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ベルリンの街で感じたこと


ベルリンが舞台の映画について書いたので、実際にそこに行った時のことをちょっと書いてみます。


2016年の2月、ベルリンに行った。


その一年ほど前に関わっていた、ドキュフィクション映画を制作していたフランス人とドイツ人のアーティストカップルから追加でナレーションを録音したいと言われ、彼らが住む街に呼ばれた。初めてのアエロフロートで初めてのベルリン。しかもそんなふうに呼ばれて行くのも初めてだった。


「ベルリンに来たら東側が面白いよ」と言っていた彼らの言ったことは本当だった。旧ソ連スタイルの建物も近未来的だったし、それから街中にグラフィティがあふれていて、それぞれいろんなスタイルがあって見ていて飽きない。

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治安の悪そうな不穏な空気もなくて、それらが完全に街の一部になっていた。

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ドイツ人アーティストの彼はベルリンの東側出身で、子供時代にはまだ壁があったそうだ。連れて行ってもらった東ベルリンの歴史を紹介するミュージアムで、当時の映像を見ていたらヌーディストビーチが出てきて、「え、これ大丈夫だったの?」と聞いたら、「全て自由なんだけど、全て監視されてたんだ」と言っていた。


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別の日に街を散歩していたら、骨組みだけの壁が残されていたので、真ん中に立ってみた。(お約束)

たぶん、写真の右側が西で、左側が東だったと思う。この厚さで、一夜にして人々の社会を完全に分断するということがあったのかと、実際に目の当たりにした感覚は何とも言えなかった。一人で歩きながら、もしも東京で壁が作られていたら、私は東東京で生まれたことになるんだな、と想像したらちょっとゾッとした。


フランス人アーティストの彼女は、「ドイツはフランスに比べたら田舎で、みんな純朴で、だからヒトラーのことも信じちゃったのかもね」と言っていたけど、それは一理あるのかもしれない。散歩の帰りに完全に道に迷ってなんとか見つけたオーガニック系のスーパーで、レジにいた女の子に「ここに帰りたいんだけど道に迷って…」と英語で話しかけたら、「今スマホはロッカーに置いてあるから見れないんですけど…」と言った後に(あぁ私よりよっぽど真面目だ、と思った)「誰か見れる人います?」と聞いてくれて、会計が終わった若い男性が「調べましょうか?」と言ってくれたのだ。そのやり取りがとても穏やかだった。旅先のこういう優しさは本当に沁みる。


ただ、ベルリンの人たちのすごいところは、自分たちの歴史上の選択を改めた後、それを完全にポジティブに変換したことにあると思う。もしかしたらそれも純朴さのなせる技なのかもしれない。1989年にベルリンの壁が壊された後、東側にはたくさんのアーティストたちが住むようになった。彼らがまずキャンバスにしたのが、また一夜にして今度は過去の遺物になった壁だった。市は壁を完全に撤去するのをやめた。川沿いに残された壁に描かれるグラフィティは今でも随時更新されているという。

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ベルリンのグラフィティは、社会に対する鬱屈したエネルギーをぶつける手段というよりも、もっと純粋なアートとしての表現手段になっているように感じた。アート活動としての訴えが盛り込まれている可能性はあるけど、ネガティブな印象はほとんど受けない。だから不穏な空気はない。ただ勢いはある。この街は”ベルリンの壁”という経験をなかったことにするのではなく、それを越えた未来へ向かっている。


ヨーロッパへ行きたい人は、ベルリンの、特に東側へ。一度はそのエネルギーに触れてみることをおすすめします。


最後に。ベルリンの息が掛かると、写真もこんなふうに加工したくなるw

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