。密閉容器に詰めることで、お母さんの指輪を使い回したでしょ!とビンタされる可能性が低くなるでしょう。」と答えた。

「あなたの食品に関する思い出は何ですか?」と言う質問には、「古道具の仕入れ先のベトナムで食べた蟹ヌードルの味が忘れられません。路上の屋台で食べると、排気ガスと熱気とヌードルがマリアージュされて、ますます魅力的な味に昇華します。この味を再現するのは難しそうです。ところで、私の古道具との出会いについて語らせてもらえますか。」と書いた。

関西の会社なら面白いやつが通るだろうと思っていた。こんな私を受け入れてくれないなら、ニートになってやる。そしたら、なんとエントリーシートが通過してしまった。

一次面接。
コロナ禍だったため、オンラインで行われた。

当時は貧乏学生すぎて家にインターネットが引けなかった。そのため、隣に住む大家さんの家に侵入してインターネットのパスワードを入手し、ネット回線を勝手に引っ張っていた。
壁を挟んでいるので、当然電波が悪い。面接の途中で何度も回線が途切れる。当然気まずい空気が流れる。

そのため、ついに「隣の大家さんのネット回線を借りているため、電波が悪い」と正直に打ち明けた。

それを聞いた面接官の一言。
「めっちゃおもろいやん。」
関西人の懐の広さに感動した。

ちなみに、その大家さんの家には今年のフリーターの時に居候させてもらった。当時ネット回線を勝手に使っていたと話したら「別にええで〜」と言ってくれた。私は人の優しさに何度も救われている。

私の志望動機は「食品で笑顔になる人を増やしたい」。あまりに抽象的すぎて笑ってしまう。しかも、半分本音で半分建前。確かに、自分でメープルシロップを製造して卸すくらい食品に興味があったし、実家が飲食店なので食品は身近だった。
しかし、食品で人を笑顔にしたい、世の中に貢献しようという気は皆無だった。ただ自分が好きな食品を近くで愛でられたらよかった。

面接はトントン拍子で進んだ。誰と話しても「古道具の面白い子」「林業の面白い子」というフィルターを通して見てもらえる。無事に内定をもらえた。

内定が出た後もまあ落ち着かず、やっぱり他の会社に行くべきか、フリーランスになるべきか、とずっと悩んだ。
当時はフラワーアレンジメントと生け花を同時に習うほどお花に興味を持ったため、花屋に就職しようと思って面接に行ったりした。
結局、年末まで就職活動を続けたが、見切りをつけて食品メーカーへ就職することにした。

1社目:食品メーカーで商品企画(1年)

商品企画という華の部署

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