虚像の私とさようならをしたかった

6月の目標:子供のように生きる

6月の目標は"子供のように生きること"
要は童心を忘れずにってこと
あれこれ考える前にやりたいならやってみる
行きたいなら行ってみる
今の私を縛るものは何も無いからこそ
全力で飛び込んでみる
そうやって生きていきたい

まだ全ての事から手を離す勇気はない
あの時と同じように生きれているわけではない
また帰って来てしまうのが怖い
できないことがたくさんある
できるようになりたいことができないまま
でも、『今日はいい1日だった』と思える自分がいる
だから明日も同じことを思える自分になりたい
朝起きれなくても
前日に書いたTo doリストをコンプリートできなくても
1日の終わりに自分を少しずつ褒めれるようになりたい
自分の弱さも、ダメダメな所もとうの昔に知ってた
この先もそんな私と生きて行くんだから
肩を組むんじゃなくて、正面から抱きしめられるように

『階段の上り下りが辛くても
家から出るだけで疲れても
ご飯を食べる時に小休憩を挟んでも
全部全部ありのままの私だから
今まで私を愛することができなかったけど
昨日よりも、ほんの少しでも私を愛せるように 。』
6/1

『何か高望みをした?
昨日思ったことはそうだった?
なんで、という言葉しか出てこない。
前を向けていたのに何でこうなったのか
誰でもいいから教えて欲しい。
私が思っていた事は、望んでいた事は悪い事?
そんなわけないよね。
誰でも思う事なはず。
なんで私?って思う。
ここまで来たのであれば中途半端はやめて
もっとボロボロにして欲しい。
どうにもならないくらいにしてくれた方がマシ。』
6/2

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こんなことを私は思って生きていたらしい。
さて、今日は6月29日。もう6月が終わる。
結果として、私は諦めて、逃げて、手放した。
「悔しい」と思う気持ちがなくなったからだ。
恐怖に立ち向かう勇気を持つことはできなかったし
初めの頃に持っていた気持ちが
跡形もなく消えていった。
悩んだけれど、別の道に賭けてみようと思ったのだ。
ある時ふと思った。
「今ここで辞めても神様に殺されないし」と。
だから、踏ん切りがついた。
変化はあまり得意ではなけれど。
ここで変化に立ち向かわなければ
もっと苦しくなると思った。
何も思わなかったわけではないけれど、
最後くらいは自分のわがままを突き通したかった。
(それから、多分ほぼ確実に私の性格との
相性があまり良くなかったとも少し思う。)

逃げたからといって絶好調なわけではない。
仕事を辞めた次の日に土砂降りの雨の中でも
髪の毛を染めに行く元気はあったし
その次の日に友人と横浜で
ピザとチーズを堪能する元気もあった。
ただ、3日目からが地獄だった。
別に書くけれど結構苦しかった。
(まだ、その苦しさに体の半分は浸かっている状態)
1ヶ月前と似ている苦しさでうんざりした。
苦しくても仕事を辞めたから手続き諸々がある。
何とか少しずつ手続きをこなしている。
役所が家から近くて良かったと心から思う。
そんな感じで6月は最低限とレベルで生きてきた。

7月はもう少しだけ人間らしく生きてみよう
とは思っている。
2024年下半期はまさかの通院からスタートだけれど 
むしろ良いのかもしれない。
急かされるのは苦手だから
自分で自分の首を絞めないようにのんびりやりたい。
仕事を辞めたからといって
すぐに元に戻れるようになるわけではないから
「とりあえず2024年が終わるまでに
何らかの形で働けていたらいいかなあ」
くらいの考え方である。
これで周りの人にとんでもない迷惑を
かけるわけではないのだから
遠巻きの一部になって
「あの人、のんびりやってんなあ」くらいの
関心の無さでいてくれたらと思っている。


最後に一つ言えるのは、この決断で私は自分の中にある自分が大事にしたい物を守るために必要な経験値を
手に入れられたと思っている。
この世の仕事は一つではないし、
生き方も人それぞれである。
街中ですれ違う人と自分を比べて
自己嫌悪に陥ることもある。
それでも美味しいものと楽しいことのことを考えて、
美しい景色を見て自分のための決断をして
生きていくことを少し学んだ。
考え方を根本から変えることはできないけれど、
それでも自分の中に経験値が増えたことで
少し視界が広くなったと思う。
不安や心配と同時に、
これでいいのだと思う気持ちを持てるようになった。

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