見出し画像

読む本ガチャのリセマラ

先日、いろんな方にいいねしていただいたこの記事とやや内容が重複します。

人によってはご自分の経験と拙著を組み合わせてこの記事で述べる話に辿り着く、かもしれない。


読書でだいじなことは二つある

ずばり、早いタイミングで「当たり」に出会う事、「当たり」を何度も読み返すことです。ソシャゲのリセマラと育成と同じです。

早めに強いキャラを手元に入れておけば楽ですよね?ポケモンだってドラクエだって同じです。このルールは読書生活でも同じです。

だいじなことがあります。「当たり」とは最近のヒット作ではないのです。かと言っていきなり本の内容の良し悪しが分かる人はいません。

僕がひよこの鑑定士ではないので、オスとメスを見極められないように。

そこで、「古典」をオススメします。それこそ「新約聖書」が相対的に新しく見える部類の古典がおすすめです。

古典は統計学的な根拠は乏しいです。母集団も明確ではないし、一人の人間が頭の中で練り上げたものも多い。

にもかかわらず、ですよ。数多のそれっぽい統計や仮説が生まれては淘汰される繰り返しの中で生き残り続けているのが古典です。

そして、その古典をじっくりと繰り返し読み返すことです。古典が書かれた時代はめったくそ暇でした。ためしに皆さん、ご自分がデジタルメディアや映像など、電気を使うメディアに触れている時間が起きている時間のうちどれだけを占めるかを考えてみてください。私の場合、一日16時間おきているうちの10時間くらいは電気を使う媒体とにらめっこしています。古典が書かれた時代は当然電気はありません。紫式部とかめちゃ暇なんです。

つまり、古典の多くはめったくそ暇な人たちの時間つぶしのために書かれたものなのです。古典の書き手には知能の程度が普通の人も多いです。当時で言うOLのブログ、「そんなん読まされても価値観違いすぎて良さがわかんねーよ」ってなるものも、むろんあります。

が、頭いい人がひたすら勉強に集中して書いた本もあります。「論語」や「孫子」なんかがそうです。そういった本の情報の濃さや質の高さは「まとめサイト」、「ウェブマガジン」なんて比較にもなりません。どれだけ「論語」と「孫子」が凄いかというと、紙が縄文時代に中国で発明される前から竹に書かれていました。竹も紙も電子書籍にもなった本がある。昨今

ここに書いてあることが「嘘」だと感じる人ももちろんいていいのです。本から情報を吸い上げて自分のものにする営みをさぼってきたつけです。

情報の質が高く、わかりやすくも書かれていない。いかようにも読み取ることができる。

このご時世にぴったりですし、急ぎすぎて疲れた現代を生きる我々に必要なのが古典と言えます。

ここでの古典とは、百年単位で昔の本を指します。「君たちはどう生きるか」はギリギリセーフです。

「君たちはどう生きるか」よりも前に書かれていて、現代の賢人が勧める本がいい古典です。


このnoteを見られたあなたの読書生活がより良いものになることを陰ながら応援しています。


この記事が参加している募集

おうち時間を工夫で楽しく

頂いたお金は本代にありがたく使わせていただきます。